2 星、輝ける夜
マンションから近くの公園までは、歩いて10分ほど。
でも、私の場合は走って向かったから5分少々で到着。公園についた時には息もすっかりあがっていたけど、身体はポカポカと温かい。あと、牧兎くんに会えると思っただけで、心の中もホカホカかな。
私は公園の中に入ると、彼の姿を探した。すると、ジャングルジムの側で寒そうに立っている牧兎くんを発見する。
「牧兎くん!」
嬉しくなって声をかけると、彼も気がついて片手をあげてくれる。私は彼の近くまで小走りで駆け寄った。
「思ったより早かったな。やっぱり走ってきたのか」
「うん。私に出せる限りの全速力で」
お互いに白い息がふれあうほどの距離。笑顔で交わす、夜の挨拶。
「……それよりも牧兎くん寒そうだよ。もしかして、かなり長い時間ここにいたとか?」
「そうだな。大体、8時ぐらいからここにいたかな」
8時? 今が10時過ぎだとして……2時間近くも待っていたってこと?
「どうしてそんな時間から待っているの。こんな寒い中で2時間も待っていたら、風邪ひいちゃうかもしれないよ!」
「案外、もうひいていたりしてな」
「そ、そんな」
私は泣きそうになる……ううん、もう泣いているかも。
「ごめんね。私が帰るの遅かったから……牧兎くんを、こんなにも待たせてしまって。本当にごめんね」
「おいおい、泣くなよ。風邪ひいたなんて冗談だよ。それにおまえが謝る必要なんてないぞ。雛は仕事だったんだし、今日は前もって約束していた訳でもないんだからさ」
「それはそうだけど……でも」
「気にするなよ。雛に会えたんだから、風邪ひいててもすぐに治ってしまうさ」
「本当?」
「ああ、本当だ」
「本当に本当?」
「じゃあ聞くけど、雛が風邪をひいていたとして、俺に会ったらどう感じる」
「……牧兎くんに会ったら、風邪なんて吹っ飛んじゃうと思う」
「だろ? だったら、俺もそれと同じだ。……それ以前に俺、すごく恥ずかしいこと言ってるな。まあ、その何だ。今夜は特別ってことだ」
確かに牧兎くんが、この手の言葉を言ってくれるなんて珍しいかもね。
「もう泣くなよな」
「……うん。牧兎くん優しいね」
胸の中に広がっていく温かいもの。ぶっきらぼうだけど、言葉の中身はちゃんと私を大事に扱ってくれている。
「だから、大好きだよ」
私は彼の胸にそっと抱きつく。私の感じた温かいものを、少しでもたくさん牧兎くんにあげたくて。
「こうしていると温かいよね。……こうやっているうちに、牧兎くんの冷えた身体が温かくなりますように」
言葉の最後は祈るようなつぶやき。
「雛は甘えん坊だな。こんな所、写真週刊誌のカメラマンに見つかったら大事だぞ」
今の私は、皆にとってもアイドル。事務所からもスキャンダルには、くれぐれも注意するように言われている。
けれど……。
「見つかっても平気。私、牧兎くんが好きなことは誰にも隠したくないもの」
それが自分の中にある答え。自分が自然でいれる理由。
もっとも、牧兎くんには何度も似たようなことで心配をされている。彼と付き合うことによって、私のアイドル生命が終わらないか、いつも気にしてくれる。
……本当、彼には迷惑ばかりかけているよね。
「牧兎くんは、こういうの嫌かな?」
「昔は悩んだ時期もあるけど、今は嫌じゃない。俺も雛のこと好きだからさ」
「今夜の牧兎くん、すごく積極的だね」
「言っただろ。今夜は特別だって。……とにかく、雛がこれでいいんだったら、俺もこれでいい。スキャンダルで面倒に巻き込まれても、俺にできる部分なら全力で守ってやるから」
一体、どうしちゃったんだろう。急に会いに来たり、こんなに積極的に言葉をかけてくれたり。
不思議だったけど、嬉しいな。
「それはそうと、今夜はどうしたの? 何か用事があったのかな?」
「用事といえば用事だな。もっとも、そんな大したことでもないけどさ」
そう言って牧兎くんは私を離し、今度は地面に置かれていた紙袋を拾い上げる。
「これ受け取ってくれるか。少し早いけど、クリスマスプレゼントだ」
「わあ。いいの。何かな〜」
紙袋を渡された私は、興味津々に訊ねた。すると牧兎くんは苦笑しながら言う。
「あんまり期待はするなよ。去年と比べると、全然お金もかかってないからさ」
「牧兎くんがくれるものだったら、どんなものだって嬉しいよ。お金なんて関係ないもの」
彼が私のことを思ってプレゼントをくれる。その気持ちだけでも、十分なプレゼントともいえるのだから。
ちなみに去年は精緻な細工が施されたペンダントをもらったけど、今年は何なのかな? 紙袋はそこそこ大きく、ほんの少し重みがあるんだけど……。
「ここで開けてみてもいい?」
「構わないぜ。雛の反応も見てみたいしさ」
「それじゃあ、お言葉に甘えまして」
私は丁寧に紙袋の中を開いてみた。すると、そこから出てきたものは2冊の絵本だった。
表紙には淡いタッチで描かれたサンタさんや、つぶらな瞳がかわいらしい子犬ちゃんが描かれている。
「子供っぽすぎるかなとは思ったんだが、おまえこういうの好きだろ? いつも、目を輝かせて見ていたのを覚えてるし」
「うん。こういう絵本は大好きだよ。なんていうか、こう心があったかくなるって感じがするの。あと、懐かしい思い出とかこみあげてきて泣きそうになっちゃったり」
「ま、小さな子供向けの本だしな。ヘンに難しい本よりはわかりやすいよな。……でも、買うときは少し恥ずかしかったぞ。俺みたいな奴が絵本なんて変に思われそうでさ」
「あはは。別に変じゃないとは思うよ。けど、牧兎くんの性格からすると恥ずかしく思えちゃうのかな」
「おかげで会計の時は、これプレゼント用だから、とか言ってるし。まあ、プレゼントであるのには変わり無いけどな」
牧兎くんの戸惑う姿を想像すると、思わず笑えてしまう。けれど、そんな恥ずかしい思いをしてまで、私の為に素敵な絵本をプレゼントしてくれるなんて嬉しいな。
物の価値なんて、お金だけじゃない。その物がその人にとって、いかに大事に思えるかどうか。
「牧兎くん。今年もプレゼントありがとう。今度、私もお返しするね」
「期待してる。いつでも構わないけどな。……それよりも、俺の方こそありがとう…だな」
「え? 私、牧兎くんに何かしたかな」
「プレゼント喜んでくれただろ。だから、ありがとうだ。あとは……他に色々と」
「色々?」
牧兎くんにしては珍しく歯切れが悪い感じ。どこかそわそわして、頬を掻いていたりする。
「何かあったのなら教えてくれると嬉しいな〜」
「……笑わないか?」
「うう〜ん。内容にもよるかな」
「だったら教えるのは止めだ」
「悪い意味では笑ったりなんかしないよ。だって、ありがとうの気持ちの中に含まれるものでしょ?」
私が見つめると、牧兎くんはしばらく考えるようにして唸った。けれど、ややもすると。
「よし、雛がそこまで言うなら教えてやるよ。……俺、おまえへのプレゼントを物色してるとき、結構楽しかったんだ。いつもはそんなに深く考えたこともなかったのにな。でも、その時に、雛がいつもどんな気持ちでいるのかわかった気がした」
「私の気持ち?」
「おまえよく言うだろ。プレゼントを贈るときは、相手の喜ぶ顔を想像するだけでも楽しいって。まさにそれだよ。雛がそう言ってるのを聞いた時は、恥ずかしいやつだなって思ってたけど、案外こういうのもいいかもしれないなって感じた。……ただ、誤解がないように言っておくが、去年のプレゼントだっておまえの喜ぶ顔を想像しなかった訳じゃないぞ。去年は色々と悩むので精一杯で、深くまで考える余裕がなかった訳であって……」
「でも、今年は私と同じ気持ちになれたんだよね?」
笑顔での問いかけに、牧兎くんは静かに頷いた。
「少なくとも、雛みたいに恥ずかしい奴が側にいなかったら、この年齢になってこんなこと考えることもなかっただろうな。本当に大事なものを忘れたふりをして、生きていたかもしれない」
「あは。牧兎くん、少し大袈裟だよ」
「そうかもな。でも、今夜は特別なんだよ。俺だって自分の考えに戸惑っているんだからな。そういうのもあって、今夜は無性に雛に会いたかったのもある」
そこまで言って、今度は牧兎くんから私を抱き寄せてくれた。
「俺、雛に好かれてよかったと思っている。そして、雛を好きでよかったとも思ってもいる」
「……私も牧兎くんが好きでよかったよ。これからもずっと大好きでいるよ」
響きあう言葉と言葉。それは抱擁の温もりよりもあたたかく、何よりも心地よい夢の中にいるかのようで。
いつしか、お互いの唇が重なり合う。
長く、優しく、互いの気持ちをそっと伝え合うように。
この時間が長く続けばいいなと思った。私の気持ちは、一回の口づけだけでは伝わりきりそうにないもの。
「少し早い、クリスマスって感じだね」
唇を離してから、そっと息と共にはきだす言葉。
「いいんじゃないか。今年のクリスマス・イブは、雛のほうが忙しいんだしさ」
「…………そうだね」
今年のイブは、仕事のコンサート。アイドル七宮 雛としての大きな舞台でもあり、事務所的にも失敗は許されない。
「牧兎くんは、やっぱりコンサートには来れないの?」
「残念ながらチケットとれなかったからな。あっという間に完売して」
「私の方で、なんとかしてあげられるかもしれないよ」
今度のコンサートは私にとっても大事なもの。牧兎くんには、できれば見に来てもらいたかった。
でも、彼は首を横に振る。
「気持ちは嬉しいけど、不正はしたくないんだ。俺のけじめとしてな。……あと、コンサートの日は、もうバイトの予定が入っているんだ」
「……それなら仕方ないよね」
残念だけど、牧兎くんがそう思うのなら強制はできない。それよりも、ますます彼のことが好きになる。不正はしたくないと言いきれる牧兎くんは、とてもまっすぐで立派な人だよ。
ちょっと良く言いすぎかな? でも、良いところも悪いところも含めて、私は彼が大好きだから。そこまで思いをかけている人を、悪く言えることなんてできない。
「ごめんな、雛。だが、これだけは約束する。俺はおまえを支えてやるって」
「うん。ありがとう。今日は沢山、そういう言葉が聞けただけでも満足だよ」
私は心からの笑顔でそう言った。
ホント、牧兎くんの支えに応じられるだけには頑張らないといけないね。
「とりあえず、そろそろ帰るか。マンションの近くまで送っていくし」
「……もう帰っちゃうんだ。もっとゆっくりしたいよ」
「でも、雛だって仕事が終わって疲れているだろ。それに、ずっとこんな所にいたんじゃ寒いだけだろうし」
「確かにその通りだね」
私はともかくとしても、牧兎くんはずっと寒い公園にいたのだ。あまりわがままを言って、風邪をひかせちゃっても申し訳ないよね。
「よければ、私のマンションに来る? そこなら温かくできるよ」
「ありがたい申し出ではあるが止めておく。雛の部屋に行ったら、疲れているおまえに何しでかすかわかんないし」
「ん? 別に何をしても構わないよ。自分の部屋だと思って、ゆっくりしていけばいいと思うよ」
「ふうん。じゃあ、こういうことをしてもいいのか……」
牧兎くんは途中から、耳元であることを囁く。それを聞いた私は、一瞬にして真っ赤になってしまう。
どう答えてよいのかすらわからない。
しばらくして、私がようやく言えたのは次の一言だけ。
「……えっちだよ」
その言葉に対して、牧兎くんはおかしそうに笑う。
「ほらな。雛だって困るだろ」
「…………………」
私は、きゅっと身を竦めた。
別に牧兎くんとなら……私、しても…………。だって、大好きな人だもの。特別な人だから。
でも、心の準備なんてできてもいなかった分、気持ちはうまく言葉にならない。
そうするうちに、牧兎くんが先に言った。
「さ、帰ろうぜ。少し遠回りして、ゆっくと送っていくよ」
「……う、うん」
さりげない牧兎くんの配慮に、私も小さく頷く。
まだ、心の中のどきどきは残っているけれど、今はこれでいいよね……。決して、慌てることなんかじゃないと思うから。
私たちは公園を出た。
空には星が輝いている。満天の星空とは言い難いけれど、晴れているので星の綺麗さはハッキリとわかる。
私と牧兎くんは、いつのまにか手をつないでいた。どちらからとなく差し出して、無意識のうちにつないだ手。
お互いがお互いを求め合う証拠。
温かいね。
「……ねえ、牧兎くん。今日プレゼントでもらった絵本、大事にするね。そして、いつか私たちに子供が出来たら、その子にもこの絵本を読んであげるの」
星を見上げながらの言葉。どんなことを言っても許されそうなほどに穏やかな夜。
「その時は、俺も一緒に聞かせてもらおうかな」
「うん。勿論いいよ!」
広がる夢。膨らむ夢。
彼と一緒にいれば、私はいくらでも素直になれる。どんな夢だって見れる。
でも、今はまだアイドルとして頑張る時期。
私がアイドルとして皆に伝えられるものがあるとするのならば、それは夢を広げるためのきっかけ。
そのためにも、私は私らしいアイドルを目指さないといけない。
……頑張れるよね。
今は牧兎くんの手の温もりから、勇気をもらおう。そして、何気ない会話からも沢山の元気を。
思いもかけない彼の来訪は、私を沢山癒してくれるから。
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