鶴林寺の謎

 鶴林寺は古刹ですから様々な謎があるのは当然です。ここで取り上げる謎は勝手に私が作り上げたに近い、ごく下らないものです。しかし、謎解きの過程は結構ドラマチックで面白かったので、推理小説風の文にしてみました。

プロローグ
 1970年代中頃のある日、私は生駒駅に降り立って鳥居の方を見上げた。そこに不思議なものを見てしばらく見入ってしまった。鳥居の向こうに巨大な緑の観音が屹立していたのである。色の異様さに驚愕した私は付近の商店街の人に尋ねてみた。「あれはどういう仏様ですか?」「平和合掌観音様と言うらしいです。」名前を聞いてそれきり、観音様のことは忘れてしまった。後にこの観音様の導きで大きな謎が解けるとは想像もしなかったのであった。

 40年近い月日が流れた2012年、宗教社会学の会から「聖地再訪 生駒の神々」という本が出版された。この中で、懐かしい名称に出会った。「平和合掌観音」(P.104)そこには次のように書かれていた。
 【近鉄生駒駅から西に向かい、宝山寺へ向かう自動車道に入らずまっすぐ行くと、近鉄生駒寮(現・帝塚山大学クラブハウス)の背後に第二次世界大戦の犠牲者を祀るために建立された「平和合掌観音が立っているはずだったが、しばらく探しまわったものの見つけることはできなかった。道路脇には「平和合掌観音」と書かれた黄色い石柱だけが残されている。しばらく周囲を探索した後、ようやく見つけた左手の建物入り口の張り紙によれば一九九八年に西大寺の四王堂に移されたそうである。いわく、「『観音』さまは『西大寺』の『四王堂』でお祀りしていただくことになりました。】

 あの観音はもう無くなっていたのか、そういえば生駒駅で西を見ても何もないなあ、と感慨ひとしお。早速現地へ確認に行った。「生駒の神々」の記述と、かすかな記憶を頼って現地を訪れると、黄色の石柱はすぐ見つかったが、その先を通り越して、上まで上がり、谷田の共同墓地へ入り込んでしまった。このとき谷田という地名に「ここは元町じゃないのか?」と違和感を感じたのだが深く考えることなく、下り直して、掲示にたどり着くことができたのであった。

 

謎の発生
 生駒山系には修験系の寺院が多い。多くは醍醐寺派で、律宗もある。鶴林寺もかつては薬師の滝という滝行場を持ち勢力を誇ったらしいが、現在は無住のため、宗派が分からない。生駒市教育委員会発行の「生駒市文化財map」にも、この寺だけ宗派の記述がない。これを調べるには宗教法人名簿(平成28年6月30日現在)が一番と、WEBでダウンロードし、調べてみた。次のように記述されている。

【単立 鶴林寺 谷田町615 ■■■■ 昭和38年6月3日】

 単立という記述に違和感を感じる。無住寺院はしっかりした信徒組織が無ければ廃寺となってしまう。鶴林寺では建物の修復もされているから、この点は大丈夫のようだが、単立だと葬式などの際に僧侶が居なくて困るのではないか?しかし、このあたりは考えるだけでは分からない。最大の問題は住所である。
「谷田町615」・・・。鬼取ではないのか?どういうことだろう?きわめて不審である。
 これは現地へ行く必要があると、谷田町615をWEB検索してみた。ヒットしない。つまりこの地番が見つからない。WEB情報も完全ではないだろうと、生駒市HPで、地番一覧を閲覧し、谷田町全域を探してみた。
 見つからない。つまりこの地番は消滅したのである。しかも600番台の地番がごっそり消滅していたのだった。地番消滅は道路の拡幅時に生じることが多い。その地番が道路になって消滅する。しかしこの場合は付近に近い地番が残っているのが普通だ。ごっそり消滅とすると、住居表示の変更か?と考えたが、旧住居表示を探る手がかりが無く、探索は暗礁に乗り上げたのであった。

謎の解決
 ある日この謎とは全く別のことについて手がかりを得るために辻町の図書会館で調べごとをしていた。多くの資料中に生駒市誌があった。資料編Vをめくっていると宗教関係の資料が目にとまった。本来の調べごとがはかばかしくなく、少し疲れていた私はふと鶴林寺のことを思い出し、ページをめくってみた。

P.633 【鶴林寺 谷田町615 ■■■■ 単立 昭和28年6月3日設立登記】

知っていることしか書かれていない。登記年が宗教法人名簿と食い違っているがどちらかの誤記だろう。しかし次の行に驚くべき一文があった。【域内に平和合掌観音の大立像有り】
 頭の中でばらばらだったピースがカチリと音を立てて組み合わさるのを感じた。急いでページを繰ると、もう一つの鶴林寺にであった。

P.653 【鶴林寺 浄土宗 一心寺末 鬼取町631の1 信徒約百人 管理者■■■■外23名(宗教法人申請中)】

思わず金田一少年の決めぜりふをつぶやいていた。「謎はすべて解けた。」

エピローグ
 謎が解けた私は、これこそ平和合掌観音様のお導きと、お礼言上のため、西大寺に出かけたのであった。件の平和合掌観音の前では、何かのイベントかテントが張られ、うら若き美人が受付をしていた。ここで浅見光彦であれば、怪しげな雰囲気となるが、結局何もないというお約束になっているのだが、ジジイ探偵の私には始めからそんなことは起こるわけもなく、「よろしいか?」「どうぞ」で終わりである。しかし、「この観音様は生駒にいらっしゃったのですよね」と話し、来訪に至った経緯を語ると、興味を持ったらしく、通りかかった寺の関係者を呼んで話を聞かせてくれた。
「この観音様は大阪の造り酒屋の社長が、商売繁盛のお礼に作らせて寄進したものなんじゃね。それが、宅地開発の影響で邪魔になって、うちがお引き取りしたわけなんですわ。今も酒造会社の社長の娘さんがお参りにいらっしゃいますな。西方浄土を拝むように建てられているんですよ。緑の色?実はこの観音様は鋳鉄製で、雨ざらしにするとサビますわな。そこでサビ防止の塗料を塗って、それが緑色なんですわ。いずれ仏様にふさわしい色に塗り替えるつもりだったらしいが、何せこの大きさ、費用がかかりますわな。塗り替えられないでいるうちに、これも味があるちゅうことで今に至っとります。」
 観音様設立の由来や緑色の理由が判明したことは大収穫であった。予想せぬ収穫に有頂天となった私は、観音様へのお礼のお賽銭を上げることも忘れて、西大寺を後にしたのであった。

解説
 結局、鶴林寺は2つ有ったのですね。1つは谷田町、現在の元町2丁目の鶴林寺。これはすでに廃寺になっています。できた当時は谷田町だったわけです。裏手の墓地が谷田共同墓地なのも当然ですね。これが宗教法人名簿に記載されているものです。もう一つが鬼取町の鶴林寺、よく知られている方です。これが今に至るも宗教法人登録されていない。生駒市誌資料編Vの発行年は昭和55年(1980年)となっています。すでに36年経っており、あれだけの名刹の申請が認められないという事態はちょっと考えられません。おそらく何かの事情で申請していないのでしょうね。これについては関係者に伺えば理由も分かりますが、あまり興味のあるテーマではないのでここで探索は終了です。
 ところで、西大寺の方のお話中の「西方浄土を拝むように建てられている」というのは観音様が西を向いているという意味ではなく、観音様を拝むと自動的に西方浄土を拝むことになるという意味だろうと思います。観音様は生駒時代も今も変わらず東を向いていらっしゃいますから。考えてみれば、観音様は阿弥陀様の化身であるわけですから、自分が西を拝む必要はないわけです。
 文章中の個人名についてはWEBページという性格上伏せ字としましたが、別に秘密情報ではありません。興味のある方は生駒市誌をご覧ください。

追記:最近(2016/11/29)谷田墓地へ行ったおり、合掌観音跡地を覗きますと、張り紙の隣に、西大寺の合掌観音様の写真が貼り付けてありました。本物がないのでせめて写真を拝みなさいと言う配慮でしょうか。面白いですね。
さらに追記:今日(2018/6/9)谷田墓地を訪ねますと、黄色の「平和合掌観音」標柱は無くなり、建物も取り壊されて更地になっていました。もはや合掌観音をしのぶものは無くなりました。

 この重機がある付近に標柱がありました。

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