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南木墨跡を訪ねて

=炭山南木先生揮毫の碑を訪ねて ご寄稿いただきました。[2003/3/2]


 昨年九月 立山・黒部アルペンルートのバスツアーに参加する機会がありました。その時の珍道中ぶりを披露して一笑に興じたいと思います。
 旅の主な目的は、これまでの人生に多くの影響を与えてくれた、今は無き尊敬する二人の大人(たいじん)を偲ぶためです。その一人は言うまでもなく炭山南木先生で、先生が揮毫された“黒部ダム”の碑を拝見する為です。
 今一人は、私が三十余年勤務した会社の創業者です。最近偶然手にした小説、津本 陽の”牡のたてがみ”は、この創業者をモデルに町工場から一部上場企業を創り上げた成功者として、半世紀の生きざまをドキュメンタリーに小説化したものです。偽名であっても私の知る記憶と生々しく一致するのに驚きつゝ、貪るように読んだものです。そして黒部ダム建設に関わる搬送設備の受注が、その後の会社発展の礎となるも、陰に悲しい部下の殉職を忘れてはならない、と聞かされたものです。
                                                      
 さて、快晴の早朝、ナンバOCATからバスは名神高速・北陸道と快調に宇奈月温泉へひた走る。一日目の見どころはトロッコ電車である。断崖絶壁の谷隘を縫うように車輪をきしませて走る小さな電車。この線路が映画”黒部の太陽”で観た生き地獄の工事現場へ通じるルートの一つであった事を想いつゝ遥るか下方の黒部川の景観の美しさを眺め、楽しみながらも今昔の落差の大きさに幸せを噛みしめる。
 二日目は立山アルペンルート。ケーブルカーで美女平へ、高原バスに揺られること約50分で海抜2450mの室堂に到着。その昔、五月の連休に重いリュックを背負いスキーを担いで雪上を一日かけて登ったルートである。雷鳥の挨拶こそなかったが、360度緑の壮大なパノラマが広がる。何んと素晴らしいこと。気温9℃、暖かい立山ニューメンが旨い。昼食後、立山トンネルをトロリーバスで、次に見事な雄壮な景色を眼下にし、立山ロープウエイで黒部平へ、更にケーブルカーと遊覧を楽しんで黒部湖へ。いよいよダム到着である。しかし、この時既に問題は発生しつゝあったのだ。次のバス乗り場への移動を含めて、ダム散策時間が30分しかないというのである。これでは目的の碑を探すのに、もし時間を費やしてしまっては大変と、事前に添乗員を通じて、碑の在る具体的な場所の調査を依頼しておいた。

ところがなんと展望台の上に在るというのだ。耳を疑って再確認するもがっかりする答ばかり。普通ならダム放水の−イオンの飛沫を浴びながら、ゆっくり堰堤を散策するだけの時間だ。展望台へ行くとなると220段の階段を昇り降りしなければならない。その前に500mの堰堤を走って時間を稼がなければならない。諦めようか、否。ぎりぎりの選択であった。歳甲斐もなくバスの停車と同時にカメラだけ掴んで飛び出していた。観光客に阻まれて思うように走れない。一瞬立ち止まったり、ピッチを上げたり、ジグザグに走ったりで早くも息が切れだす。時計を見る。ハァハァ声が出てしまう。空気と唾を呑み込む。靴が重くなる。足が上がらない。ただ一人走った、休まず階段を昇った。時計を見た。息絶えそうだ。未だか。あと数段が遠い、…もう…限界。

漸く片足を展望台にかけた。さて、目的の碑は何処に。キョロキョロと目を、首を巡らす。目線の上に小さな歌碑を発見した。が、こんなチッポケなものであるはづがない。碑がこんな場所に在ること自体可笑しいのだ。時間がない。ダム全体を見下ろす絶景も感動がない。噴き出す汗で曇る眼鏡越しに、たゞ唖然と。強烈な脱力感、ランニングシャツ姿にアルプスの涌き水を頭からかぶった。飛びっきり冷たくて旨い。ガックリ肩が落ちる。足を引き摺りながら近道の階段を降りた。バスが待っていてくれた。口はカラカラ目はうつろ、気持は最低ダムの底。動悸が少し落ち着き汗も引いて来た、思考力も回復してきたのか、急に腹立たしくなって来る。”なんでこんな所まで走りに来たんや!”思うことはそればかり。そしてこの哀れな格好。屈辱感に悄然と頭を垂れる。
 期待に夢ふくらました旅もまもなく終りに近づく。関電トンネルをトロリーバスは扇沢へ。観光バスは信濃大町、安曇川、穂高町を経て中央道、名神高速を走って帰路についた。放心状態、眼を閉じる。鬼の形相で走る姿が浮かぶ。階段の昇り口附近に在ったと思われる碑を想像する。別の階段を降りた為に、この間20mくらいを迂回してしまったのだ。この僅かな距離の一郭に堂々と在り、その向い側に慰霊碑も在ったのだ。

なんたる皮肉。初めに場所を聞いたのが、そもそもの間違いだった。又、シニアらしからぬ頑張りも的はづれだった。悔しい!反省も然ることながら先生は、私が近づくことを拒否されたのか。”無理するな”ハッと眼が覚めた。”遠回りせずにストレートにやって来い”と諭されたような気がして。
バスは停滞の暗い御堂筋を、ゆるゆるとミナミに向って動いている。



闇に浮かぶ白い黒部ダム。大晦日の紅白歌合戦で歌う中島みゆきの映像が、再び私を想い出の中へ誘い出しました。
今回は折角のチャンスを残念な結果にしてしまいましたが、南木先生の貴重な書跡が、案外知られずに眠っているのではないかと思います。もしそうなら勿体無い事です。これを契機に更なる南木芸術の新たな発見や、再認識の動機付けとなれば嬉しいです。間抜けな旅のお粗末でした。
掲載の写真は、添乗員が撮影して後日送ってくれたものです。大きさ約3.5m×1,0m、石は20cm厚、鏡のように研磨された黒御影か。側面に”南木書”と刻ってあったそうです。             ’03.1.3羊記

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