「あなたに……」
伝えたいのは、ただひとつの想い。
それを伝えるのは、いけないことでしょうか?
でも、私は伝えたい。
みんなに。
そして、あなたに……。
1 冬は寒く、でも温かく
12月の街並みは、とても綺麗に輝いてみえる。
クリスマスが近いせいもあってか、店や賑やかな通りは、それらしく飾り付けられているから。
ささやかに灯る光は、見ているだけでも夢の世界にひきこまれそう。
華やかなのに、どこか静かな落ち着きを与えてくれる光たち。毎年のことだけど、不思議な光景に感じる。
私は、この季節のこの光景が好き。
そこには沢山の夢、沢山の幸せが詰まっている気がするから。
年末ということもあって忙しい人も多いだろうけど、その忙しさを忘れさせてくれるほどの安らぎだって、この時期にはあるんじゃないかな? 通りを歩く人々の笑顔を見ていると、そう思えてならない。
クリスマスまでの賑やかさは、心地よい夢の中にいるのと同じこと……。
私も毎年のように、その夢の中で幸せな想像を膨らませていた。
クリスマスはお祭り。それも、誰もが奇跡や魔法を信じてしまいそうなほどに素敵なお祭り。
奇跡や魔法を信じることは、誰もが夢を見れる瞬間でもある。大きな夢を膨らませて奇跡を願えば、すぐにでも幸せになれる……。
でも、今年の年末は夢を見ることは許されない。
私……七宮 雛は、アイドル歌手として年末を送らなければいけないから。
今年はクリスマス・イブにコンサート。その後も色々と仕事のスケジュールが立て込んでいる。
去年の夏前に芸能界入りを果たし、今では順調に仕事も増えてきている。本来ならこれは喜ぶべきことなのだろうけれど、忙しくなった分、私は大好きな人に会えなくなる。
…………大好きな男の子、牧兎くんに。
そう考えると、今年のクリスマスは寂しい気がしてならない。ううん、クリスマスだけに限った話じゃない。年末から年始にかけて、恋人たちにとっては大事なイベントが多いというのに、私は仕事で手一杯。
このまま忙しくなっていったら、私はもう夢も見れなくなるのかな……。
ちなみに牧兎くんも、今度のコンサートには来れそうもないって言っていたし。
少し憂鬱な気分。
すると、そこへマネージャーの育野さんが声をかけてくる。
「雛。ごめんなさいね」
今は仕事を終えての帰り。私は育野さんの車で、住んでいるマンションまで送ってもらっている途中だった。
そんな車の中で、育野さんが急にそう言ってきたものだから、私は思わず戸惑ってしまう。
「どうしたんですか? 急にごめんなさいだなんて」
「今年のクリスマスのこと、残念に思っているんじゃないかしら」
「……え」
確かに図星。
「でも、どうしてわかったんですか? 私、何も言ってませんよ」
「そんなの雛の表情みればわかるわよ。あなたとは一年ちょっとの付き合いだけど、それなりには理解しているつもりよ。また、例の彼のことを考えていたんでしょ?」
「ええ、まあ」
こうもはっきりと言われると、隠す気にもならない。
「今年はホント、ごめんなさいね。せっかくのクリスマスなのに、お休みをあげられなくて」
「仕事だから仕方ありませんよ。それに、育野さんが悪いわけでもありませんし」
「でも、本当に仕方がないって割り切れているかしら?」
「寂しくないと言えば嘘になります。でも、仕事を頑張るという割り切りはついていますよ。牧兎くんにも応援されて、この業界に入ったわけですし、中途半端はしません」
「あはは。結局は彼の為かあ」
育野さんはおかしそうに笑う。
「……ファンの為に頑張るって言うほうがいいのでしょうか?」
「雛はどう思ってるの」
「ファンの皆の為にも頑張ってはいるつもりです。でも、一番は牧兎くんのため……だと思います」
私にアイドル歌手になれって言ったのは、他ならぬ牧兎くんだった。言われたのは中学生の時で、彼にすれば何気ないつもりで言ったのだろうが、私はその夢を叶えたいとずっと思ってきた。
歌うことが好きな私に、彼が示してくれた素敵な夢。
今はその夢が叶った訳だけど、どうせなら一番輝いているアイドル歌手になりたい。
牧兎くんが優しく見守って応援してくれているのだ。それぐらいしないと、彼の応援に報いることもできないと思う。
私は、そんな思いを育野さんにも伝えた。
「一番輝いているアイドル歌手かあ。でも、今だってそれには近いんじゃないかしら。いまの雛は、かなりの人が認めてくれるアイドルだと思うわよ」
「そう言ってもらえると嬉しいです。けれど、私の中では、何かが足りないような気がするんです」
「ふうん。例えばどんなものが足りないと思うの?」
「…………そうですね。うまくは言えないのですが、自分らしさ……でしょうか」
育野さんは運転したまま何も言わない。だから、そのまま言葉を続ける。
「アイドルになった当初は、まだ良かったような気がします。でも、忙しくなった今では、どこまで自分らしさを引き出せているのか自信がないんです」
「売れてくると、良くも悪くも上からの指示がうるさいものね」
育野さんの一言に、私は押し黙った。
上からの指示ということでは、色々と辛いこともあるから。
「雛。……今日、社長が言ったことは、それほど気にしなくていいから」
私の心情を察してか、育野さんが優しく声をかける。本当、彼女には私の考えていることなんて筒抜けなんだな。改めてそう思う。
ちなみに今日は、プロダクションの社長から、来年に放送される恋愛ドラマの主演候補にあがっているという話があった。でも、私がその話を断ろうとした所、社長や上役の人々と少し揉め事になったのだ。
けれど私としては、そのような話を受ける訳にもいかなかった。だって、恋愛ドラマの主演ともなると、相手役の男性とラブシーンを演じなければならないもの……。そんなの私には、まず無理だってわかっている。
例え演技だとわかっていても、牧兎くん以外の男性とそのようなことはしたくない……。
そのことを社長さんに話したら、当然のことながら怒られた。どれだけの人間が、私に期待をかけていると思っているんだ、とも言われた。
「育野さんには、迷惑かけちゃいましたね。私をかばってくれたばかりに」
結局、マネージャーである彼女にかばってもらうことで、今日の騒ぎは事無きを得た。そのことは謝っておく。
「それも気にしなくていいわ。根本の解決にはなっていないんだから」
「けれど、私なんかをかばったら、育野さんの印象も悪くなりそうで……」
「それぐらいどうということもないわよ。こういう厄介ごとを仲介するのも、マネージャーとしての仕事と思っているから」
育野さんは、本当に優しい人。彼女がマネージャーであることに、どれほど感謝していいのかわからないぐらいに。
「けれど、このままだといけないんですよね。私をここまで大きくしてくれたのは、社長や皆のおかげでもあるし……」
「確かに半分は、社長たちのおかげではあるわね。でも、一番はあなた自身の力でもあるわよ。少なくとも、あたしはそう思ってる」
「そういうものですか?」
「雛は、社長たちが期待してきた以上に頑張ったから、ここまで大きくなれたんだと思うの。それに、雛をここまで大きくした功労者は、あなたの彼氏にも言えることだから」
「……はい」
それだけは迷いなく頷くことができた。
「あたしね、思うことがあるの。社長たちは、もっと雛の魅力に気づくべきだってね」
「私の……魅力?」
「そうよ。雛が持つ純真な魅力。誰かのことが大好きで、そのために頑張っていける気持ち。普通の人では恥ずかしがって表に出せない気持ちでも、あなたはそれを素直に表現できる。そういうのって、くすぐったいけど、見ていると気持ちがいいときもあるわ」
「嬉しいです。そんな風にいってもらえると。私も……人の幸せな光景を見ていると気持ちがいいんです。だから、私も幸せなときは、その気持ちを皆にも感じてもらいたい。それで、皆も幸せになってもらえるなら」
「うふふ。やっぱり雛は、それぐらい語っている方が自然でいいわね」
おかしそうに笑う育野さん。でも、すぐに真顔に戻って言葉を続ける。
「今、雛にとって足りないと思うものって、そういう自然さじゃないかしら?」
言われてみると、その通りなのかもしれない。
人間関係や仕事の悩みの中で、自分らしい自然さが不安定になっている気がする。
「ホント、育野さんの言う通りですね……」
私は色々と考えた挙句、小さく頷いた。
「雛がこれからもっと輝くためには、その自然さを表にだせるようにしないといけないわね。牧兎くんが好きという、その気持ちを」
「……でも、それを表に出しすぎたら、また社長とかに怒られないでしょうか」
それだけが心配だった。私のことだけならまだしも、沢山の人が期待をかけてくれているのだ。自然のままでいるということは、周りの人たちにだって迷惑をかけかねない。特に今は、プロダクションもスキャンダルなどに敏感になっているし。
「あなたらしくもない心配ね。不安に感じないのもわからない訳じゃないけど、こういう時だからこそ、あなた自身の方向性をしっかり示すべきじゃないかしら?」
「………………」
「今のままでだって、あなたは売れているわ。でも、もっと輝くためには、雛が雛らしくある必要があると思う。そうじゃないと、他のアイドルと何ら変わらない無個性の存在にしかならないわ。こういうのも何だけど、あたしは無個性のアイドルを育てるためにマネージャーをやってるつもりはないわよ。例えプロダクションの意向であれ、その方針に誤りがあると感じたら、徹底的に雛の魅力を語ってやるぐらいの覚悟はあるつもりよ」
「私……自分らしく振舞ってもいいんですか」
「そうしなさい。それがあなたの魅力だと思うから。それでうまくいけば、社長たちだって文句は言えない筈よ。上の言いなりなるだけでは、結局は失敗に終わって、プロダクションにとっても大きな損失になるかもしれないんだから」
「……ありがとうございます。少し胸のもやもやが晴れた気がします」
私はそう言いつつ、泣きそうになっていた。
全てがすべて、育野さんが言うように簡単に運ぶとは思わない。けれど、彼女がせっかく言ってくれた以上は、その言葉に甘えてみようと思う。もし、私がわがままを押し通すようなことになったら、それを押し通した分、別の埋め合わせで頑張れるようにしないと。
「ま、世の中に一人ぐらいは雛みたいなアイドルがいてもいいと思うわよ。皆のためだけじゃなく、誰か一人の大好きな人の為にアイドルをやっているような子がね」
「はい!!」
私は泣くのをこらえて、笑顔で頷いた。
そうするうちに、車は私の住むマンション近くまで辿り着く。
「それじゃあ、また明日ね。今日はお疲れさま」
「育野さんもお疲れさまです。今日も本当、ありがとうございました」
私は彼女に礼をして、別れを告げた。
そして、マンションの部屋に戻ろうとしたとき、携帯電話の着信音が鳴り響いた。
携帯を鞄から取り出し発信者の名前を見ると、そこに表示されていたのは牧兎くんの名前だった。
私は慌てて電話に出る。
「もしもし。牧兎くん?」
「よ、こんばんは。雛」
電話から響く大好きな人の声。その声をきくだけで、自然と胸の中に温かいものが広がってゆく。
「うん。こんばんはだよ!」
「仕事お疲れさん。今、もうマンションの近くにいるんじゃないのか?」
「え! そうだけど、どうしてわかるの」
私は驚いて、きょろきょろと周囲を見渡した。もしかしたら、彼が近くにいるのかもしれないと思って。
すると、電話の向こう側で牧兎くんの笑いが響く。
「さっき雛のマネージャーの車が、マンション近くの公園を通り過ぎていくのを見かけたんだ。それで、そろそろいいタイミングじゃないかなと思ってな」
「牧兎くん、今、近くの公園にいるの?」
「ああ。そんなところだ。で、用件なんだけど、ちょっとこっちまで出て来れないか」
「うん! 行く。すぐに行くよ!」
「仕事が終わって疲れている所にゴメンな」
「謝ることじゃないよ。私、牧兎くんが来てくれて嬉しいもの。疲れなんて吹っ飛んじゃったよ」
嘘じゃない。予想もしなかった彼の来訪は、どれほどまでに私を喜ばせたことだろう。
「それじゃあ、待っているから。ま、慌てずにゆっくり来いよ」
「急いでいくよ。走ってでもいく。早く会いたいもの」
そう電話しながらも、私の足は公園に向けて走り出していた……。
一分でも一秒でも早く、あの人の側に行きたい。そう思うだけで、私の足はどんなに疲れていようとも、羽のように軽くなる。
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