雲南省「トンパ文字と玉龍雪山の旅」
本年も文字文化学術訪中団の一員として 平成13年8月1日より8日まで 中国は雲南省へ旅立った。
今年のテーマは「文字探訪ー雲南の自然と人間」 訪問地より東巴文字を中心に掲載します。
訪問先 香港(黄大仙廟、浅水湾、パークタワー見学、海鮮料理賞味)ー昆明「別名春城(ツンチャン)」
(〈昆明には3つのbPがある、その1は国境、2、民族、3、山〉石林、雲南省博物館、
きょう竹寺、円通寺見学)ー大理(〈特筆すべきものに・風、花、月、雪、古い家がある〉
大理州博物館、大理博物館、南詔得碑、じ海(中和寺より展望)大理三塔など見学)ー
麗江(金沙江、玉泉公園、四方街、白沙壁画、玉峰寺など見学)−昆明ー香港
麗 江
麗江とは「綺麗な川」という意味である。昆明より600k、大理から200kに位置し93%が山地で2416mの
高地である。6740mの梅里雪山、5596mの玉龍雪山、4250mの文筆山などがある。街の回りには城壁
がない、その理由は美しい山々がその役目をしている、もう一つの理由は納西族の苗字は「木」さんと「和」さん
で 木を囲むと「困」となる為。人口は110万人で62%が少数民族である。
「シャングリラ」と言われる美しい街で 1997年世界遺産に指定された。指定後、店などがどっと増えたようで
もっと素朴だった頃に訪れて見たかった。
東巴(トンパ)文字
1100年程年前に生れたといわれ、世界で唯一現在も使われている象形文字、納西(ナシ)族が信仰する
トンパ教の経典に使われていた文字である。1999年10月16日〜20日「’99中国麗江国際東巴文化
芸術節学術会議」が開催された。
2千1年8月6日 私達が麗江・東巴博物館を訪問した日 |
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東巴文字を揮毫する和学文先生 納西語しか話されない由、紙に書いた私達の 注文する文字を通訳を介して1枚ずつ ゆっくりと した筆運びで 書いて下さる |
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←上の印は 突然降り出した雨に近くの店で 雨宿りをさせてもらったのが印判屋さんだった のを幸い 注文したもので来年の年賀状に 使用しようと東巴文字で「迎春」と、 下は博物館で「爽雨」と、辞書の字とは雨の 巻き方が反対になっているようであるが 絵文字とは こんなものなのか? 雨宿りの印判屋さんの看板 |
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和先生揮毫の「爽雨」 印とは違う書体である 東巴文字は1400語 しかないので 辞書を引いても 「爽」などない が 組み合わせて書くようで理解出来るまで には まだまだ時間がかかりそう! |
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禁 煙 東巴文字と中国語、英語の表示が あちこちに見られる 玉泉公園にて |
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「世界人類が平和でありますように」 日本でもよく見かける立て札 トンパ文字では こんな字になるんですね 東巴博物館入口近くで |
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=東巴文字との出会い= 私にとって トンパ文字との出会いは衝撃的な ものではなかったが、今回の訪中は「東巴文字」 を見る為であった。 和先生は筆ペンのようなものに 時々墨を付け 書かれていた、ある先生は竹を削ったもので 書いた文字だとおっしゃった。 トンパ文字展を見た時「絵心のある人しか創れ ない造形の素朴さに魅かれた」と説明された。 中国の添乗員さんは「東巴文字による新しい 日本書道に期待したい」と。 日本でも名刺やシールにし 若者に人気がある この文字を作品にするのが これからの課題だと 思っている。 |
=ジョセフ・ロックさん= 1922年植物調査の為 麗江を訪れたロックさん はトンパ文字に出会い 東巴文字の辞書づくりに 没頭したが、戦争や外国人立ち入り禁止命令が 出て 麗江へ入れなくなったり 幾多の困難が あった。 ガイドさんもロックさんを「トンパ先生」と説明して いたが、トンパ文字と言えばロックなくして語れ ない程である。「納西語英語百科字典」がある |
博物館で交 換 会
文字文化学術訪中団団長と麗江東巴 文化博物館館長の交換会が添乗員 孫さんの通訳で行われた |
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博物館館長の名刺にもトンパ文字が 書かれている |
家並みと石畳
山に囲まれた町は 瓦と白い壁の
家屋が網の目のように並び景観によくマッチしている。
石畳の道が雨に濡れて一層美しい
玉龍雪山
5596mの最高峰は未踏峰である。 バスとロープウエーで4506mまで 登る事が出来る。 8万年前の氷河が青く見え(写真では 判り難いが)美しかった。 |
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4506mまで登りました |