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   2 あなたと築く幸せ

 

 時間が経つのなんて、ほんとあっという間。

 今日は12月24日。待ちにまったクリスマス・イブ。

 この日の為に、私も仕事を頑張ってきた。でも、今日の楽しみを想像していたら、遅くまでの仕事も苦にはならなかったし、晴れやかな気分でいられたので、自分にとっても周りにとっても良い影響を生み出せた。

 今まで仕事のために頑張って来たのだから、今日だけはアイドル七宮 雛は休業。

 私は鏡台の前にすわって、長い黒髪を櫛でとく。

 毎日の光景ではあるが、牧兎くんと会うときは、鏡に向かう心境がいつもと異なる。

 今日はアイドルとしての七宮 雛ではなく、普通の女の子としての七宮 雛なのだ。だから、それに合わせた化粧をしなければならない。

 どんな化粧にしようか? 何を着て行こうか? それを考えるだけでも、結構迷う。勿論、自分を綺麗に見せたいのもあるが、見てくれる人に喜んでもらえるように一生懸命化粧をする。そして、一緒にいる人を、私自身で少しでも飾ってあげるのも大事なこと。

 だから、自己主張がはげしすぎてもいけない。

 牧兎くんといても不自然ではなく、自分に似合った色って何だろう? 

 待ち合わせ時間にはまだ余裕もある。だから、そんなことをゆっくり考えるのも、とても楽しい。

 結局、あれこれと悩んだ挙句、どうにか化粧は決まる。とりあえずはあまり派手なのも何なので、薄めの化粧にする。口紅も、以前私の誕生日に、牧兎くんがプレゼントしてくれたものを使う。きっとこれが、私に似合う色のはずだから。

「ん。これでいいかな」

 しばらく化粧に時間を費やし、完成する頃には自分でも納得の出来だった。自分で言うのも何だけど、化粧だけはちょっと自信がある。もっともそれは、仕事上でプロのメイクさんに色々とアドバイスなんかを聞いているからだが。

 多少地味かもしれないけど、こんなところでいいよね。それに今日は外も寒い。色々とコートなどを着こむことを考えれば、私の場合は地味な方が似合うことも多い。

 なんだかんだやっていても、今回の化粧は、大学に通っている時にした化粧の延長でしかないような気もする。

「さあ、そろそろ行かないと」

 部屋の時計は4時50分をさしている。牧兎くんとの約束の時間は6時。

 とりあえずは牧兎くんへのプレゼントも買ってあるし、頼まれていたお弁当もつくってある。本当はどこかで食事をとる予定だったのだけど、牧兎くんが急にお弁当がいいと言い出したので、朝から一生懸命つくったのだ。

 冬の夜空の下でお弁当というのも寒いかもしれないが、それはそれで良い思い出になりそう。

 牧兎くんと一緒なら、どこにいたって楽しいだろうし、きっと心は温かくなる。

 私はお気に入りのコートを羽織り、手袋とマフラーも用意。あとはお弁当などの荷物をもって、いよいよ出かける。

 今日は特別寒いけど、天気が悪いわけではない。雨が降らないように祈った甲斐はあるのかも。

 あとは、今日という日が素晴らしい日になることを願うだけだね・・・・・・。

 

§

 

 待ち合わせは、とある駅のバスターミナル前だった。

 約束時間の15分前に、私はその場所にたどりつく。

 牧兎くんはさすがにまだ来ていない。だから、私はじっと彼を待つことになる。

 それにしても、今日はさすがクリスマス・イブなんだなと思う。ほんのささいな光景ひとつにしても、そこには幸せが溢れているような気がする。

 駅から出てくる会社帰りのおじさんの手には、ケーキの箱や大きな荷袋。あれって子供さんへのプレゼントかな? だとしたら、あのおじさんたちは、今夜は夢を与えるサンタさんになるんだね。

 私も幼い日の頃を思い出して、少し胸がいっぱいになる。子供のころは、サンタさんのプレゼントをもらっただけで大はしゃぎだった。とても嬉しくて、サンタさんに感謝の手紙を送ったことだってあった。

 でも、サンタさんが本当はお父さんだって知らされた時は衝撃だった。知ったのは小学校3年の時に、クラスメイトの女の子に言われたのがきっかけだが、丁度その年の夏に私のお父さんは病気で亡くなっていたのだ。

『雛ちゃんにはお父さんがいないから、今年のクリスマスはサンタさん来ないね』

 女の子にそう言われ、サンタさんの正体がお父さんだって知った時、私はにわかに信じられなかった。悲しくて、ものすごく泣いた覚えもある。

 だけど、泣いている私に、サンタさんは他に存在するって励ましてくれたのが牧兎くんだった。そして、牧兎くんはその年のクリスマスに、ものすごくヘンなサンタさんの変装をして、私にシュークリーム1個と、なんとかマンに出てくる怪獣の人形をプレゼントしてくれた・・・・・・。

 私はその時、やはり泣いた。でも、それはとても嬉しかったから。

 牧兎くんの気持ちが嬉しくてたまらなかった。

 それに、確かにサンタさんはお父さんとは別に存在したことにもなる。牧兎くんという、とても優しいサンタさんが。

 ・・・・・・いま思えば、それが牧兎くんを好きになった決定的な瞬間だったんだろうな。それから、彼と一緒にいるうちにどんどんと想いは募って、いまもそれは続いている。

 こうしていると、とても幸せな記憶が私を温めてくれる。

 だから、約束の6時が過ぎて、牧兎くんが30分以上遅刻してきたのも気が付かなかったくらいだ。

 6時40分頃、牧兎くんは私のいるバスターミナルまで息をきらせながら走ってきた。

「すまない。かなり遅れた」

 やってくるなり、牧兎くんは頭を下げる。

「別にいいよ。牧兎くん、ちゃんと来てくれたし。私はそれだけで嬉しいよ」

 私は笑顔で答えてあげた。本当はもう少し怒るべきなのだろうが、待たされて別に嫌な気分でもなかったので許してあげる。ただ、今度から遅れないでね、と釘はさしておいたけど。

「とりあえず頼まれていたお弁当もつくってあるけど、どうしよう?」

「海の方でもいかないか」

「海?」

「ああ、臨海の公園なんかだったら、落ちついて弁当も食べれそうだしな」

「そうだね。いいよ」

「なら、ここから出ているバスにでも乗るか」

「うん」

 こうして私たちは、海の方へと向かうバスに乗り込んだ。

 バスの中では、お互い横並びに座ることができた。

「ふう。ようやく落ちつくことができた。ここまで来るのに、かなり急いだからな」

「ご苦労様だよ」

「それって皮肉か。少なくとも遅刻してきたやつに言う台詞じゃないぞ」

「それでもご苦労様だよ。遅刻したのが悪いと思ったから、急いで来てくれたんでしょ?」

「・・・・・・まあな」

 牧兎くんは、照れくさそうに頬をかく。

「だったら、その気持ちだけで嬉しいよ。でも、どうして遅刻したの?」

「単に寝坊だ」

「寝坊って、また寝てたの?」

「俺にとって夕方の時間は、おやすみタイムなんだよ。大体、いつも夜のバイト時間までは寝てるしな」

 そういや牧兎くんは、深夜のコンビニでバイトをしていると聞いた事がある。深夜から明け方にかけてまで仕事をし、その後は大学。だから、夕方に寝るというのも無理のないことかもしれない。

「色々と大変だね」

「でも、おまえだって大変だろう」

「私は大変っていっても、好きなことをしているだけだもん。だから、それを大変だとか思ったら贅沢だと思う」

「そう言いきれる雛はすごいな。普通はそんなものだけで、割り切れるものじゃないだろうに」

「もちろん大変な時だってあるけど、牧兎くんが応援してくれていると思えば、私はいくらでも頑張れるよ」

「・・・・・・・・・・・・」

 牧兎くんが急に押し黙った。

「どうかしたの?」

「・・・・・・なあ、雛」

「うん?」

「おまえ、今の仕事好きか?」

 唐突な質問。真面目な口調で問われる。

「そりゃまあ、好きだよ」

「何で好きなんだ?」

「歌をうたうのが好きだからだよ。どうしてそんな質問するの?」

 疑問だった。牧兎くんは何が言いたいのだろう。少なくとも、こんなことは改めて言うまでもないはずだ。

 彼はまた少し黙っていたが、やがて口を開いた。

「・・・・・・何となく確認したかっただけだ。歌うのが好きで、それが幸せだって言えるのならそれでいいさ。ただ、これだけは忘れるなよ。応援しているのは、何も俺一人だけじゃない。おまえには沢山のファンがいるんだから、そいつらのことも考えてやれよ」

 そう言うと彼は、私の頭をポンと撫でる。

「それもそうだね。でも、ちゃんとファンのことは大事に思っているよ」

「だといいんだけどなぁ。雛って、昔からどこか間抜けな所あるしな」

「うぅん。否定はしないけど、そんなにヘンかな?」

「他の奴と比べたら、そりゃあ異彩をはなってたぞ。中学の時なんか、俺はおまえのせいで迷惑を被りかけたんだぞ」

「・・・・・・そんなことあったっけ?」

「作文の宿題で、将来に対する夢を書けっていうのがあっただろ。それで、おまえは最初に何を書こうとしたか覚えてるか」

 そういえば昔、そんな宿題があったのは覚えてる。その時、私が書こうとしていた夢は・・・・・・。

「・・・・・・たしか、牧兎くんのお嫁さんになりたいですって書いたと思う」

「そう。それだ」

「でも、あれは牧兎くんがダメ〜って言うから書きなおした筈だよ」

「当たり前だ。あんなものクラスの連中の前で発表されてみろ、俺たちはいい笑い者だぞ」

「・・・・・・でも、私は本気だったよ」

「本気でも冗談でも、あれはさすがにマズいだろ。もっとも、書きなおした作文もある意味で恥ずかしかったがな」

「将来はアイドル歌手になりますって書いたんだよね。でも、あれって牧兎くんのアイデアだよ。お嫁さん以外で、何か夢とか好きなことはないのかって牧兎くん訊ねたでしょ? そのとき私が、歌うことは好きかなって答えたら、アイドル歌手にでもなれって、牧兎くんが言ったもの」

「だからって、そのまま書くとは思わなかったぞ。まるで小学生レベルの夢だなって、クラスの連中だって笑ってたし。・・・・・・とはいえ、今となっては本当にその夢がかなった訳だけど」

「牧兎くんが示してくれて、せっかく書いた夢だもの。できれば嘘にはしたくなかっらから、頑張ったんだよ」

「おまえのそういう所は、律儀というか何というか」

「夢は一つの目標だよ。だから、何も目指すものがないよりはいいんだと思う。それに牧兎くんだって、目指すものはあった筈でしょ?」

「バスケットの選手か? 確かに憧れてはいたが、俺みたいに背が低いやつでは無理さ」

 自嘲気味に笑う牧兎くん。私は彼の手を握り、そっと耳元で囁いた。

「大丈夫だよ。背が低くても、頑張れば道は開けるかもしれないよ。それに牧兎くんの名前には、兎って文字が入っているし、兎さんのように高く飛べるよ」

「ま、応援としては、素直に感謝しておく」

「うん。本気で応援してるよ!」

 その後、バスの中では他愛もない思い出話で盛りあがり、30分もすれば目的の場所までたどりつく。

 そして、バスを降りたとき、私は臨海の夜景に思わず目を奪われた。

 田舎の海とはまた違った趣が、都会の海にはある。臨海に面した洒落た建物の明かりは淡く海を照らし、華やかな中にも落ちついた雰囲気を醸し出す。また、近くの遊歩道もクリスマス独特の飾り付けがなされ、とても綺麗。

「すごくいい感じだよね。牧兎くんもそう思わない?」

「・・・・・・悪いとは思わないがそんなにはしゃぐことかな。ここにだって何度か来たことあるだろうし、俺たちの住んでた神戸だって夜景は似たようなもんだろ」

「牧兎くんてば風情がないよ。確かに見なれてはいる光景かもしれないけど、綺麗だと感じたものは素直に感動して喜ぶべきだよ」

「そんなのは感動したいやつだけでしていればいい。それ以前に俺は寒くて仕方ない」

「大丈夫? 牧兎くん」

 彼があまりにも寒そうなので少し心配だった。でも、それもなんとなく納得がいく。牧兎くんの着ているジャンパーって、今日のような寒い日に着てくるには少し薄いような気がする。

「牧兎くん。そのジャンパーって寒くない?」

「寒い。でも、仕方ないだろ。遅刻して慌てて出てきたら、これしか手近になかったんだ」

「そんなに慌てることなんてなかったのに。連絡さえくれれば、どこかで時間だってつぶしていたよ」

「・・・・・・そこまで頭がまわらなかった」

 牧兎くんの肩がガクンと落ち、思わず口許に手をあてて笑ってしまう。

「とりあえず、早いうちにお弁当食べようか。温かいお茶も用意してきたし、それを飲めば少しはましになるかも」

「それもそうだな。食って寒さでも忘れるか」

 私たちは手近なベンチを探し、そこでお弁当を広げることにした。

 今日つくってきたものはお手軽にサンドイッチ。寒い外で食べることを考えれば、ヘンに凝ったものをつくってきても、冷たくなっては勿体無いもの。

「はい。どうぞ」

 温かいお茶を手渡して、私は牧兎くんの反応をうかがった。

 牧兎くんは一口お茶を飲んで、ゆっくりとサンドイッチを頬張り始める。そして。

「うん。悪くはないな。美味しいと思うぞ」

 何度となくこういうことはあったけど、こうやって誉めてもらえるとやはり嬉しいものがある。

「とりあえずは好きなだけ食べてね。あと身体は温まった?」

「お茶のおかげで多少はな。でも、まだまだ寒い」

「だったら、何だって外でお弁当がいいだなんて言い出したの?」

「・・・・・・最近は金欠だから、あまり贅沢したくなかったんだ」

 なるほど。そういう理由。

「でも、牧兎くんってバイトしてたでしょ?」

「しているけど、この季節は何かと入り用なんだ」

「大変だね。でも、そんなことなら私が貸しておいてあげたのに」

「おまえに迷惑はかけたくないんだ。そういう面ではな。とはいえ、別の面では迷惑かけたな。弁当つくってもらったり、俺のわがままでこんな寒い公園で食うことになったり」

「そんなの迷惑だなんて思ってないよ。お弁当を作っているときは本当楽しいし、牧兎くんといればどんな場所だって寒さを忘れるもの」

「いいのか。みんなのアイドルがそんなこと言って?」

 牧兎くんが、ポツリとつぶやいた。

 私はチラリと彼を覗き見る。すると、視線が合った。

 牧兎くんは何か言いたそうな顔で、私を見つめている。

「どうかしたの? さっきのバスの中でもそうだったけど、今日の牧兎くん少しヘンだよ」

 訊ねると、牧兎くんはゆっくりと口を開いた。

「・・・・・・雛は困らないか? 俺なんかと一緒にいて」

「え! どうして困るの」

「だって、おまえはもうアイドルだろ。もしこんなところ誰かにみつかって、スキャンダルにでもなったら大変じゃないか」

 牧兎くんの口調は、穏やかな中にも真剣さが混じっていた。どうやら心配してくれているらしい。

 でも、私は・・・・・・。

「私なら大丈夫だよ。それに誰かに見つかっても、悪いことしている訳じゃないもの」

「今はそう思ってても、起こってしまってからでは遅いんだぞ。・・・・・・おまえって子供っぽいから、色々と問題が起きたら落ちこむかもしれないだろ。俺はそれが心配だ。せっかく掴んだ夢を壊すことにならないかって」

「落ちこんだら、牧兎くんが励ましてくれればいいよ」

「俺といることが問題になるかもしれないんだぞ。俺が励ましても意味ないじゃないか」

 牧兎くんの言葉は淡々としていたが、それがかえって痛かった。

 私は、とっさにどうかえしていいのかわからない。

 それ以前に、こんな話は嫌だった。まるで別れ話でも切り出されるみたいで・・・・・・。

「テレビとか見ていても思うんだ。おまえってどんどん人気が出てるだろ。外を歩いていたって、おまえの話をしている連中を結構見かけるし・・・・・・何か複雑なんだ。本当に俺みたいなやつが、雛みたいな有名人の側にいてもいいのかって」

 その言葉を聞いた瞬間、私は牧兎くんに抱き寄った。お弁当が地面に落ちる。

 

 

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