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ベンキ卞喜黄巾の残党 流星鎚の使い手
ヘンコウ辺鴻丹陽太守孫翊の側近 孫翊を暗殺した人物
ベンシ卞氏曹操の側室
ヘンジョウブンレイ辺譲文礼陶謙の友



卞喜 ベンキ
黄巾の残党 流星鎚の使い手
出身地:??
生没年:??〜200年
容姿 :黄巾の残党。流星鎚の使い手。

〜列伝〜  もと黄巾であったが、ソウソウに仕え、沂水関を守る大将になった。カンウが ソウソウのもとからリュウビのもとへ向かう途中、鎮国寺に兵200余りを潜ま せて待ち伏せをした。  そして、関を通るカンウを出迎えて、 「この度は、皇淑の御許へお帰りとは、将軍の忠義、感服しております。」 カンウが、道中でカンプク、コウシュウを斬った事を述べると、 「それは当然の事でございます。それがしが丞相によしなに申し伝えておきます。」 と言って、鎮国寺に迎え入れた。 しかし、僧侶のフジョウがカンウに茶を一服差し上げたいからと言って方丈へ案 内し、目配せして伏兵が潜んでいる事を知らせた。  事が洩れたと知ってカンウに飛鎚を飛ばして襲いかかったが、カンウに薙刀で 受け止められ、一刀両断にされた。


辺鴻 ヘンコウ
丹陽郡丞 孫翊を暗殺した人物
出身地:??
生没年:??〜203年
容姿 :丹陽太守孫翊の側近。

〜列伝〜  丹陽太守ソンヨクに仕えていたが、キラン、タイウンらと共にソンヨクを暗殺 して実権を握ろうとした。ソンヨクを暗殺したものキラン、タイウンらに罪を全 て着せられて殺された。その後、キラン、タイウンらもソンヨクの腹心ソンコウ、 フエイに殺された。


卞氏 ベンシ
曹操の側室
出身地:琅邪郡開陽県
生没年:160〜230年
容姿 :もともとは歌姫。謙虚で倹約家。文帝の母。

〜列伝〜  20歳の時にソウソウの側室になり、ソウヒ、ソウショウ、ソウショク、ソウ ユウを生んだ。  ソウソウには初め丁夫人がいたが子がなく、早死にした劉夫人の子、ソウコウ を育てた。ソウコウは穣でチョウシュウの襲撃で死んだ。これに悲しんで丁夫人 がソウソウと離婚すると卞氏は正夫人になった。  建安21年(216年)にソウソウが魏王になると、正室になった。  建安24年(219年)ソウソウの死後、後継争いでソウヒは、ソウショクを 捕らえさせて七歩歩く間に詩を創れと難題をふっかけ殺そうとするが、ソウショ クはこれを創り皆を驚かせた。さらにソウヒは即座に創るように命じるが、ソウ ショクはこれを創り難を逃れた。そこに、 「兄でありながらなんという事を。ひどいではありませんか。」 と言った。その後ソウショクは安郷侯に封ぜられた。  明帝が即位すると太皇太后の尊号を送られた。


辺譲文礼 ヘンジョウブンレイ
陶謙の友
出身地:陳留郡浚儀
生没年:??〜193年
容姿 :九江太守。並外れた英才で天下に名の知れた人物。

〜列伝〜  若い頃から文名を知られた。  ソウソウが徐州侵攻を行った時、親交のあったトウケンの加勢に向かった。し かし、援軍に向かう際に、ソウソウ軍のカコウトンに殺された。  コウユウ、トウキュウコウ、ヘンジョウと三人並んで俊秀として評価された。 「正史」では、ソウソウと議論し、ソウソウの気分をたいそう害したので家族も ろとも殺されたとある。 「章華賦」が残っている。