act:3 束の間の衝動に身を任せると、明日のお天道様は拝めない。


攻撃と防御の合間、一旦ベンチに戻っていた一休は、先程来ていたはずの阿含の姿がないことに気づいて周囲を見回すと、突然背後から「キャ―――――ッッ!!」と決して自分は浴びた事のない黄色い声を聞いて振り返り、滅多に見られない可愛い少女が自分のバック走と同じスピードで走って来るのに、思わずぎょっと目を見開いて立ち上がった。

そう、彼の前方には、たった今自分が探していた人物がいたのだ。缶ジュース(恐らく中身はコーヒー)を手に持って。

しかし、かなり気配に敏感な筈の阿含はそれに気づかず、相変わらず飄々とした様子でこちらに戻ってくる。あのままだとぶつかるんじゃ・・・と心の中で思いつつ、その妙な事態と微かな違和感に、若干いつもより注意して二人の様子を見つめ――

「うぇっ!?」

無意識の内に間抜けな声を上げ、一休は瞠目した。

こちらへ走ってきていた少女が、走る勢いに任せて満面の笑みのまま突然跳躍し、そして――


「ゴンゴンッ!!」


と叫びつつ、素晴らしい攻撃力を以って、阿含の背中に威力最大のドロップキックをぶちかましたのだ。

ぐぉっ!?

極力意地で抑えた悲鳴を上げ、阿含はフィールドに続く廊下にうち伏した。小柄な少女である分、突進力を利用し突っ込む勢いを全く殺さずに飛んだ末のドロップキックの威力は凄まじく、見ているだけでもかなり痛々しい。そして、それを何故か避けなかった阿含はというと、倒れたままビクビクと痙攣を起こしている。

だが、驚くべきところはそんな処ではない。いっそ最強と呼ばれた男の屍の現在なんてどうでも良い。先程感じたばかりの違和感など既にお空の彼方に吹っ飛ばす程の衝撃と衝動が、一休をめくるめくお花畑の世界へ導いていた。

「あれ――?まだ道着なんか着てたの、試合中なのに」

だめぢゃん、ゴンゴン。

可愛らしいソプラノの持ち主は若干体感温度低めの声で呟いて、背中に乗ったまま追い剥ぎよろしく阿含の道着を脱がし始めた。が、傍若無人・天上天下唯我独尊を地でいく相手に危険行為を働く少女に対し、傍観者(寧ろ既に被害者)一休は、慌てる余裕が微塵もなかった。

若き一年のコーナーバックはというと、

「ぶっ、うぐ・・・ゴ、ゴンゴ・・・ッゲホゲハッ」

死にもの狂いで笑いを堪えていた。

ここで笑うと後が怖い。失神している(らしい)とはいえ、いつ本人が起きるか分からないじび状況で爆笑してしかもそれがバレてしまえば・・・・・・

口を手で抑えながら、一休は器用に身震いした。

やばい、明日のお日様が拝めなくなる・・・!!

深刻な危機だった。一刻も早くここから離れた方がいい、否離れなければ。涙が溜まって見えにくい視界で自分を死の淵(大袈裟)に立たせた原因を見ながら酸欠寸前で後退りし始めた一休の心情など全く気にした様子もなく、死地の真っ只中にいる可憐な少女は、こちらに気づいた様子でちょいちょいと手招きしている。

地獄の中で天使(の皮を被った悪魔)を見た気分である。

後一発爆弾を落されれば、確実に堪えられなくなるだろう。ただでさえツボに嵌まった笑いを堪えるのに必死なのに、息継ぎも碌にできないこの状況で口を抑える手を外せば死んだおばあちゃんに再会することになる。それは嫌だ。まだまだ可愛い女の子と会ったり(第一次遭遇)可愛い女の子とお話したり(第二次遭遇)可愛い女のことあわよくばお友達になったり(第三次遭遇*宇宙人

・・・・・・・・・・・・

可愛い、女の子。

前方で阿含の背中に馬乗りになったまま道着を脱がしている(見かけは)可愛い女の子を、一休はまじまじと眺め…

「ゴンゴンのユニフォーム持ってきて――!」

自らの保身を放棄した。

寸での所で堪えていた衝動に身を任せ、体中で笑いを体現しながら、一休は酸欠状態で阿含のユニフォームを抱えて可愛いあの子の所まで這っていった。

後で殺されてもイイ。女の子と喋れるのなら。雑巾の如き身を引き絞らんばかりの笑いっぷりを疲労しながら、いろんな意味で必死だった一休は気づかなかった。

少女の尻に文字通り敷かれている(他称)最強最悪の男が、こめかみを震わせて心の中で殺人宣告を下していたことを。








滞りなくし合いは進む。しかし、その一方で神龍寺側のベンチでは一休の悲鳴の代わりにガスッ!という非常に鈍い打撃音が物々しく響いた。

「ん?ゴンゴンッてば面倒臭がってる割にちゃんとテーピングはしてるんだ〜」

だったら楽ダネ。

べろっと相変わらず100年に一度の天才と謳われた男に乗ったまま、シャツを捲った明羽はご機嫌で上着を脱がせ、一休が抱えて這って来たユニフォームを着せに掛かっている。

命懸けでユニフォームを彼女に届けた一休自身はと言うと、ほんの一瞬前に起こったことにビクビクと後退りし出していた。その視線は、可愛い女の子・・・・・・ではなく、彼女の傍らにある黒くてでかい本に釘付けである。何処から出したのかさえ不明な本には、どんな不良よりも悪と言わしめた(セナ談)阿含の後頭部を殴打した時の凹みが残っている。

どんな力で殴られたのか。少なくとも遠慮や手加減はなかっただろうと推測される凹みは、少女が相当の危険人物であると一休を目覚めさせるには十分の代物だった。気づくのが遅すぎである。

後退しながらも彼女を窺っていると、件の人物は今度は阿含の身体を仰向けに返している。

「な、何を―――」

スルンデスカ?

最後まで聞きたい。しかし本能が必死でストッパーを掛けていて聞けない。予感する恐怖で。

「あ、そだっ、いっちゃん!」
「い、いっちゃん?」

よいしょよいしょ、とひっくり返してその上に跨り、見物していた一休の疑問を無視し、彼女は煌びやかな笑みを向けた。

「一休だから、いっちゃんなのっv」
「は、はぁ・・・」

問題人物だと解っていても、何故自分の名前を知っているのかという疑問は花を飛ばすような笑みの前に、紙切れよりも軽く吹き飛んでついつい照れてしまう。・・・が、一休は彼女の次の発言に、ビシッと見事に彫刻と化した。

命の危険を感じたら逃げた方がイイよ♪」
「・・・・・・・・・・ハイ・・・?」
「むしろもうフィールドに入った方がいいカモ」
「へ・・・・・・?」

意味が解らず中々立ち去れずにいると、突然明羽はどこからかバタフライナイフを取り出し、慣れた仕草で刃を出して――ニヤリ、と笑った。極悪な笑みに、一休はたらりと背中に冷や汗が流れたのを感じた。

「鬼を、起こすから」
「うっわぁああっ!?」

しっかりと両手で握られたナイフが、止める間もなく仰向けに寝かされた阿含の喉元に振り下ろされたのだ。一休はたまらず目を閉じ―恐る恐る目を開くと、予想していたスプラッタな殺人現場が目の前に広がって・・・

「明羽・・・テメェ・・・」
「おはよ、ゴンゴン♪」

いなかった。あと0,1oのところで、阿含が明羽の腕を掴みナイフを止めたのだ。起こされた方の機嫌は最悪。鬼と呼んだ彼女は殺気を向けられても怯む様子はなく、やはり手慣れた様子でナイフの刃をしまった。

ああ、なんだか嫌な予感がする。

尻餅をついたままジリジリと後退っていると、ギロリ、鬼に睨まれて固まった。そして。

「一休・・・後で、覚えてろよ・・・?」

と鬼の一声。殺気も露に凄まれ、一休は失神しそうに為るのを気力で抑え、声無き悲鳴を上げた。











化け物にでも会ったかの様な慌てぶりで逃げ出し、すぐさまフィールドに上がったらしい一休を見送り、明羽は未だ馬乗りにしたままの相手にニッコリと(おねだりモードで)笑った。

「ねぇ、ゴンゴン♪」
「ゴンゴンっていうのヤメロ」
「・・・・・・ウネウネとかドルドルとかドナドナとかの方が良かった?」
「じゃなくて、もっとマトモに人を呼べねぇのか、テメェは」

名前じゃなくて髪型じゃねぇか。しかもウネウネはともかく(絶対に呼ばれたくないが)ドルドルやドナドナに至っては一体何処から来たものなのかさえ解らない。

「それともゴンちゃんとか。・・・もしかして、阿含vって呼ばれたいの?」

恋人同士みたく。

片手でバタフライナイフを弄びながらケラケラと笑い言った途端、生百足を踏んだような顔をする阿含の耳元に、ダンッとナイフを突き立てた。勿論、その刃は彼の顔側に向いている。

「でね、ゴンゴン」
「結局それかよ」
「気に入ってるんだもん★・・・・・・それより、このままベンチに戻るって言うなら・・・」

ニヤリ、と人の悪い笑みで笑う。それは丁度、「鬼を起こすから」と一休に言った時と同じもの。

そんな彼女の笑みが碌でもないことの前兆だと骨身に染みて知っている阿含は、ほんの一瞬、ビクリと身体を強張らせた。本人は隠したつもりなのだが、上に乗ったままの彼女にはバレバレである。

「『滅多に試合に出ない阿含は実は名ばかりの天才だった』って噂流してアゲルv」
「ヲイ」

別にそんな事されても痛くも痒くも無い。しかし、相手が彼女の場合、自分が予測する以上の面倒事が襲ってくることがしばしばなのだ。

「それとも『発覚!あの金剛阿含は実はロリコン!?』の方が楽しいかな?」
「自分の楽しみのために他人の人格と性癖を勝手に捏造してんじゃねぇっ!」

小気味良いほどにぽんぽんと明羽の口から出てくる嘘に、遂にキレた阿含は乱暴にお互いの体制を変え、怯えるどころか驚く素振りも見せない少女を上から睨み付けた。

・・・つまり、明羽が、押し倒された状態にある訳で。

「怒っちゃイヤ〜〜っ、ゴンゴンとあたしのナ・カ・で・しょっ

それにホラ、信憑性バッチリだし。

言われてみれば、端から見るとかなり危険な体制を取っていることに気づいて、明羽の横に座り込む阿含。キャハッと笑いながらも、己の首筋近くにあるナイフを引き抜いて刃を仕舞い、手並み鮮やかにそれを何処かへ消してしまう明羽。

それを見て、阿含は仕方ない、という感じで溜め息を吐いて立ち上がり、フィールドに向かっていく。

「そういやァ、明羽」
「なぁに?ゴンゴン」
「・・・・・・・・・・・・そのナイフ・・・・・・」

阿含の記憶では、春大会以前に見かけた時は、あんな物騒なモノは持っていなかった筈だった。存在自体が既に凶悪なのに、更に色を付けた命知らずに是非会って(シメて)やろうと思ったのだが――

「ホラ、春の決勝の時、ゴンゴンが会場に来る前にシメたバイクの・・・」

答えを聞いて、ヤル気が失せた。明羽が時々話す「蛭魔」なる人物の奴隷になっているばかりか、今度は自分が知る限りで最も性質の悪い女の餌食にされているというのだ。

らしくないと解っていても、思わず憐れんでしまう。また一つ、溜め息を吐き、今度こそ阿含はフィールドへ上がるために明羽に背を向けた。・・・時折、タンコブのできた後頭部を擦りながら。

天才と呼ばれた男の沈んだ背中を見送りながら、明羽は黒くてでかい本を明らかに許容量からオーバーするであろう小さなデイバックにつめ、にんまりと笑った。

「ふふふ〜〜次の休みは電気屋巡り♪」

次の休みに向けた計画を、脳内でしっかりと吟味しながら。




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