恩を仇で返すってこういうことを言うのかもしれない
たったさっきは気分がよかったのに、一気に機嫌はどん底へ真っ逆さまだよ
ずっと、本当になんとかぎりぎり崖っぷちなところで均衡を保っていたのに
心の天秤が うっかり崩落してしまいそうだ
<4>
目を覚ますと、天使がいた。
鳶色の髪にでっかい紫の目で、とびきり美人の天使が一人、どうやら倒れていたらしい自分を心配そうに覗き込んでいた。
「大丈夫ですか?」
と掛けられた声で顔は中性的だけど男なのかな、と判ってちょっと残念だったけど、死んだ先の世界で一番に会えたのがこんなに眼福な姿なら死んでみるのも悪くなかったかもしれない。
目覚めて早々、そんなことばかり考えていたラスティが顔を緩ませたのも束の間、
「だいじょう・・・いって〜!?」
体を起こそうとして、こめかみと肩に走る痛みに思わず声を上げて呻いてしまった。
なんだ生きてんじゃん。でも天使の前でカッコ悪ぃ・・・と肩の傷を抑えて内心でも自分のふがいなさに呻く。
男とはいえこんな可愛い子の前でくらい格好つけてみたかった。アスランに言えば呆れられるだろうしイザークに見られたら鼻で笑われただろうしディアッカだったら多少同意してくれたかもしれないがさりげにきついニコルあたりに知れたら「いやだなぁ人間、器に合わないことは出来ないもんですよ」とかって爽やか笑顔でさらっと言われたかもしれない。アスランは未だにニコルを可愛い弟分みたいに見ているみたいだったけど、自分たちからすればどうやったらあの年下の同僚がそんな生易しいものに見えるのか一回脳みそをディアッカのところの親父さんに診てもらったほうが良いんではないかとディアッカやミゲルとまじめに話し合ってしまったくらいだ。
まぁそれは兎も角。
「良かった、生きててくれて。ここ、どこか判ります?傷自体は軽そうですけど、頭への衝撃って結構危ないですし」
意識がしっかりしているラスティに安堵したらしい天使は、自分の同僚たちが想定した脳内でどんなことを言おうとも優しく傷の心配をしてくれた。
地上の天使っていうのもいいなぁ、とか呑気に考えつつ、自分の今の状況を確認しがてら、ふと周囲を見回して――
「ミゲル!?・・・って、あれ、この格好・・・」
今更ながらに自分の横に寝ている人物を見て本気で驚いた。そういえばここに任務で来たんだっけとか襲撃終わってるっぽいってことは俺失敗した上に置いていかれたのかよとか戻ってあの変な仮面隊長にどうやって報告すりゃ良いんだとかそういや俺ザフトに戻れるのかよとかちょっと血の気が引きそうな思考がまとめて都合よく吹っ飛ぶくらい驚いた。
どうやら生きているようだが気絶してしまっているらしく、自分の叫び声にも反応しない。その上、自分たちは着てきたザフトのパイロットスーツではなくモルゲンレーテの作業着を着ていて・・・
「あっちに、地球軍の人がいます」
「っ!?」
混乱しきりのラスティの思考を更にかき混ぜる爆弾が傍らの天使から放たれる。まさかこの天使もそうなのかと息を詰めたが、だったらザフトの自分の傷の具合など確認するはずも無いとすばやく思い直す。
いつもより素早く思考が切り替わったのは、多分この天使の気遣いが嘘だと思いたくなかったのと、軍人特有の雰囲気だとか戦場に満ちた荒んだ空気を彼から一切感じなかったからだ。
詰めた息をゆっくり吐き出して、動揺する心を落ち着けて天使を見やった。
「僕は・・・というか、僕らは、基本的に軍人とか地球軍が嫌いなんです。ザフトの人たちにも今回のことは色々言いたいですけど、先に厄介な種を持ち込んだのはあちらですし。折角あなた方を助けたのに、あんなのに捕まって捕虜交換の申請が来るまで敵軍の牢屋でまずいご飯と硬いベットで暮らすなんて冗談じゃないでしょう?僕だってそれじゃぁ流石に良心が痛みます」
「そりゃぁ、まぁねぇ・・・」
なんて嫌な将来像を提示するんだこの天使は。想像するだけで不快感がこみ上げそうである。
「ザフトの救援が来るんだったら、傷だけ診て安全そうな場所に連れて行こうかと思ったんですけど、そちらはなんだかヘリオポリスの捜索じゃなくてあの機体の奪取に来てたみたいですし、かっぱらってスタコラとんずらしたくらいですから捜索する時間も無いと思ったんです」
「・・・・・・・・・まぁ、間違ってないな」
あれおかしいな、なんか天使の口調が天使じゃなくなってる。
話せば話すほど儚げな外見的印象からかけ離れていく他称“天使”に、ラスティはなんとなく幻想を壊された気分で内心涙しつつ、そういえば現場を見ていれば一目瞭然な自分たちの“任務”とあっさり言い当てられた答えに力なく頷く。
しかも“早急に”と言い含められているところまで気づかれているなんて、察しが良いというのかこの天使が只者じゃないのか。
「それで、モルゲンレーテを巻き込んだのも、僕らを巻き込んだのもあちら、ということにして・・・保護されてみませんか?」
「へっ?・・・君は・・・」
「・・・僕は、ここのカレッジの学生です。友達もまだ4人残ってます。シェルターはもうどこも満杯ですし、恐らくすぐにロックされるでしょう。・・・状況次第では、あなた方をザフトにお返しすることも可能だと思います」
ここまで先読みできて自分たちの便宜まで図ろうとする者がただの“学生”なはずないだろう。軽く疑問に思うが、不思議と不信感は抱かなかった。おかしい、軍人としての自分なら、ここで相手の言葉の裏を探るべきところのはずなのに。
自問自答しながら思いもかけない申し出をしてきたその人を見ると、柔らかく微笑んでいた表情が、今ではこちらの身まで引き締まるような真剣な顔をしている。美人で、儚そうで、話す言葉に毒を馴染ませて吐き出していた先程ともまた違う。
「そりゃ・・・願ったりな話だけど」
疑惑だの何だのと次々浮かぶものを端からどうでも良いと切り捨ててしまえそうな。
真っ直ぐこちらを見据えてくる紫紺の瞳に自分を丸ごと預けてしまえそうな強さを見つけて、その光に半ば酔いながら答えると、なんだか緊張していたらしい目の前の人物の肩の力が抜けるのが見て取れた。
今なら、多分聞いてもいいだろう。
「ねぇ、君って何者なんだ?」
「・・・オーブの“影”で、民間人です。今はそれしか言えません。助かるために、信用してもらうしか・・・」
長い睫が伏せられる。下から見ていても睫で頬の辺りに影が出来るのが見えた。ゆるりと視線を落とした姿はどこか不安げで、オーブの“影”ということは特に引っかかったが、今は自分たちを守ろうとしてくれていると伝わる気持ちに答えるほうが先だった。
大体、一度死んだと思った身だし、むしろ一緒に行って見たほうがこのまま自軍に戻って大人なしく謹慎を食らうよりも幾分か有意義だろう。更にこの天使と仲良くなれればなおラッキーだ。
「わかった、任せるよ。・・・なんか、悪いな」
世話かけて。
安心させるように笑いながら答えると、表情を翳らせていた天使はゆっくりと笑みにほころばせ、小さく首を振る。
「いえ、そんなこと、ないです」
「うん・・・ありがとな、助けてもらうわ。・・・オレさ、ラスティ・マッケンジーってーの。んで、そっちはミゲル・アイマン」
天使さんは?
「僕はキラ・ヤマトです。じゃあ、ラスティ、さん。そっちの・・・ミゲルさんが目を覚ましたら、説明お願いできますか?」
「おう、わかった♪ラスティって呼べな、キラ」
舌っ足らずに不慣れな様子で呼ぶのが可愛い。名乗って良かったと自分の行動に満足ながらついつい呼び捨てで返してみると、キラはくすっと笑って徐に立ち上がった。
そうして、最後にほんわか気分のラスティ直下で投下されたのは、
「わかった。・・・ラスティ、ミゲルさんの機体壊したの、僕なんだ。だから恨みがあるなら僕にって伝えてくれる?」
ああ、何があってもここから動かないでね。
有り得ないほど巨大で強烈な爆弾だった。
その一瞬では理解できないくらいの事後報告に思わず硬直しているうちに、爆心地をにっこり笑って眺めた本人は「キラ――!」と遠くから聞こえる女の子の声に返事して走り去ってしまった。
「・・・うっそだろー、キラッ!?・・・・・・っていうか・・・」
コーディネイターとしても軍人としても、否ナチュラルの民間人と比較しても遅すぎる反応に応じることなく向けられたままの細い背中に虚しくなったりとか、ミゲルを落とす腕前で“民間人”は本当に有り得ないだろう、とかまたもや不思議な人物への謎は深まるばかりだったが、
「オレら、あの子に着替えさせてもらったのかな」
だとしたら、なんだかすごく恥ずかしいかも。いやキラは男だし男だと思うんだけど。
大半が混乱したままの思考をこの事態とは45度程違ったほうに着地させたラスティは、なんとなく現実逃避したい気分でどうでもいい事を真剣に悩んでしまった。
広場のベンチで待つミリアリアの元へ駆けながら、キラは拾った人が予想以上にいい人そうでよかった、と胸を撫で下ろした。
こんな非常時に現れた初対面の、“ナチュラルかもしれない”自分に向けられる視線に嫌悪はなかったし、自分の提案もすんなり受け入れてもらえた。・・・もし受け入れてもらえなくても、こちらが起きるまでは説得する気満々だったけど。
恩を売る云々も何もなく、キラは端ッから彼らを置いていくつもりは毛頭なかった。ただ友人たちも一緒に行くと言ってくれた手前、彼らの安全は確保しておきたい。
友人たちの安全が大前提になった計画を遂行するために、さて彼女と交わす一言目は何にしようかとミリアリアから水をもらっている女性を見ながら考えつつ、ポケットの中にしまってあったトリィの電源を入れて飛ばした。
息の合った行動で手際よくあれこれを済ませた後、せめて一応避難所くらいはと調べていたのだが。
隠れて作業していたキラの体をミリアリアが拘束し、トールにはパソコンを取り上げられ、更にサイが迫力ある笑顔でにっこり笑って説得体制に入った時は、一瞬その気概をフレイ相手に使ってあげればいいのにと思わないでもなかったが、ちょっと本気で逃げ出したくなった。
『キィラ、いっくらシェルター調べても私たち行く気ないからね?』
『そうそう、新造艦乗っけてもらうまでは家にも本土にも帰らないからな〜』
『いざというときはどうとでもして自分の身は自分で守るからさ、キラは俺らが固めた足場でも使って存分に仕事してくれたらいいし』
『それにキラ一人であんなのに乗せるのは心配だしな』
『そうよ!キラったら可愛いんだから変な虫がついたら大変だわ!』
『・・・そういうことだから、今キラがするのはこれじゃないよな?』
なんだか言葉に潜んだ威圧感が怖い。なにがなんでも付いていってやるぞという決意が耳に痛い。別に彼らを信用してないわけじゃないのに。寧ろここまでしてもらっていいのかというくらい頼ってしまっているのに。
本当は、巻き込んではいけなかったのだろう。戦争など外の国の話だと信じられる場所で育った彼らが、どんどん知らないうちに色んなことを出来るようになっていて。気づけばいつでも助けてもらっている。
・・・そう、頼れる友達なのだ。
こみ上げる不安も胸をきゅっと掴む喜びや切なさも、彼らの言葉で昇華させてキラは避難所探索を打ち切ってラスティの元へ向かったのだが。
本当に、こんな大切な友達を持てた自分はなんて幸せ者なんだと、心から実感したところだったのだ。
だから。
「その機体から離れなさいっ!」
領土侵犯の軍人ごときが、その友達に銃を向けることなど・・・到底許せるはずもなかった。
「っ・・・!!」
(ミリィ、放して!)
(だめよ、キラ!あの人脅してるだけだもの、撃てやしないわ!)
咄嗟のミリアリアの制止が無ければ、先程紅服に向け今も背中に隠している銃を抜いていた。この仕官を撃てば、それがどんな結果になろうと当初の目的を果たすことはおろか、友人たちの避難場所も本当に確保できなくなる。そして、その後の友人たちの反応も考えていなかったのだ。
「これは軍の最高機密よ。民間人がむやみに触れていいものではない」
なんとも勝手な言い分。まるで自分のもののような言い草に、再び理性が飛んでしまいそうになるのをなんとかこらえる。
冷静にならなければ。深く深く呼吸を繰り返し、胸元の・・・服の下に隠した“芙蓉”に触れた。硬質な感触が、オーブの意思を示すものとしての義務を思い出させる。
そうだ、ここには守るべきオーブの民がいる。
列に並ばされ、もう大丈夫だから、という意思を込めてミリアリアの手に触れ、キラはこちらに銃口を向ける女性軍人と視線を合わせて名乗る。
すると彼女は戸惑いを含んだ視線を向けてきていて、そういえばキラ自身が出会った時くらいしか自分がコーディネイターであることを示唆していなかった所為か、彼女の疑問の答えになりそうなことは一切話していないし今のところ見せてもいない。
「――私はマリュー・ラミアス。地球軍の将校です。申し訳ないけど、あなたたちをこのまま解散させるわけにはいきません」
焦りが見える固い口調。しかしそのくせ民間人の自分たちに対する迷いも見え隠れしていて、甘いなとキラは目を眇めた。
トールたちが「ぇえー !?」と非常に民間人の子供らしい不満げな声を上げるのを聞きながら、軽く自分の腕を掴んだままのミリアリアの手を叩き、任せてほしいと合図を送る。
そして、自分は安全を欲している民間人だと自己暗示をかけた。ミリアリアがトールたちに合図しているのが見える。迷っている場合じゃない。自分には彼らを守る権利と義務があるのだ。
銃を見ると腹が立つから、極力視界には入れないで。・・・一芝居、打ってやろうじゃないか。
「事情はどうあれ、軍の最高機密を見てしまったあなたたちは、しかるべきところと連絡が取れ、処置が決定するまで、私と行動を共にしてもらいます」
「ほんとうですかv!!?」
粗方言わせ終わったタイミングで、キラは相手の虚を衝くとびっきりの笑顔でマリュー・ラミアスの言葉尻に乗っかって叫んだ。
案の定、一体何なのかと彼女は銃を向けたまま目を剥いて固まってくれる。そこに、畳み掛けるように言い放つ。
「しかるべき所って言ったらヘリオポリスかオーブ本土しかありませんよね!僕らは純粋なオーブ国民ですし、民間人が捕虜だの拘束だのなんて有り得ないですし。まぁ処置って言ってもヘリオポリスさえ無事なら僕らはここに帰ってこれるに決まってるんですけど、実はシェルターがどこも空いてないかロックされてるかで避難できなくて困ってたんです!大体さっきモルゲンレーテから一機飛んで行っちゃったのに今更軍事機密も何もないですよね〜よりによってそちらの敵軍にはダダ漏れなわけですし。
本当によかった!地球軍がオーブを勝手に見下して利用して作るだけ作らせたら民間人見捨ててトンズラするような人でなしじゃないってわかって!!」
キラが見せる目の潰れそうな笑顔に驚いて変な顔になっていた4人は、その言葉が進むにつれて友人の意図を性格に読み取ったらしく、それぞれ不満や不安の表情を一変させて歓声を上げ始めた。
「え、ぇえ!?」
「な〜んだ、そっかぁ」
「もしかして連行とか言われんのかなってヒヤっとしたよ」
「まっさかー!俺らそんな謂れ微塵もねぇじゃん!」
「そうよね、いくら地球軍でも自分を助けて治療までしてくれた民間人を拘束するほど人非人じゃないわよね!」
「オーブの法律遠慮なくブチ破って領土侵犯までしてるんだから、まさかわざわざこれ以上罪状増やすようなマネしないよな〜」
「巻き込んだのは軍なんだし、そう考えると保護する義務だってあるよな!」
「そう、だよね〜」
明らかに自分の思惑とは違う方向にずらしている学生たちの認識に激しく動揺する女性軍人を無視して。しんと静まった辺りに学生たちの声が響き、彼らの周りをくるりくるりとトリィが飛び回る。旋回するロボット鳥の姿だけがやけに長閑だ。
「ちょ、ちょっと待っ」
「父さんたちにすぐ会いにいけないのは不安だけど、きっと責任もってオーブに返してくれるんだろうし」
「俺らはオーブ国民だしな!こんなに変なことになってるけど、せめて民間人の俺たちだけでもオーブの理念を守んないとな」
「オーブは地球軍の同盟国でも属国でもないんだから、軍人だからって命令する権利なんか足らない脳ミソの欠片もないしね!」
「そうと解ったら善は急げ。避難ってどこに行くんです?」
「ええ?え・・・っと・・・」
「ぇえ?避難するんですよね?保護してくれるんですよね?僕ら見捨てて一人で安全な所に逃げ出すなんて卑怯者の鑑みたいなことまさかしませんよね?」
「もちろんよ、避難先に連れて行くわ!・・・・・・・あ」
よっしゃ墓穴掘った!
大人の女性を混乱に陥れていた学生たちは内心で密かにガッツポーズする。話題をそちらへ誘導し言質を取れたと判断したキラは、貼り付けた笑顔を大盤振る舞いして飛び回っていたトリィを指先に止まらせた。
「それで、僕らをどこに連れて行ってくれるんです?」
「ぇえ・・・その前に、少し・・・」
彼等が同行するということをやっと認識できたらしい彼女は、密かに感じていた良心の疼きに耐えられずすべり出た言葉も否定できないまま、取り敢えず連れて行ってしまおうと指示を出した。
この時のことを彼女は後々後悔することになる。
そう、彼女は気付かなかったのだ。
目覚めて始めに取った行動が、既に彼女自身の失態だったことも、トリィが彼らの周囲をずっと旋回していたことも・・・キラの瞳が、笑顔でありながら彼女を冷たく見据えていたことも――
温かい風が吹いている。一旦戦闘が止んだ辺りはやけに静かで、ハッチを開けたままコックピットの中にいたキラは、心地よく髪を梳いていく風にゆるりと目を細めた。
昼寝に丁度良さそうな気候だ。天候不順な地球と違って、コロニー内は一応の四季らしきものはあっても、年中それなりに快適な気温を保たれている。
月にいた頃などは、ついつい眠気に襲われて不快な監視をすり抜けて学校を抜け出し昼寝スポットを捜し歩いたものだ。
「え〜・・・こちら、X105ストライク〜。地球軍、気が向いたら応答してくださーい」
明らかにやる気の無い声音で通信機に呼びかける。どうせここからベンチに座っているマリューまでは声など届かないから大丈夫だろう。
先程まで気儘に飛び回っていたトリィは、今はパソコンに繋がれて大人しくしている。モニターに映されているのは先程の自分たちのやり取りを記録したものだ。
データ転送を終えてモニターを落として、トリィの電源を切って懐にしまった。これから軍艦に行くのだ、不審物だの何だのと言って取り上げられたらたまったものではない。
そうこうしているうちに、パワーパックの代わりの武器を取りに行っていた三人が戻ってきて「キラ〜」と外から呼ばれ、顰めた眉根を解してキラは外へ身を乗り出した。
「あ、お帰り〜大丈夫だった?」
「おう、サイとカズイが行ったよ。途中で見てきたけど、結構平気そうだったぜ〜」
「よかった。サイ、カズイ、ありがと〜」
「これくらいは、ね〜」
「そうそ、ナンバー5のトレーラーって、あれでよかったか?」
「うん、バッチリ!」
何故だか彼らは意味不明な会話と共に、頼んだ本人ではなくキラ少年に作業の確認を取り、「ちょっと動かすから、離れててね〜」と手を振る彼に事も無げに頷いてその場を離れた。
「ちょ、あの子、MS動かせるの!?」
キラがコックピットに入っていった時点で察しえたはずの“何を今更”な問いだったが、目の前でごく滑らかな動作を見せるMSに、マリューは思わず立ち上がって傍らに立つミリアリアに訊ねた。
「勿論ですよ〜じゃないと誰が工場区からあんな大きな物ここまで運ぶんですか」
返る答えは全く以ってにべも無い、しかしもっともなことで。
そういえば、とマリューはキラに会った工場区で、彼がキャットウォークからMSの上に着地したのを思い出した。その時感じた疑問が確信に変わるのを感じながら、マリューは指先で銃に触れ、武器をストライクに装備させているキラの元へ歩み寄った。
キラが駆け去って行って暫くした後、パンッと響いた銃声に思わずラスティは物陰から身を乗り出すようにしてそちらを伺った。
静かになった市街地に不似合いなそれに反応したのは、今までピクリとも動かなかった隣のミゲルも同様だったらしく。
「な、何だ!?何があっ・・・ててて、て!?」
飛び起きてすぐ傷の痛みに倒れ、
「ら、ラスティ!?」
人の名前を呼んで、幽霊でも見たような顔で硬直した。
そりゃ仕方無いだろうけどさ。
「おーっす、ミゲル。おそよう」
「お前、生きてたのか!?・・・幽霊じゃないよな?」
「自称オーブの民間人らしい天使に助けられたんだ、いーだろ~」
「それは天使なのか人なのかどっちなんだ。とにかく、死んでないんだな?」
「あの世がこの世と同じ所でなきゃ生きてるってことじゃねぇ?」
「・・・そっか・・・アスランが、お前は失敗したって言ったから。死んだとばっかり思ってたぜ」
「ひっでぇ・・・人が気絶しただけで殺すなよなぁ、あいつも」
今回の作戦が作戦なだけに、置いて行かれたことも恨みやしないが、これでもしキラが助けてくれなかったらと考えるとぞっとする。
気絶したまま、オーブ側に拘束されるか地球軍の捕虜になるか殺されていたか―――肋骨辺りが何本か折れているミゲルの場合、身動きも取れないのだからもっと酷いことになっていたかもしれない。
「んで、状況は?」
「あー・・・・・・っと、ちょっと待てな」
先程受けた説明をミゲルにも話そうかと口を開きかけたが、また新たな銃声にラスティは集まっているキラたちと銃を向けている女性に目をやった。
キラと固まっているのがオーブの友達で、オレンジの作業着が地球軍の人間だろう。軍人が民間人を脅している理不尽な光景に飛出していきたくなるも、キラが最後に残した忠告を思い出し、座り込んだままあちらの声を聞き取ろうと耳を澄ませた。
小休止状態で静だった広場に響く若くて高い声を聞き取ることなど、ナチュラルより格段に優れた聴覚を持つコーディネイターなら――特に訓練された軍人であれば容易なことだった。
『事情はどうあれ――・・・もらいます』
丁寧に言い換えた脅し文句。今すぐ後ろから撃ってやりたい、とその後姿を睨んだが、ラスティは視界に入れていたキラの表情の変化に目を瞠った。
目に鮮やかな満面の笑顔。つい魅入られてしまう可愛らしさだったが、なんでか寒気のするそれに、自分に向けられているわけでもないのにラスティは後退りしたくなった。
そしてその後の話の展開にポカリと口を開いて間抜け面を晒す。
「・・・な、なぁ・・・?」
ラスティ同様耳を済ませていたミゲルは、怒涛の如く学生たちによって叩き込まれる言葉のジャブに、視線だけをラスティに寄越してきた。
「最初のって、お前が言ってた天使か?」
「そうだよー・・・間違いなく。もー笑顔がすっげぇ可愛いの」
今の“笑顔”はちょっと寒かった気がするが。
「で、何者だ?」
「・・・・・・本人は、オーブの“影”で、民間人だって言ってた」
“影”ってなんだとかそれ以上聞かれても困る。自分だって聞いてないし知らないのだから。だがミゲルはラスティの返答に疑問ではなく引っかかりを覚えたのか、考え込む素振りを見せていた。
ラスティはあちらの様子を伺いながら、じっと黙ったミゲルにキラからの提案を聞かせた。ふーんと生返事をする同僚を放置して聞き入っていると・・・あちらでは銃を向けて“拘束”するはずだったのが、いつの間にか“保護”ということになっている。
なんとなく詰めの甘そうな口ぶりだったあの軍人の言葉尻を掴んで、自分たちの発言がさも揺ぎ無い当たり前の真実だというように相手の罪悪感を刺激しながら、さっさと話を進めてしまったのだ。
言葉の先頭を切ってるのは、やっぱりキラで。
「・・・民間人にしちゃ、度胸も手際も良すぎじゃね?」
ついには彼らの発言の肯定までして、やれ軍との通信がどうのMSのエネルギーパックがこうの、トレーラーが工場区にあるだのとすっかり銃を向ける気力が萎えたらしい軍人が説明しては、キラやもう1人の少年が中心になって動き始めた。
「影・・・影、ねぇ・・・」
「ミゲル知ってんの?」
やっと考え事から戻ってきたらしい同僚を振り返って訊ねると、秀麗な顔を難しく顰めてミゲルはガリガリと頭を掻きつつ答える。
「なんか、前にオーブの本土から流れてきたやつに聞いた気が」
しかもすんげぇ憧れの対象みたいなキラッキラした目とあっつい弁舌で。
「あれ、キラそれも言ったんだ?」
「や、影って単語しか聞いてないけど」
「んじゃわかんないよな――ま、説明する時間も無かったろうけど」
「そうそう、あっちの軍人さん起きちゃったみたいだし・・・ね〜・・・?」
「・・・ラスティ、気付けよ。せめて来た時に」
体を硬直させたラスティに、ミゲルが深々と溜息を吐いた。そりゃそうだ。自然に会話に入ってきた人物に気付かず放し続けて、しかも気付いてなかったことを自分でバラしてしまった。とんだ失態だ。
振り返ると、ぴらぴら手を振りながらにこやかな笑顔を見せる、茶髪に同色の目の見た目普通の学生な少年が佇んでいた。
「ども、キラの友達A、トール・ケーニヒでっす。怪我の具合はどんな感じ?」
ラスティのさり気無い落ち込みも気にする様子も無く、そしてザフトの軍人である自分達を怖がる様子も無く、ひょいひょい二人がいる物陰に入りしゃがみこんで視線を合わせてきた。
その際、ついでとばかりに広場のほうを指差し、「あと三人いるけど、オレンジがサイで、スカートがミリアリア、黒髪がカズイね」と簡単に彼らの名前も教えられる。一緒に行動するなら知り合いと言うことにしたほうがいいから、とも。
「良好って訳じゃないけど、動けないでもないよ。・・・気絶しちまった頭の傷より肩のが痛いかな」
トールの言葉に頷きつつ内心で自分の体を自己点検して答えると、本人よりも痛そうな顔をして納得顔で頷かれた。
「あ〜・・・やな感じに抉れてたからなぁ・・・一応化膿止めとか消毒とかしてシート被せて止血したんだけど、痛み止めが眠剤入りの錠剤しかなくて。眩暈とか吐き気は?」
「へーき。さっきのやりとり聞いて気分爽快だよ〜」
「そりゃよかった。みんな今回のでストレス溜まってるから、あれぐらいはな〜。ああ、二人ともモルゲンレーテの職員って設定でいくみたいだから、あっち着いても不満ぶちかませそうなら言っちゃっていいからさ」
相手軍人だけど、まぁ大丈夫だよな。
「どゆこと?」
そういえば痛みはあるもののバッチリ治療されている肩に手をやりながら、一般人から出された地球軍批判推奨発言に首を傾げる。キラはコーディネイターだろうが、彼らはナチュラルに見える。なのに地球軍寄りではない、ということだろうか。
そんな風に単純に考えていたのだが、トール少年から発されたのは、出撃前の自分たちの発言を自己嫌悪したくなる代物で。
「キラによると、地球軍と勝手に結託してたのはヘリオポリスの上層部で、モルゲンレーテの職員はあれがオーブを守るものだと思って造ってたらしいんだ。そんなことあるのかってモルゲンレーテで働いてるうちの親父に聞いてみたら正にドンピシャで」
「つまり、モルゲンレーテは・・・」
「関係なし。ああ、大丈夫だぜ〜。キラが念のためにデータ抽出して連絡網作ってくれて、俺とミリィの親に手伝わせて緊急時の避難マニュアル回したから」
だから、ザフトが戦っていたのは紛れも無く地球軍のはずで、オーブの国民ではない。
そういえば、コロニー内はやけに静か過ぎたのだ。元々が平和の国で、突然の避難警報なんかがあれば当然何処かで生じるだろう混乱が起きている様子も無く。
本当に手際がいい。なんにしても、本当に無関係の民間人を巻き込んだのではなくてよかった、と一息吐くと、今まで黙っていたミゲルが口を開いた。
「それで、造るだけ造って送り出すつもりだったのか?」
「ミゲル!?」
どこか咎める口調の同僚を慌てて呼ぶが、トールを見る目は鋭い。一瞬気圧されたらしく背後で息を呑む気配がしたが、それもすぐに明るい空気に取って代わった。
「まっさかー!そんなつもりだったらキラはここにいないし、俺らもこんな所であんなんに捕まったりしてねぇよ」
と現れたとき同様、手をぷらぷら振って笑い飛ばされる。そうしている内に工場区からトレーラーが出てくるのを見止めたようで、トールはミゲルの様子を手早く聞き、「後で迎えに来るから」とだけ言い置いて立ち上がった。
その背中に、何とか自力で起き上がったミゲルが声を掛けた。
「っ・・・なぁ、」
「なに〜?」
「その、謝っても済まないけど・・・悪かった。お前らの家で無茶しちまって」
本来“敵”でもあるはずの彼の謝罪に驚いたのか「そんなの言うと思ってなかった」と素直に口にしたトールは、伝えとくと苦笑する。ラスティは自分も何かと考えて、そういえば彼にはまだ名乗ってないことに気付いた。
「オレっ、ラスティ!ラスティ・マッケンジーな!」
「俺はミゲル・アイマンだ」
「んじゃ、それも。また後でな〜」
慌てて名乗った様子の二人に――だって今にも走っていきそうな様子だったのだ――ニカッと笑ったトールは、バタバタとそのまま走り去ってしまった。
「・・・なぁ、ミゲル」
「・・・なんだよ?」
その後姿を見ながらポツリとラスティが呼びかけると、再び体を倒したミゲルが複雑そうに答えた。
多分、考えているのは似たような内容だろう。
「キラが影ってどういうことか聞けなかったな」
「そうだな」
「しかもなんだか謎が深まった感じ」
「そうだな」
「そういやオレら着替えさせたの誰か聞くの忘れた」
「アホか」
「・・・ナチュラルは皆やな奴で敵だなんて、何で思ってたんだろうな」
「・・・・・・・・・・・・」
ぽんぽん返る答え。
しかし深く重いため息と共に零れた最後の声に返ったのは、きっと自分の心情に対する無言の肯定だった。