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山東省「摩崖刻石・碑林群 特別鑑賞の旅」

    書道発展上、重要な時期である南北朝(420〜589)時代、特徴ある作品が多く生み出されている。
   北朝(386〜581)の摩崖刻石、とりわけ大字刻石の殆どは山東省に分布している。その地を訪ねた。

青島ー天柱山ー太基山ー雲峰山ー十笏園ー
青州博物館ー山東石刻芸術博物館ー済南ー
岱廟ー泰山ー孔子廟ー千仏山ー大明湖ー
上海





 平成12年7月29日より7日間、文字文化学術訪中団の一員として参加した。
 7月29日9:30全日空にて出発、福岡に寄港し青島まで2時間50分、昼食後、1903年創業
 のビール工場 オートメーション化された大きな工場では、ベルト上のビールが並び箱詰め
 されて行く様子を見学、ビールの試飲をした。

青島博物館
 建造されて45年という中国にしては 新しい博物館の正面左側に 硅化木(木の化石)が
 デ―ンと横たわり、スケール の大きさを見せ付けられたような気がした。博物館の中には
 現代の作家達の作品が展示されていた。

憧れの鄭道昭へ
2日目(30日)は いよいよ、待望の鄭道昭を見学に 8時ホテルを出発、三輪車、牛車、リヤ
カー、自転車の行き交う砂ぼこりのガタガタ道を 走る事3時間、天柱山に到着。ズ―ッと続く
石段を登り「鄭羲上碑」へ。
          上碑
  (山の中腹に立つ 自然の碑状の石に刻されており
   高さ3.2m 幅1.5m 碑文は20行 881字
   永平4年(511)に完成)

  地震の為前のめりに傾いた碑の後に大きな
  岩が 凭れかかるようにあり、嘗ての物凄さ
  が感じられる。
  現在は 屋根が付けられ保護されている。

   更に 上へ上へと登り「東換石室銘」が刻された石刻を見、振り返ると広く開けた景色の雄大さに心地
   よい風が吹く。下山後、雲峰山へ向う。道路工事の為 村道を通るが途中大型車通行止めでバスは
   進めない。警察や村長さん、村人と、こちらのガイド、運転手が何やら解からない中国語で口々に話し
   合い、やっと通れるようになるまでに1時間もかかった。予定をはるかに過ぎ、昼食は3時ごろであった。
   ここから、観光局の局長さんの息子、邱さん(23才)が同行してくれて、特別に太基山の「中明之壇題
   字」や、雲峰山の碑など、収納された入口の鍵を開けてもらい直接手に触れる事が出来た。 

            太基山
 三角碑亭(中明之壇題字)
  「中岳先生ケイ陽鄭道昭中明之壇也」
  「其居所号 日白雲郷 青煙里也」 「・・・辰建」
  三方に夫々刻された三角形の碑である。

  現在地よりもっと上にあったが何物かによって
  別の場所に移動されていたので、今は囲いの中に
  鍵をかけて、保存されている。

     太基山より雲峯山へ

        下碑(鄭羲碑)
 鄭道昭が書いた最も長い刻石
 (高さ2.8m 幅3.6m 表面は平らで石刻は精緻、
  碑文は51行、1236字(上碑より300字あまり多い)
  字体も やや大きく、「用筆八法」に基づいて書かれ
  円熟している)

 「ケイ陽鄭文公碑」
     鄭道昭の父、剌史鄭羲の生涯とその著作を記述したもの

     (上の写真は 下の写真の上方三角の部分、
      拓本を採り 真っ黒になっている。)
  
  * 鄭道昭(455〜516)
    河南省のケイ陽に生まれ 字を中岳先生と称した
    書の造詣が深く 勤勉、実践の人でもあった。
    篆書の円潤、隷書の伸びやかさ、造像題記のしゅう勁な
    書風を受け継いでいた 作品の殆どは断崖に彫られている

   さらに、山を登り「鄭公之当門石坐也」(鄭文公が一服した石)と刻された石の横にあった岩に登り、
   その景色の美しさに 感動した。

   十笏園
   3日目(31日)、坊市にある十笏園へ、ここは 敷地2000uの小さくまとまった美しい庭園である。
   6000年前の文物や漢代の隷書でありながら初期の楷書の形が窺えると云われる「神道碑」明代の
   書家、文徴明、董其昌張瑞図の刻石、鄭板橋の竹、蘭など五基の碑がある。

  青洲博物館
   1959年龍興寺にて発見された7000年前(?)の仏像や、明、清の書画、私の大好きな何紹基の
   十二幅の軸「前赤壁賦」などを見る。山東石刻博物館への バスの中より「中華一奇観」の外見のみ
   見る。ここは兵馬俑より300年も古い物が高速道路の工事の時発掘され、展示されているそうです。

   山東石刻芸術博物館

            高貞碑
 北魏の正光4年(523)に刻されたもので、千数百年の間
 地中に埋没して、近世に至って出土した。
 楷書の入門に適した標準的風格をそなえたものと言われている
 高慶碑(同じころ出土)、馬鳴寺根法師碑と共に博物館の庭に
 置かれ、特別に開いてもらえたブリキの囲いの中の碑を見た時
 こんな所に!と思いがけない保存に驚いた。

  岱廟
   4日目(8月1日)泰山の麓にあり 中国三大宮殿建築の一つで 規模の大きさ 華麗な工法を駆使して
   作りあげた中国古代の完璧な建築芸術である岱廟へ向う。
   敷地面積 9.6万平方メートル、歴代の碑刻176基 漢代の画像石48基など保存されている
     
  泰山

       標高1545m 中国五岳の筆頭で 孔子は「泰山に登れば天下が
小さく見える」と称えた
現在 世界文化遺産に指定されている
2000年前の秦代と漢代に続き 歴代貴重な石刻や碑石が残された。
現在 碑石は8000ヶ所 摩崖石刻は100ヶ所あまり 楷、草、隷、
篆の書体が揃っており、大きい字から 小さい字までさまざまである

  大字刻石「金剛経」
   石段をたどって、谷川を渡り一つの峰を越えると 泰山の摩崖石刻で最大の規模を持つ経石峪につく
   2064uの斜面に「金剛経」が彫られている。書体は隷書と楷書の中間である 未完成で 書者の
   署名も作成年も彫られなかった。

  曲阜碑林(孔子廟)
   5日目(2日)、孔子の故郷を訪ねる。曲阜市は山東省の南部に位置し、孔廟建築群をはじめ 中国で
   面積が最大で歴史が最も古く 保存も整った貴族の邸宅・孔府や家族墓地・孔林など、名所旧跡が多い 
                                                   (参考・中国碑林紀行)

        五鳳魯孝王刻石
 篆書から隷書への変遷が解かる貴重な碑石である。
  
曲阜の碑刻では漢、魏、北朝のものが有名で、1978年
孔廟の東の廊下(漢魏碑刻陳列館)に 時代順に並べられている。
「五鳳刻石」の他 下記の「乙瑛碑」「礼器碑」「孔宙碑」
「史晨碑」(以上 後漢)「張猛龍碑」(北朝の魏体の規範で
ある)など、日頃親しんだ碑が並び、手に取るように見る事
が出来、興奮せずにはいられなかった。
          乙瑛碑(いつえいひ)
 漢代の隷書のうち、最も範となる碑刻である。
 高さ198cm 文字は18行 各行に40字、永興元年(153)に
 つくられた。

  「礼器碑」
  高さ173cm 隷書で16行、各行36字 永寿2年(156)の碑

  「張猛龍碑」
  高さ226cm 正光3年(522)に立てられた 魏体(隷書から
  生まれ 楷書の発展段階の一つである)の最高峰と言われる

 千仏山
  6日目(3日)、リフトで山の中腹(257m)まで登り 龍泉洞のやや細長い仏像や 文化大革命で壊された
  もので 8年前に再現された、心経、金剛経、般若経の碑などを見学、何気ない所に掲げられた王鐸の
  書にも目が向く。

  大明湖

      歴下亭
 大明湖の島に船で渡り ここにも、何紹基の楹聯、杜甫の
 「海右比亭古 済南名士多」が・・・

  上海
   7日目(4日)、上海新空港より 帰国の途に   お疲れ様!!
                                                                                                               目次へ戻る》     《次へ》