気紛れなんかでこんなこと言わない
それは戦場に身を置く者に必須の覚悟でもって
ただ こんな危なっかしい状況なんだから
猫の手よりは役に立つこの手を差し出しても構わないじゃないか
<10>
誰だって必死で生きてる。
世界全体を真っ二つにした種族間戦争なんぞをやらかしている昨今では、どの国に属している人間でも完全なる平和や精神の安寧を心から享受することは難しいほどに。
特に、多数・少数の問題から言えば確実に少数派に当たる自分たちコーディネーターは排斥されようとしている立場だから、その必死さ加減も半端じゃないのを自負していたし、そうすることで守れるものがあるのだからと誇れる所でもあった。
こんな時世だから、正直言って中立を保っていられる国の意思の強さやその在り処なんて考えようともしなかったし、自国を、引いては自分たちの種の尊厳を守るのに必死な自分たちは、彼の国がどんな風に成り立っているのかも知らなかった。
そして、平和の国オーブで平穏を守るために何かしら手立てを打っていないはずはなかったのだが、目の当たりにするまで考え付きもしなかったのだ。
「オーブの影・・・かぁ〜」
どうやら戦闘態勢に入ったらしく、安静を厳命して医師が出て行ったのをいいことに、ラスティは漸くその話題を口に出すことが出来た。
キラの発信機からの反応を確認してから、医師が乗り込んでくるまでに聞いたこと。
あくまでもオーブ国民の認識だけど、と前置きを付けられて教えられたそれは、人類を二分して戦争している自分たちにとって驚くしかない存在で。
ナチュラルとコーディネーター、連合とオーブとプラント、それらの間の利害関係を調整し、“不殺”を貫きながらオーブと民を守る『調停者』。
表の軍で他国を牽制し、裏では彼等が動いて時に諍いの元を断ち、時に両者間の交渉に立って丸く収める。
存在は広く知られているが、実際に誰が噂の当人なのかは一般に知るものは少ない。潜入やら交渉やらの任務で顔が知れても困る、とオーブの民間人などに正体を知れてもその都度口止めしており、知った人々も自分達を守ろうとしてくれている人物の不利益になることをしようとする訳もなく・・・
彼らの隠密性から“影”と呼ばれ、民を守り平等を保って救おうと励む活躍のあり方に、“騎士”の異名も付いたのだという。
彼らは民の憧れ、彼らは国の真実の盾――
「影とか騎士とか言われるようなタイプには見えないがな」
ポツリとミゲルが顔を顰めて苦々しく呟いた。只でさえ目つきが悪いのに、鋭く眇められた目には不快感さえ伺えて、余計にガラが悪く見える。
最も、元々母親似で上品に整った顔立ちをしているので、多少目つきが悪かろうと女性には受けが良かったりするのだが。
「なんで?かっこいーじゃん」
「バッカ、お前“かっこいー”で軍に入ったのかよ」
「んなわけねえだろ!そんな覚悟で――」
「じゃああいつは、何だってそんなのに入ったんだって事だ。影だ騎士だ英雄だと言ってたが、俺には軍に近いように見える。やってる事なんて、軍よりもひょっとしたら危険度も高そうだし。オーブは確か20歳で成人だろ。キラはまだ16かそこらじゃねぇのか。ガキ扱いされて家でぬくぬく育ってても良さそうなのに、なんでそんな血なまぐさいもんに入ってるんだ」
しかも、女が。
別に男女差別したいわけではないが、ミゲルにとって女性は守るための対象であり、戦場に真っ先に飛び込んでいける位置で訓練に励み命を削る生き物ではないという認識が強いため、子供であると同時にキラが女性であるということに強い引っ掛かりを感じるのだ。
「探しものじゃねぇの?」
クルーゼ隊長探してたって言ってたじゃん。
ミゲルの疑問も解らないでもない。ラスティだって、あれだけMSを自在に乗りこなせている他称:天使が女性だと知って驚いたのだ。
ラスティにとっても・・・否、コーディネーターは根本的に遺伝子に欠陥があり、種の保存が確立されにくいこともあって、次世代を残せる女性に対しては非常に丁重に接するよう、幼児期から刷り込まれている。
最高評議会に女帝の如く佇む主戦派の母を持つ同僚などは、無愛想・仏頂面・短気・癇癪持ちという人付き合いの不得手を丸出しにした性質をしているが、その実徹底したフェミニストだ。これはある意味特殊な例だが。
あの女性を前にして勝てる男がいるなら見てみたいというものだ。
端麗な容貌だが銀髪おかっぱの同僚の母君を思い出して苦笑を一つ零し、ラスティは思考の対象をキラに引き戻した。
こうしたコーディネーターの事情云々は兎も角、オーブ国内でもかなり年若な部類に入るキラが、性別を偽ってまで影として任務に赴いている、というのは確かに引っかかる所だ。
「確かにあの顔はかなり真実味があったがな・・・」
クルーゼ隊長と知り合いと言うことだって、一体どの様な知り合いなのか。ずっと探してきた理由が怨恨絡みでない可能性もない、とも言い切れない。
「それに、影は国家間の問題にも対処できるって言ってただろう。そんな権限を貰えるなんて、あいつ何者なんだ?」
1人の少女が抱えるにはあまりに大きな、国政にも深く関わるだろうことだ、おそらく国の中枢にも関係しているだろう。オーブならば、首長家にか。
難しい顔で考え込んでしまったミゲルを他所に、“キラがなんであれ女の子でラッキー!”などと考えていたラスティは、面倒な頭脳労働は年上の先輩に任せることにしてぼんやりと天井を見上げた。
キラのことは、確かに始めから疑うつもりで見ていけば引っかかる所は大いにあるが、実際の所そんなに深刻な心配はしていない。
お気楽なとかもっと警戒心を持てとか同僚がいれば毒吐かれそうだが、色々とラスティ自身で考えた末の結論は、「成り行きに任せる」だった。
彼女の素性にしても、これからの戦闘に関しても、だ。
キラが“いい奴”かという観点からすると、オーブのこと以外は全部どうでもいいと堂々と表明する言動からして微妙な所だが、下手に博愛主義を掲げられるよりもよっぽど判りやすくていっそ清々しいくらいだし、何となく隠し事はされているらしいが嘘を吐かれている気はしないから、別段警戒心剥き出しで接する必要もないだろう。
なにより、彼らのそばは心地良いし、ナチュラルの中にいるというのに、今は戦時中でここは戦場で自分は軍人だということを考慮に入れなければ、ラスティとしてはかなり良好な環境といえた。
ミゲルももうちょっと気楽に行けばいいのに、と思いながらもつらつら考えていると、プシュッと空気が抜ける音がして、学生組みの2人――ミリアリアとサイが入ってきた。
「具合はどう?」
「お医者さんに虐められなかった?」
ラスティの思考の順序にタイミング良く入ってくるなりのサイとミリアリアの問いかけに笑い返し、
「良好、良好」
怪我してないほうの手を振ってみせる。本当に、ザフトの軍人に対するナチュラルの態度とは思えない。トールだともっと遠慮なかっただろう。カズイはまだ少し怯えている感があったが。
そういえば、先程キラと一緒に顔を出した赤毛の少女はどうだろうか。
気儘にフレイの方へも思考を伸ばしたらすティだが、強気無敵のお嬢様が混ざるとこの“自称:民間人”の学生たちの行動力ブースターが更に加熱するとは全く想像していない。
ある意味当然である。
「ミゲルさんは?コルセットずれたりしてませんか?」
「平気平気、単に寝てるよりもずっと楽だぜ」
「良かった〜、トールったら力任せに締め付けてたみたいだから。肋骨はずれてくっつくと内臓に支障出るんで動かないでくださいね」
ご飯食べれなくなったりシャワーとかトイレとか自分で行けなくなったり。
なんとも恐ろしいことを可愛い笑顔であっさり言ってくれる。いや、そういえば顔は笑っているが目は全く笑っていない。普段軍務において無理をしがちなミゲルは知っていた。これはアレだ、聞き分けのない患者を職への誇りを被って脅す医師の顔だ。
無理したらそうなるではなく、人為的にもそうしてやるという脅しである。
「わーかったって!大人しくしてる」
二人の登場にあれこれ考えるのを放棄したらしいミゲルがちょっと怖すぎる迫力のミリアリアに苦笑しながらホールドアップしているのを横目に、ラスティは天井の換気口を弄っているサイを見上げた。
どこから持ってきたのか、ドライバー片手にデスクの上に登って鉄格子を外しにかかっている。
「何やってんのー?」
「んー、ここは他と換気ダクトが別のはずなんだけど、一応・・・」
ガコン、ガコン、バコッ!
何回か揺らして片方のネジだけ外したサイは、デスク上に更にパイプ椅子を開き、用意のいいことに懐中電灯まで持ってするっと穴の中に入っていた。
「サイ〜あんまり遠くまで行っちゃダメよ!」
「わかってるって」
遊びに出て行く子供と見送る母親のような会話だ。今サイがやっていることも今からやろうとしていることも結構危険なことのはずなのだが。
穴から顔を出す少年も下でパイプ椅子を片付ける少女も彼らの懸念やら冷や汗の正体を気にせず緊張感はまるで皆無である。自分たちの心配など杞憂でしかないのだと思わせるくらいに。
「ミリィ、端末の方よろしく〜」
「はーい」
気楽なやり取りと共にぷらぷらと手を振って、サイは穴の向こうから換気口を閉め姿を完全に消してしまい、ミリアリアは室内の壁を伝ってプラグを見つけ、キラのパソコンを繋いで何やら弄り始めた。
「ミリアリア?サイは・・・」
「ちょっと探検と偵察に☆大丈夫、データが正しかったらすぐ戻ってくるから」
「お前は何やってんだ?」
「私はシステムの担当じゃないんで、サイの探知だけ・・・あ、止まった」
そうか、役割分担まで決まってるのか。
半ば納得しながら、そういえばキラと男三人で医務室を占拠してどうのと言っていたのを思い出す。
これもその一巻なのだろう。恐ろしいが着々と彼らの脱出計画が現実に向けて動いているらしい。
「他の奴らはどうした?」
というミゲルの質問にミリアリアが答えるのを聞いていると、程なくして換気口が向こう側から外され、サイが穴から降りてきた。行きほど慎重に降りなかった所為か、外見通り頭脳労働担当な所為か、着地にはあえなく失敗したが。
「いってっ・・・」
「大丈夫?」
「ヘーキ。やっぱ分離型だった。ラッキーだな」
勢い良く尻餅をついたサイは助け起こすミリアリアに上機嫌で報告し、行きの行程を繰り返して換気口を閉じた。
軽く拭くに付いたほこりを叩いた後、パソコンのキーボードをいくつか叩いて満足気に頷いている。
「後はどっから流すかだよな。トールが作るやつの威力にも因るけど」
「軍人が多いところかな。ブリッジはすぐ停止したら困るでしょ?」
「んじゃ格納庫だろうな。あそこ整備クルーがいつも詰めてるし、逃げるにしても先に抑えれば面倒がない」
「ブリッジにも程よく近いしね。トールが今材料見繕ってるわ」
モニターには艦内図や換気口の配管などが映っていて、一応この艦って軍事機密なんじゃぱ、とラスティは再度湧き上がる疑問に頭を抱えたくなる。危ないことをしているのに危なっかしくないのが怖い。
「今から戦闘だからな・・・格納庫にまで行ってなきゃいいけど・・・」
「大丈夫よ、控え室くらいで我慢するでしょ」
「トールの理性に期待だな。成果によっては遠隔装置もつけられるかも」
「な、なぁ!」
「「なに?」」
だが怖がってばかりでもいられない。どうせ巻き込まれることは必須だし、さっさと仲間に加わっておいた方が無難な上精神疲労が減少する気がする。
ミゲルはまだ難しい顔をしていたが、それに遠慮するような控えめ気質はラスティの行動原理には入っていない。
「俺にも何か手伝えねぇ?」
カチッ。パイロットスーツの襟を止める音で、キラはスイッチを入れるように意識を切り替える。
ここがオーブ艦で身に纏うのがオーブのスーツだったらこんなに憂鬱にはならないだろうに、今着ているのはよりによって地球軍のパイロットスーツ。それも男物。
サイズが合ってないから当然着心地は悪いし、これを纏うことによってあちこちで起こるかもしれない調子に乗った勘違いを予想できて、いくら身嗜みは大切だとわかっていても自分の姿を鏡で確認することだけはしなかった。
見れば今度は、これを着ている自分と原因を作った両者に苛々して戦闘どころじゃなくなりそうだったのだ。
プシュッと空気が抜ける音がして、未だに軍服姿のムウ・ラ・フラガが現れた。顔も性格もなにもかも探し人と違うくせに、目の色だけはそっくりな男が、よりにもよって地球軍に腰を据えているのにどうしようもなく苛立ちが募る。それが要因でついつい会う度に苛めてやりたい衝動に駆られ、ついで実行に移しているのだが、この男がどこまでキラの真意に気づいているのかは不明だ。
否、彼と探し人との関係性を知っている様子ではないから、ずっと気づきやしないだろう。
「おっ、やっとやる気になったか?」
「やる気?なんのやる気ですか馬鹿馬鹿しい。MSで戦闘に出るときはパイロットスーツ着てないと衝撃でポックリ逝く可能性があることくらい平和の国の学生でも知ってますよ」
そのツルツルの脳ミソに刻み付けるまで何度でも言ってあげますけど、僕は別にあなた方の為に戦うわけじゃないんです。
ふん、とフラガのからかうような声音を鼻で笑って一蹴し、さも嫌そうな表情でヘルメットを手に取ってくるくると回す。話すことも不本意なのだとその態度すべてがアリアリと語っていた。
「お前・・・俺にばっかり冷たくないか・・・?」
「いやですね、僕はあなた方には平等に接していますよ」
「一緒に戦うんだぜ、もうちょっと仲良くしてくれたってだな、」
「民間人を戦場に送り出す軍人を恨みこそすれ、仲良くなるなんて虫の良いこと妄想しないで下さい。勝手に仲間意識を持たれても迷惑です」
寧ろ不快なんだよとっとと消し去れと言わんばかりに速攻で友好を求める声を断ち切り、パシッと手の中で回っていたヘルメットを取った。
据わっているだろう目で真正面の男を見ると、苛立ちを隠さない顔でガシガシ頭を掻き――只でさえ色素薄い上に男性ホルモンは無駄に活発なんだからあんまり掻き毟ると頭皮と毛根の老化が激しくなりますよ、どっかの誰かさんみたいに。というささやかな親切心は心の中のみで呟くことにした――
「〜〜〜〜〜っ、わーかっったよ!・・・んじゃあ、作戦を説明するぞ!」
「ああ、一応考えたんですか。どうぞ?」
あくまでも“余計な一言”を忘れないキラに、疲れた様子で溜息を吐いて身振り付で“作戦”とやらを話し出した。
闇ともいえない無限の宇宙を見渡す。デブリの中に潜んでいたアークエンジェルがエンジンを吹かすと同時にストライクを発進させたキラは、吸い込まれそうな果てのない黒天を見据えた。
小刻みに震える手でグリップを握り締め、ゆっくりと呼吸を整える。背筋には高揚感が流れ、胸の地では一縷の不安がさざめいている。
これは自分が戦場に出る不安ではない。これは――今から攻撃する相手への不安だ。
進行方向にはナスカ級、後方には駆逐艦。この状況であの男が搾り出した奇襲作戦は悪くはないが、実行者が当人である限りナスカ級が沈められることはないだろう。
だから、自分が会いに行く前に墜ちてました、ということにはならない・・・はず。
そう言い聞かせて呼吸を落ち着けると、アラーとが鳴ってモニターに4体の機体が現れた。
先陣を切ってくるイージスに、それを追うブリッツ、その後にデュエルとバスターが続いている。
「・・・太っ腹というか、本当に容赦ないと言うか・・・」
奪取したばかりの機体を全機投入するなんて、本当に“らしすぎる”采配に苦笑する。こちらに損害を出さず捕まるには、どの機体が良いだろうか。しかも目当ての人物に会うには旗艦の方に捕まらなければならない。・・・本人が出向いてくれれば申し分ないのだが。
そういえばデュエルのパイロットは誰になったろう。一度は顔を合わせているのだから、あの紅服だった方が都合がいいと思うのだけれど。
そう考えている内にも、見る見る近づいてくる赤い機体に視線を鋭く変化させる。
「皆が乗ってるんだから・・・アークエンジェルは落とさせない」
固い決意を込めてギリギリとグリップを握り込むと、五体満足に戻っているイージスに向けて勢い良くストライクを発進させた。
足止めの為に敵に向かうストライクに対し、やっと俺のところに戻ってくる気になったんだなっ!と通信で叫びながら抱き止め体勢を作ったイージスを無重力下で蹴倒すという器用な行動に及ぶまで、あと5秒。