3 みんなに、そしてあなたに
12月24日。
クリスマス・イブ…………。
私のクリスマスコンサートは予定通り始まった。
今回は野外ステージでのコンサートとなるが、集まってくれたお客様の数はものすごいものだった。広いステージから見渡しても、人々の山。これだけ多くの人が、私の歌を聞きに来てくれたのかと思うと、少し胸が熱くなる。
今までにも小さな規模のコンサートなら経験はあるものの、ここまで大きなものは今回がはじめてだった。
沢山の人、沢山のスタッフに支えられて、私はこのステージに立っている。
皆が、私に期待をかけている。
普通ならばここで緊張してしまうのかもしれないけれど、不思議とそういうことはなかった。
このステージに上がる前まで、色々と心の準備もしていたから。
私は私。いつもの通り、大好きな歌をうたえばいい。そういう感じで心に余裕をもたせておけば、盛り上がりの瞬間に、お客様への気持ちだって込めることができる。
届けたい。届いて欲しい。歌に乗せて伝える、私の強い思いを。
大好きな人がいて、その人のおかげでずっと幸せでいられたことなどを。
……それだけが今の願い。
だから、私は一生懸命に歌う。
でも…………。
どこまで思いは伝わるだろう。それが一番の不安でもあり、悩みでもあった。
いつも通りに歌うだけでは、やはり駄目なのかもしれない。何も伝わらないとは言わないけれど、もっと具体的な形で伝えないと、これだけの人々にわかってもらうのは難しいかも。
緊張はないけれど、心のどこかに焦りがある。
ここで私が自分というものを示さないと、今後先の自分がどうなっていくのかわからない不安。
ファンの皆が理想とする七宮 雛と、私が目指す七宮 雛。このふたつに食い違いが生じるのが怖かった。
もし、食い違いが生じてしまったら、私が私で無くなる可能性すらあるのだから。ファンが理想とするだけの、アイドルを演じないといけないかもしれない。
けれど、そうなる訳にはいかない。そんなの私は望まないし、本当の意味でファンに申し訳がたたないもの。
今、ここにいるファンたちは、私が目指す七宮 雛に惹かれて集まってくれた筈。ならば、最後まで私の目指す七宮 雛を完成させていくのが、プロのアイドル歌手である自分の務めではないだろうか。
理想のアイドルを演じて、嘘の私を広めてしまう方が、ファンに対する裏切りにも思える。
……でも。どうしたらいいのか判らなかった。
その答えも見えないままにコンサートは続き、やがては最後の曲になってしまう。
そして、その曲すらも歌い終えてしまった…………。
私は一度、ステージの裏側に戻る。でも、これは予定された行動。観客たちの方からは、アンコールを望む声が響きはじめている。
アンコールには勿論、応えなければいけなかった。それがこのコンサートにおける、本当の最後の曲になるから。
「雛。ここまでお疲れさま。次のアンコールで、このコンサートも締めだから頑張って頂戴ね」
マネージャーの育野さんが私に駆け寄ってきて、ポンッと肩を叩く。
でも、先ほどからの悩みのせいで、ぎこちなく頷くのが精一杯だった。
自分でも情けないほどに、勢いのない頷き。何もこのような時に悩まなくてもいいと思うのに……。
嫌だな。こんなの。一生懸命頑張っているとは思いたいけれど、明らかに自分らしい精彩に欠けている。
「…………育野さん。私、このままでいいのでしょうか?」
弱音を吐くつもりはなかった。けれど、そう訊ねずにはいられなかった。
私のことをわかってくれているであろう育野さんだから、彼女がどう思っているのか気にもなる。
そして、彼女の言った答えは。
「雛の好きなようになさい。悩むことはないの。だって、あなたはその答えをちゃんと持っていると思うもの。そして、それはきっと間違いではないと思う」
やはり育野さんには、私の気持ちは筒抜けだった。
私の答え……。うん、答えはちゃんとある。私の想い、そして答えはずっと変わらないものだもの。
それでも。
「……本当にそれをはっきり示していいのですか?」
「あたし、以前に雛に言ったわよね。誰か一人の大好きな人の為に、アイドルをやっているような子がいてもいいって。それは絶対に雛の魅力よ。……それとも、それを皆に示すのは怖いかしら」
私はうつむいて黙ってしまった。
確かに怖いのはあった。答えを示して、誰にも認められなかったらどうなるだろう……。
「ねえ、雛。あたしはどんなことがあっても、あたなを支えてあげるよ。そして、あなたの彼氏だって、今日のあなたを支えてくれているわ。だから、勇気を出して」
育野さんはそう言うと、急に私の手を取り、ステージの更に裏側まで引っ張ってゆく。
そして、途中で立ち止まると、静かに耳元で囁いた。
「あっちを見てご覧なさい」
近くに並んだ大きな舞台装置の裏に隠れながら、彼女の指差す場所を見る。
すると、そこには思いもよらなかった人の姿があった。
……今日、ここには来れないと言っていた牧兎くんの姿が、そこにあったのだ。
「ど、どうして牧兎くんが?」
「その様子だと、やっぱり知らなかったみたいね。彼、コンサートの裏方スタッフのバイトで来ていたのよ」
「……それじゃあ、牧兎くんの言ってたバイトって」
私は胸に手をあて、心の驚きを整理する。
「彼、今日のコンサートで、ずっとあなたを支えていたってことね」
育野さんの言葉と共に、牧兎くんの言葉も耳に甦る。
『これだけは約束する。俺はおまえを支えてやるって』
あの時は何気なく聞いていた言葉。でも、あの言葉は、今日のことも指していたのかもしれない。
遠目に見える牧兎くんの姿。彼はお客様としては来れなかったけれど、私を支えてくれるスタッフの一人としてここにいてくれた。
それが、牧兎くんが一生懸命頑張ってくれた答え。
…………ちゃんと届いたよ、牧兎くんの想い。
「さ、雛。そろそろコンサートを終わらせてきなさい。そして、本当のあなたの一歩も示してやりなさい」
優しく促す育野さん。私は小さく、でもはっきりと頷いた。
お客様からはアンコールの声は絶えない。私はそれに応えるべく、もう一度ステージの表舞台に立つ。
割れんばかりの歓声が、再び私を迎えてくれる。
「皆さん、どうもありがとう」
ステージ中央で一礼してから、そのまま流れにのせて言葉を続けてゆく。
「今夜はクリスマス・イブ。このコンサートが、皆さんにとって今日の思い出のひとつになってもらえれば幸せです。……でも、コンサートが終わっても、今日という日がまだ終わった訳じゃありません。今夜のような特別な夜は、皆さんにもまだまだ楽しみな事ってありませんか?」
私は笑顔で、ファンの皆を見渡して行く。
「お友達同士でここに来ている人たちは、パーティーをするかもしれませんね。カップルで来ている人たちは、この後にデートするかもしれません。ここには沢山の人がいます。その人たちの数だけ素敵なクリスマスがあり、幸せがあるんだと私は思います。そして、私もそんな中の一人……」
そこまで言いきると、今度はお客様の中から「雛ちゃんには、この後に何か楽しみあるの?」と質問が返る。
そこで私は大きく頷いて。
「うん。楽しみはあるよ。このコンサートが終わったら、大好きな彼の元に行って、思いっきり甘えるつもりです」
心を込めて、感情を込めて。それが冗談っぽく聞こえないように、でも、自分はとっても幸せだよって伝えるように。
言葉の意味が伝わるにつれて、ファンのざわめきは大きくなる。
皆、認めてくれるよね? いや、ここまで来たら、認めてもらえるくらいの勢いで伝えなきゃ。
牧兎くんにだって、声ぐらいは聞こえていると思う。
いつも彼に大好きだよって言うように、ここから大きな声で伝える気持ちで。
みんなに、そしてあなたに聞いてもらいたくて。
これが私の答え。私が私でいられる、ただひとつの答え……。
「今から歌う曲が、このコンサートでの最後の曲です。私はこの曲を、そっと支えてくれた彼に捧げます。幸せの気持ちと共に。……皆さんには、私の幸せのかけらを受け取ってもらいたいです。それが私からのクリスマスプレゼント。誰もが幸せになることを願ってのプレゼントです!!」
私が力強く言いきったのを合図に、本当に最後の曲が流れ出す。
伝えることは伝えたよ。多くの言葉は語らず、いつものように歌に気持ちをのせてゆくだけ。
そして、いつしか私の歌声とファンの歌声が重なりはじめる。
コンサート会場全体に広がる皆の歌声。それは、私の示した答えに対してのファンの皆の返事。心地よく響くこの感覚は、決して悪い返事じゃないよね。
ありがとう、皆。
牧兎くんのみではなく、皆に本当ありがとう。何の憂いも無く、最後まで歌いきることができたよ。
コンサートは無事に終わった。
多くの人が喜んでくれたと思う。沢山の人が幸せのかけらを受け取ってくれたと信じたい。
「おかえり、雛。とっても素敵だったわよ。あれでこそ、あなたのマネージャーやってて良かったって思える瞬間だったし」
ステージ裏に戻るなり、育野さんが労いの言葉をかけてくれる。
「……ファンの多くは、きっと納得してくれたと思います。あとはプロダクションの人たちが何と言うかですね。予定には無いことを言ってしまった訳ですし」
「それならあたしが何とかしてあげるわよ。誰にも雛のこと文句言わせないわ。それにファンが納得してくれたのなら、ファンだってあなたを守ってくれるわよ。今は難しいこと考えないで、さっき言ったことを実行なさい」
「……えっと、はい?」
「コンサートが終わったら、彼氏に甘えるんでしょ」
育野さんがそう言うと同時に、私の後ろからスッと何かが差し出される。それは私の大好物のシュークリームだった。
そして、耳に響く大好きな人の声。
「お疲れ様。差し入れだぞ」
私は後ろに振りかえらず、まずシュークリームを受け取った。でも、受け取った途端にじんわりと涙が溢れてくる。
「……牧兎くんこそ…お疲れ…さまだよ」
今度は振り返って、そっと彼にシュークリームを差し出す。
「サンキュ」
牧兎くんがシュークリームを受け取った途端、私は彼の胸に飛び込んだ。そして、嬉しいはずなのに何故かわんわんと泣いて、本当に甘えてしまった。
彼はしばらく何も言わず、私の長い髪を撫でてくれる。とっても安心する。
こうして、少しのあいだ甘えた後は、そっと耳うちで彼の名を呼ぶ。
「ねぇ、牧兎くん」
「どうした?」
「大好き」
そう言って、つま先立ちのキス。
周りで人が見ていようが関係なかった。今夜は牧兎くんに甘えるって決めたんだもの。
大好き。
いつも言っている言葉。でも、私にとっては奇跡を願う魔法の呪文。
それに対する、魔法の効果は……?
「……俺もだよ」
優しい彼の言葉と、温かい抱擁。
〈了〉
あとがき
クリスマス用の短編「あなたに……」をお届します。
……何といいましょうか、今回もベタベタです。まあ、七宮 雛って娘はこういう子という事で。
でも、この子はホント書きやすい。好きなものに対する思いだけは、作者である私と重なる部分が大きいので、それを思うがままに表現すればいいだけだし。
作中の雛の心理描写でこんなのがあります。
『私がアイドルとして皆に伝えられるものがあるとするのならば、それは夢を広げるためのきっかけ』
この言葉の“アイドル”の部分を“物書き”に置きかえれば、まんま私の気持ちそのものになります。
まだまだ未熟の身ではありますが、こんな私の作品から、皆が夢を広げていけるきっかけがあればいいなあ。常々、そう思っていたりします(笑)
ま、これ以上は何も言わないでおくとして。今年もまた、メリー・クリスマスなのです。
2001年 12月18日 滝沢沙絵
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