協会活動
トップページ
ビュ-ヒナー関係刊行物
子 午 線
子午線1(2001年)
論文: 河原俊雄:家族宛のビューヒナーの手紙は「見せかけの嘘」か?-T.M.マイアーのビューヒナー
     書簡論への批判
     谷口廣治:『ヴォイツェク』に潜む挑発的モザイク―「お婆さんの童話」の成立史をめぐって
翻訳: 荒川宗晴:フォルカー・ブラウン「状況の破壊」―2000年度ビューヒナー賞記念講演
書評: 加藤智也:河原俊雄著『殺人者の言葉から始まった文学―G.ビューヒナー研究』 鳥影社 1998
       年

子午線2(2002年

論文: 花本美恵:レンツは山頂で二度座るのか?―『レンツ』の一文の解釈をめぐって
     谷口廣治:蒼穹を振り仰ぐ阿修羅像―宮沢賢治、そしてゲオルク・ビューヒナー
特別寄稿エッセイ・シリーズ「ゲオルク・ビューヒナーとドイツ語圏および世界の文学」その1:
     奥村淳:ヘッベルと ビューヒナー
翻訳: 本田陽太郎:フリーデリーケ・マイレッカー「ゲオルク・ビューヒナーのレンツをめぐるファンタジ
      ー、あるいはヴォゲーゼンの荒れ地シュタインタールにあるオーバーリーン牧師館での記憶革
      命」―二〇〇一年度ビューヒナー 記念講演
書評: 中村采女:Seiji Osawa:Georg Büchners Philosophiekritik. Eine Untersuchung auf der Grund-
      lage seiner Descartes- und Spinoza-Exzerpte.(Tectum Verlag Marburg 1999.

子午線3(2003年)

論文: 真田健司:圧縮された世界劇場―ゲオルク・ビューヒナー『レオーンスとレーナ』にみる空間の問
      題
     中村采女:『レオーンスとレーナ』の女たち―「だまされた」のちにあるもの
     谷口廣治:失われた夢の墓標―『レオーンスとレーナ』小論
特別寄稿エッセイ・シリーズ「ゲオルク・ビューヒナーとドイツ語圏および世界の文学」その2:
     木庭宏:ハイネとビューヒナー―革命と民衆とそして恋と
翻訳: 本田陽太郎:ガストン・サルバトーレ『ビューヒナーの死』(抄)
     池田紘一:ヴォルフガング・ヒルビッヒ「感謝の言葉―二〇〇二年度ビューヒナー賞記念講演」
書評: 奥村淳:谷口廣治訳ビューヒナー・レーデ研究会他訳『照らし出された戦後ドイツーゲオルク・ビ
      ューヒナー賞記念講演集(1951-1999)』 人文書院 2000年

子午線4(2004年)
論文: 谷口廣治:実証の藪を透かし見る―マールブルク版『レンツ』をどう読むか?
特別寄稿エッセイ・シリーズ「ゲオルク・ビューヒナーとドイツ語圏および世界の文学」その3:
    平野嘉彦:ツェラーン『子午線』の布置
翻訳:高坂純子:ハンス・エーリヒ・ノサック『ヘッセンの急使』
     松村朋彦:アレクサンダー・クル-ゲ「二〇〇三年度ビューヒナー賞記念講演」
書評: 栗林澄夫:エーバーハルト・シャイフェレ/下程息編『ビューヒナー解読―コロキウム形式による
      ―』 2002年
劇評: 大塚直:エイト・ビートのヴォイエツェク―ベティーナンセン劇場・東京公演Woyzeck(2003.4)観劇
      記
ビューヒナーとの出会い: 岡山裕子:革命と神の摂理
     橋爪由紀:いまだ姿をみせてくれないビューヒナ


子午線5(2005年)

論文: 谷口廣治:実証の藪を透かし見る その2-マールブルク版『レオーンスとレーナ』をどう読む
      か?
特別寄稿エッセイ・シリーズ「ゲオルク・ビューヒナーとドイツ語圏および世界の文学」その4:
     内藤道雄:絶望という名の希望
翻訳: 本田陽太郎: ガストン・サルバトーレ『ビューヒナーの死 後編』(全訳)
     大塚 直: フォルカー・ブラウン『もうひとりのヴォイツェク』
     兼田 博: ヴィルヘルム・ジェナツィーノ『文学における慰めのなさと慰めようのなさ-謝辞』 (2004
     年ビューヒナー賞記念講演)
劇評: 堺 雅志: うずめ劇場第18回公演『レオーンスとレーナ』観劇記
研究ノート: 岡山祐子: 『ダントンの死』における二つの神
ビューヒナーとの出会い: 葉柳和則:回帰する場としてのビューヒナー、あるいは楕円運動としての学
                  問的個人史

子午線6(2006年)
論文: 谷口廣治: 実証の藪を透かし見る その3 -マールブルク版『ヴォイツェク』をどう読むか? テ
      クスト・クリティークを中心として
     竹内拓史: マールブルク版『ヴォイツェク』批評―QuellendokumentationとDebatte um den Woyzeck-
      Prozesの部―
特別寄稿エッセイ・シリーズ「ゲオルク・ビューヒナーとドイツ語圏および世界の文学」その5:
    深見 茂: 女神なる自然 ビューヒナーのレンツにおけるヴァルトバッハ旅行とクライストにおける
     ヴュルツブルク旅行
特別寄稿:Ernest W. B. Hess-Lüttich: Büchner-Rezeption in Sprachwissenschaft und Dialogforschung
 .    Das Drama Dantons Tod aus politolinguistischer und kommunikationstheoretischer Sicht
翻訳:谷口廣治: アレクセイ・トルストイ『ダントンの死 悲劇(12場)』(ゲオルク・ビューヒナー原作) 
     その 一(前半 五場)
    荒川宗晴: ブリギッテ・クロナウアー「二〇〇五年度ビューヒナー賞記念講演」
ビューヒナーとの出会い: 浅野英雄: MosaikでつくられたVenusとしてのマリオン

子午線7(2009年)
論文: 
武藤奈緒美: 『カトー演説』についての試論
特別寄稿エッセイ・シリーズ「ゲオルク・ビューヒナーとドイツ語圏および世界の文学」その6:

     清水純夫: ゲーテとビューヒナー フィリーネとマリオンをめぐって
翻訳: 谷口廣治: アレクセイ・トルストイ『ダントンの死 悲劇(十二場)』(ゲオルク・ビューヒナー原作)
      (その二(後半七場)
      荒川宗晴: マルティン・モーゼバッハ「二〇〇七年度ビューヒナー賞記念講演 王の最後の手
       段」
書評: Eberhard Scheiffele:Teraoka Takanori: Spuren der Götterdemokratie. Georg Büchners Revolu-
      tionsdrama Danton's Tod im Umfeld von Heines Sensualismus (Bielefeld 2006 Aisthesis-Verlag)

子午線8(2010年)
論文:
中村采女:  ルイーゼ・ビューヒナー  ゲオルクの妹とその未完小説について
エッセイ亀徳也:  レンツの道  
特別寄稿エッセイ・シリーズ「ゲオルク・ビューヒナーとドイツ語圏および世界の文学」その7:

     島谷 謙ドイツ表現主義とビューヒナー
翻訳谷口廣治: スペイン語訳『ヘッセンの飛脚』
     高坂純子:: ヴァルター・カパハー「二〇〇九年度ビューヒナー賞記念講演」
     本田陽太郎 谷口廣治 ゲオルク・ビューヒナー 生と創作の小年代記 - 序論
批評 浅野英雄:  トルストイ作『ダントンの死』について
     加藤智也 武藤奈緒美: 誌上合評会 『カトー演説』についての試論 タイトルをめぐって

子午線9(2011年)
論文: 加藤智也: L.ヴァイディヒ研究 非合法紙『燭台』の考察
翻訳: 大塚 直: ヨーゼフ・ヴィンクラー: 現実をあたかも存在しないかのように語る
      岡田恒雄: ヤーコプ・ミハエル・ラインホルト・レンツ: 演劇覚書 (その一)
      中村采女 Uneme NAKAMURA: ルイーゼ・ビューヒナー: 『ある詩人』(小説断片)
批評: 元吉瑞枝 中村采女 紙上合評会: 中村采女「ルイーゼ・ビューヒナー  ゲオルクの妹とその未
      完小説について」 
     岡田恒雄: 追悼 石井不桑雄先生の思い出
     石井不桑雄: ゲオルク・ビューヒナー『レンツ』のために(1) 文学と文学者の諸源をめぐる考察
     〈序章のみ〉

子午線10(2012/2013年)
論考: 下程 息: 『考察』における『ダントンの死』からの「引用」の史的背景―非政治的作家トーマス・
       マン
      中村采女: 村山知義とビューヒナー―日本におけるビューヒナ受容のために―
      西村雅樹: ホーフマンスタールとビューヒナー
特別寄稿: 大澤清治: トーマス・ミヒャエル・マイアーの思い出