氷のような、というのがピッタリな冷たい性を持ちながら、
その氷には焼け付く業火の炎を孕んでいることを知っている
駆け引きの仕方や人を先導する方法、立場と状況に最適な笑い方まで
たくさんの任務に出て、いろんな人に会って、身についた心のスキルが
ずっと追いかけていたあなたにそっくりなのは、ある意味当たり前の事実だ
<13>
身も世もなく、という言い方がピッタリの泣き声が止んで、痛々しく肩を震わせながらしゃくりあげる響きも収まると、冷酷で狡猾、敵は微塵の容赦もなく叩き潰すラウ・ル・クルーゼ隊長に抱きついていた地球軍パイロットの少年は、細身の体を離してなんとも可憐な仕草で涙を拭った後、一直線に彼を見つめ――仮面の所為で視線の先は定かではなかったが、きっとそのはずだ――ているクルーゼに照れくさそうに微笑んだ。
「落ち着いたかね?」
「うん、もう・・・大丈夫」
そう素直に頷く姿からは、ザフトの紅服でエースパイロットを格納庫の隅まで蹴り飛ばし、隊長の両頬を出会い頭に往復ビンタしたような険や力強さは見受けられず、寧ろ儚さばかりが目立つ。
「・・・その仮面、どうしたの?せっかく綺麗な目なのに・・・もったいない」
至極残念そうに唇を尖らせる姿は可愛らしくて微笑ましいが、そんな穏やかさに浸れないほど大きな驚愕が周囲の人間に走った。
こいつ、クルーゼ隊長の素顔を知ってるのか!?
ラウ・ル・クルーゼ
出生から前歴から素顔に至るまであらゆる謎に包まれた仮面隊長の素顔を知る人物がこんなところで現れるなんて。
二人の様子からして、知り合いでも相当親しい間柄であることは十分に窺えたが、こんな子供がまさか、という思いもあったのだ。
なんせ仮面隊長の素顔を探った者は、月軌道の最前線に左遷されると専らの噂であったし。知っているという噂がある人物だって、プラントの上層部に位置する人間ばかりだ。
つまり、彼の素顔を知るには彼に対等かそれ以上であると認められなければならないわけで。
「もしかして、あいつがあれにいるせい?」
「それもあるがね・・・これはまた別の理由だよ」
「でも胡散臭い狸笑顔の黒髪ロン毛からちゃんと貰ってるんでしょ?」
「・・・・・・・・・・・・会ったのかい?」
「一応、ね。会った瞬間抱き付かれそうになって・・・もう一人の子が止めてくれたんだ」
「そうか・・・後できっちりと言っておこう」
主語と目的語が皆無の会話の中、“胡散臭い狸笑顔の黒髪ロン毛”のくだりで、隊長周辺で真冬のアラスカ並みの寒々しい風が巻き起こった。
ただ周りで見ているだけの者達が凍りつきそうな暴風を止めたのは、白服の両脇できつく握った拳をそっと包んだ小さな手だった。
「・・・待っててね・・・絶対、一緒に生きてもらうから」
「・・・オーブでも開発しているのか?」
「無いものを作るのはオーブの専売特許だよ♪」
にっこり、花のように笑い一歩彼から離れて、少年はパイロットスーツの襟のホックを外した。
「本当はいっぱい話したいことがあるんだけど、今はあんまり時間が無いんだ」
ちゃりっ。微かな金属音と共にスーツの合わせから引っ張り出されたのは、軍で支給されているものに似たドックタグだった。ただし、そこに掘り込まれているのは認識番号や階級や氏名ではなく、オーブの国紋と黒い蓮の花で。
「芙蓉・・・アスハか」
「ご明察。――僕はコーディネーターでオーブの国民で、彼らを守る立場にある人間であり、地球軍ではありません」
今まで囁くように会話していた少年の声が――それでも良く通っていたが――その前のクルーゼの発言と合わせてざわめく格納庫内に高らかに響いた。
声色や雰囲気の変化は明らかで、目元を赤く腫らしてはいたが背筋を伸ばしてたつ姿は凛としており、あまりに鮮やかな存在感の変化にほのぼのとしたムードが漂っていた空気が引き締まった。
「僕は芙蓉を冠するオーブの“影”。ここに来た理由は――もちろん貴方に会うのが最優先だったんだけど――地球軍の搾取とザフト軍の侵攻を受けたヘリオポリスの件について、オーブの意向を伝えるためと、一つの忠告を差し上げるためです」
「我々の侵攻は反論しないがね・・・搾取とはどういうことだね?」
「この度のヘリオポリスでの新型MSと新造艦の製造はオーブ首長毛の総意ではないということです。寧ろ芙蓉・・・アスハはオーブの不要な技術流出を防ぐため我らを遣わしました」
「しかし実際にはザフトがヘリオポリスに侵入し、新造艦は地球軍の手に渡って出航してしまったと?」
「そうです。次の目的地に着き次第、ここにある機体はともかく戦艦のデータは採取されてしまうでしょう。・・・オーブにその意図がなかったとはいえ、条約違反に加担する形になったのは紛れもない事実。ザフトの皆様方が奪取した四機はオーブからプラントへの譲渡とし、製造に関するデータも差し上げます。ただし、このストライクはオーブで引き取り、あの戦艦の撃墜は暫く止まっていただきます」
「それは、オーブは条約違反を犯した地球軍を庇いだてすると?」
ぴくり、隊長の嫌味が発された途端、細い眉が跳ね上がり、小さな口元にはどこかで良く見たような酷薄な笑みが浮んだ。
「庇う?おかしなこと言いますね。暫くと僕は申し上げたんですよ」
「その“暫く”の間にやつらが月基地に行かないという保証は?」
「ご安心下さい。あの艦には既に我々の仲間が乗り込んでいます。百万が一にも白い天使が月の揺り籠に落ち着くことはないでしょう」
「・・・やつらは今、アルテミスだね?」
「ええ」
「こちらが忠告を聞かなかった場合は?」
「その時は、オーブとその影全てを敵に回すと考えていただければよろしいかと。我々は、持ち得る力全てを以って迅速に対処させていただきます」
例えば、ボタン一つで、
見かけはにこやかでただの子供にしか見えないのに、ぞくぞくと背筋を這うこの冷たさは一体なんだろう。
「これは脅しではありませんよ、ザフトの方々」
いや、立派な脅しだろ!なんだよ、ボタン一つでどうなるんだ!?
声にならない突っ込みは輪の中心で周囲を振り返る少年には届かない。というか、返答を聞きたくなくて届けられない。
「私はあなた方が冷酷無比で残虐非道な殺戮者と呼ばれようが、なんら関与いたしません」
こうして大勢で囲んでいる自分たちより、たった一人乗り込んできた子供の言い様の方が余程酷いと思えるのは気のせいだろうか。
「ただ、やったことの結果を考えよと忠告を差し上げているだけです」
輝く笑顔は眩しくても、彼の視線は微塵も笑っていなかったし、言っていることは一々真っ向からの標的にはなりたくないくらいえげつない。一人に集中砲火されたら痛くて逃げ出したくなるだろう。
隊長と態度を変えても尚、対等に言葉を交わす細身の少年は、歴戦の兵士たちを圧倒する迫力を備えていたのである。
「了承、していただけますね?」
あくまでも笑みを保ったまま訊ねる形を取っているが、実質的には強制以外の何者でもない意図を持った言葉に、隊員たちの視線が集まる中、我らが隊長のラウ・ル・クルーゼは至極楽しそうに笑い、あっさりと頷いた。
「いいだろう。――・・・それで、敵陣に乗り込んできた君はこれからどうするつもりだね?」
先程あんなに熱烈な抱擁を交わしていた人間の、突然の敵対宣言紛いの言葉に、少年――キラというらしい――は小さく肩を震わせた。
“掌を返す”という言葉の見本のような隊長の態度の変化に、控えていた兵士たちがはっと我に返ってキラの確保に動き出したが、
チャキッ
「残念ですが、実力行使をしてでも脱出させていただきます」
背後からにじり寄る気配に気づいたのか、確保対象はどこからともなく取り出した黒光りする鉄塊をクルーゼに向けたのだ。
「「「「「―――――っ!!?」」」」」
条件反射のように兵士の動きが止まり、場に俄かの緊張状態が生まれる。
キラはそんな彼らを見回し虚ろな銃口をクルーゼに向けたまま背後に回り、その首元に押し付けた。
その動作は鮮やかで隙がなく、彼らの後ろで飛び掛る体勢を取っている者達にも一向に手出し出来ないようだった。
「ハッチを開けてください。吹き飛ばしてもいいなら、そのままでも構いませんが」
にこやかな笑みに薄ら寒さをブレンドする紫紺の目は冷たく光っていて、本気でハッチを吹き飛ばしてでも出て行ってしまいそうだと背中に冷や汗が伝う。
「おい、放っておくのか?」
唐突すぎる事態に内心の焦りを隠しきれないまま、ディアッカはこんな時でも何故か腕組して平然と傍観体勢をとっているイザークに囁くと、やたら顔の良い銀髪の友人は肩を竦めてあっさりと、
「行かせてやればいい。あいつは恐らく敵にはならない」
「はぁ?この状況でなに言ってんだよ」
「貴様こそその目は節穴のようだな。一度眼科で取り替えてもらったらどうだ」
「俺のどこが節穴だって――」
「それではみなさん、ごきげんよう」
二人の言い合いもよそに、キラは周囲が動かないのを確認すると満足げに頷いて優雅に一礼してみせ、クルーゼを抱えるようにして床を蹴った。
「うっそだろ・・・マジで行っちまうぜ?」
せっかく捕まえたのに。
「あいつは捕まえたんじゃなくて寧ろこちらに招かれた人間だからな」
招待の仕方も退場の方法も物騒で礼儀の欠片もないが。
上方に遠ざかっていく細身の肢体がなんとなく名残惜しくて呟くと、イザークはなんでもないことのように視線を二人に固定したまま問題発言を吐き出した。そして――
「はぁ!?なんだよ」
パァン!!
それ、とディアッカが詰問する声を遮るように、一発の銃声が格納庫内に響いた。
「げ、マジで撃ったのか!?」
驚いて見上げたそこには、ストライクから離れるクルーゼの姿と、低重力下で浮揚する鮮やかで危うげな血の筋が。
まさか本当に撃つと思っていなかったディアッカは、ストライクから線を引く赤に思わず息を呑み、コレのどこが「敵じゃない」んだと隣の同僚に噛み付いてやろうとしたが、振り向いた先の形相を見て不発に終わった。
端正な顔が、言葉を押し止まらせるほどに険しく歪んでいたのだ。
「隊長・・・!」
相当きつく奥歯を噛み締めているのか、ぎりぎりと歯軋りの音をさせながら押し出したのは隊長の怪我の懸念や無事なことへの安堵などではなく、
「おいおい、イザ―・・・」
「キィイラアアア―――!!」
「アスラン、ちょっと・・・!」
待ってください、と変声期が終わってもまだ幼さの残る声に追われて、場を読まない男の絶叫が響いた。次いで猛スピードでパイロットスーツの細い踵の痕をくっきりと鼻っ柱から額にかけてつけたアスランがストライクに突撃する。
「・・・あんの馬鹿が」
「・・・うわぁ、アスラン・・・」
あいつも相当だな。
相当の後には“馬鹿”だの“変人”だのと相手にとって不名誉な称号が入るが、どう見てもそうにしか見えないのだからなんら問題はない。
イザークが纏った厳しく緊迫した雰囲気もディアッカの呼び声すらかき消した男に対して、結局は呆れた声しか出ない。罵倒するのも馬鹿馬鹿しくなるのだ。
しかも、アスランが辿り着く前にはストライクが起動し、目に鮮やかなトリコロールカラーのフェイズシフトが展開された。
誰が止める間もなく、巨大な機械人形が一歩、二歩とハッチへ歩み寄りながら装備したままのビームライフルを構える。
「おいおい、ヤバイぞ・・・!」
本気で有限実行しようとしているキラに、ディアッカは戸惑うように動き出した。逃げなくてはならないが、待機命令がかかっているため指示が出なくては動けない。軍の面倒なシステムに舌打ちしながら周囲を見回すと、
「総員、退避!!」
力強い強制力のある隊長の声が、MSが起動する轟音を裂くようにして各隊員に届いた。
わっと一斉に退避しだす彼らの上方で、その本人は未だにストライクを追おうとするアスランを避難エリアへ蹴り飛ばし、アスランを追ってきていたニコルが捕獲している。
「俺らも避難・・・イザーク?」
「隊長!」
ハッチに向かうストライクを尻目に避難しようと促すディアッカを無視して、イザークは床を蹴ってクルーゼの元に向かおうとする。
その顔つきは、やはり険しい。
ああそうだ、これは非難と嫌悪と、ごちゃごちゃとしたややこしい感情が混じった声だとディアッカは漸く思い至った。
人質にされていた隊長を何故非難しているのか、そもそも隊長は何故あんなに元気に動いているのか、イザークはあのキラをどう見ているのか――
渦巻く疑問に混乱していると、ニコルに何か指示をしていた仮面の男から酷い騒音にも負けない通る声がかかった。
「イザーク、話は後だ」
「だってよ、早く避難しようぜ」
十分命令と取れる言葉にコレ幸いとイザークの腕を掴む。
ストライクは既にハッチの際までその機体を進めており、今にも閉まろうとしている非難シャッターの隙間からビームライフルの銃口にエネルギーが充填されるのが見て取れた。
あいつ、エネルギー切れで捕まえたはずじゃ・・・
ストライクが起動した後となっては今更過ぎる疑問に気づいたディアッカだったが、先の“寧ろこちらに招かれた人間だからな”というイザークの言葉を思い出し眉根を寄せた。しかし問い詰めようにも、
ドォンッ!
唐等ハッチを撃ち抜かれたらしい轟音に、それ所ではなくなり、今は隊長を睨み据えている同僚と待機室へ避難することが先決、と取り敢えず意識を切り替えた。