1445-05-05「四」

執筆
任那伽耶
分類
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我は、刀である。刃はない。

思い返すに、昔は他の刀と同様に鋭い刃を持っていたような記憶がある。いつの間に失ってしまったのかとしばし思案する。そういえば、昔は今のような奇態な名前で呼ばれることもなかった。しかし我はかつてはただの刀であり、凡百と相違ないものであったはずだ。となると、おそらくは我が刃を失ってから、今の名は与えられたこととなる。わずかばかり手がかりが得られたか。

そういえば余人いわく、我は“妖刀”であるらしい。しかし我には所謂妖刀の類のごとき魔力はない。ただ他の刀より多く人に扱われ、より多くの人を切り裂いてきただけである。そこには何の意志もなく、ただ丈夫だったという一言に尽きる。

だがこうして刃を失ってしまえば、それも終わりである。何も斬れず、誰を殺すこともない。ただのモノ。それでも我はどういうことかこうして屋敷の床の間に後生大事に飾られている。“妖刀”だからだ。

いわく、刃もなしに人を斬ることが出来る。

いわく、主人に狂気を植えつけ乱心させる。

そんなものはどれもまやかしである。人々が勝手に言っているだけである。我にそんな力はない。しかし、人はあるのだと信じている。信じている以上はそこに何某かの念はこもるのだ。呪いというのは、人々がそう信じているからこそ存在するのだろう。だからこそ我は今、いずこかの邑の巨大な屋敷の一角に丁重に祀られているのである。

部屋の中には沢山の人々が座して、何事かを唱えている。我の知識を辿るに祝詞であろうか。しかしその部屋に神主はいない。中心に陣取る老齢の男性がその役割を果たしているのだろうか。

「お取り込み中のところお邪魔しまァす」

唐突に障子が開き、唱和が止む。

「はじめまして、邑の皆様方」

ゆったりとした袖に長い裾をもった衣と独特の意匠をした帽子。目尻には薄く化粧がされていて、切れ長の目を強調している。

男は紫の衣を翻し、しなを作った。鳥を髣髴とさせる無駄のない動きに、場の者は息を呑む。

「アタシの名前は鳳鴻禽。通りすがりの方士よ」

妙齢の女のような呂律が、この男の奇妙さを煽っている。

「まどろっこしい話は抜きにするわ。さァ、そこにあたる刀を渡して頂戴」

そういって方士は我を指差す。

「戯けたことを!」

若者の一人が立ち上がり、鳳と名乗る男に掴みかかった。血気盛んに男の襟元を捩じり上げる若者と対照的に、方士は涼やかな笑みを浮かべたままである。その姿に、我は危機を覚える。彼に関わってはならない、そんな気がしてならなかった。

「おやおや、聞き分けのない子ねえ。いい男なのにざーんねん」

鳳が彼の眼前に手をかざす。

「“憤怒”」

男の後頭部から剣が生えた。

誰もが見た。それは刺さったのでもなく斬ったのでもなく、突如として、はじめからそこにあったかのように顕れたことを。

男は膝から崩れ落ちる。傍らの者が駆け寄って確認するが、言うまでもなく男はすでに息絶えていた。

「な――」

「あらかじめ言っておくけど、アタシこう見えてもそこそこ強いの。つまり奪おうと思えばいッくらでも方法がある。でもねえ、一人一人殺して回るのも目的と主義に反するってわけ」

男が周囲を見渡すと、床にいくつもの剣が顕れた。どれもが鈍い光を放ち、場の者の姿を映している。同類から見てもその武器の格は桁外れである。いや、武器というよりもそれは兵器か、あるいは呪具だ。我などよりもそれは妖刀と呼ばれるにふさわしい。これほどの魔具を持つというのにどうして我を必要とするのか。我には理解できなかった。

それは、おそらくこの場の者全てがそうなのだろう。誰の目にも困惑と恐怖が満ちている。その空気を更に圧縮するがごとく、鳳は宣言した。

「だから、さっさと渡してくれない?」

事実上の、最後通告である。この方士は相手に言葉を発する余裕すら与えずに殺害する能力を持つのだ。そんな者に誰がかなうと思うだろうか。

「――久八」

上座に座っていた老人が視線を遣る。

「しかし!」

「いいから、言われたとおりにしろ。皆の命には代えられん」

久八と呼ばれた男は歯軋りし鳳を睨みつける。鳳はにこにこと笑みながら、ただ注視め返すだけである。久八は畜生、とだけつぶやくと我を手に取り、大股で鳳に歩み寄ると、ぶっきらぼうに手渡す。

鳳は鞘から私を抜き、刃がないことを確認する。そしてわずかに目を細めると、

「確かにこの刀で間違いないわね。すばらしい一品よこれは」

恍惚とした顔をした。

我にはそんな力はないというのに、益体無しであるというのに――貴様は、何を求めるのか。言い知れようのない怒りが身を焼いた。

鳳はそんな我の怒りにはまるで気づかずに、ただ狂気を帯びた眼で笑っていた。

「じゃあお礼といってはなんだけれど、」

鳳は優雅に懐から扇を取り出し、

「“理不尽”、“陵辱”、“怠惰”、“暴虐”、“憤怒”、“苦悶”、“非道”、“絶望”」

宣言するように、禍々しい言葉を唱えた。室内を漆黒が包む。それは明らかに悪意を含んだものだった。瘴気が皮膚を焼くのを、誰もが感じた。

私の中で、何かがうずく。一刻も早くこの男の手から逃れなければならないと全身が訴えかけていた。そうだ、その殺気を、私はどこかで味わったことがある。この先に何が起こるか、私は知っている。

誰に聞こえるはずもないのに、我は叫ぶ。早く逃げてくれと。そうしなければ――。

「な、何をする!」

久八が方士の肩を掴む。方士は露骨に侮蔑をこめた視線を向けた。

「臭い顔を近づけるんじゃないわよ」

瞬間、漆黒の中から太く毛むくじゃらの腕が飛び出し、男を絡め取る。方士ははじめて本当に、心の奥底から笑ったように見えた。

漆黒が晴れると。

そこには、異形があった。

全身を眼で覆い尽くした巨人、屹立した男根を頂部にそびえ立たせた十本足の軟体生物、細長く節くれ立った殻を持つ甲虫。狂人の描く妄想のような姿は、どれもこれもこの世にあってはならない存在だと本能に訴えかけるものだ。

「あら、いやん。アタシったらつい貞操の危機を感じて荒っぽいことしちゃったわ」

鳳はくるくると回りながら扇を開く。扇には百足と蜂をあしらった不気味な紋が描かれている。

「貴様ッ、刀を渡せば手は出さないと言ったではないか。約定を違えるのか!」

「あれれ、アタシそんなことは言った覚えはないわよ?」

叫ぶ老人の熱を冷ますように、鳳は扇を泳がせた。

「言ったでしょ? 『一人一人殺して回るのも目的と主義に反するから、さっさと渡してくれない?』って。だーって、この子達使っちゃったらこんなチンケな邑なんて瓦礫の山にしちゃうからねえ。お目当ての品探すのに苦労しちゃうし、疵でもついたら大変よぉ。それにアタシは自分の手を汚すのは嫌いなのよ」

特にアンタたちみたいな莫迦の血は臭くてかなわないわ、と鳳は扇で顔を覆った。同時に、異形に絡め取られていた久八の身体が西瓜のようにあっけなく砕けた。降り注ぐ血の雨は紫衣の方士を避けるように流れていく。

「貴様ァアアッ!」

「何、怒ってるの? 駄目ねえ。ちゃんと契約条件は確認しないと。これだから倭人は商売下手っていわれるのよ」

やれやれとでもいいたげに首を振ると、指を鳴らす。間髪いれず、“憤怒”の爪が邑長に突き刺さった。彼の身体は枯れ葉を握ったように粉々になり、床に散らばる。更にどよめきが上がる間もなく、他の魔獣たちの凶刃が部屋の者を襲った。

一秒、いや刹那も与えてはいまい。瞬きするほどの時間で、そこに人がいたという痕跡は全て消滅し、部屋は隙間なく紅に染まった。

我は、絶望した。

彼らは、ありもしない“妖刀”のために殺されたのだ。そんなことが、あってよいはずがない。許せるはずがない。天は、斯様な悪事をのさばらせておくものなのか。

鳳は肩を竦め、おどけた調子で魔獣たちを諭している。

「あららン、駄目じゃないアンタたち。こんなところであんまり暴れたらアタシの服が汚れちゃうでしょ。やるならお外でおっやんっなさーい。ほらほら、他の子達もさっさとお片づけするように!」

魔獣たちは頷き、壁や障子を破壊し、表に出る。鳳はその様子をニヤニヤと見つめながら、ちょっとはりきりすぎちゃったかしらねえ、などと白々しく口にした。

――そして、邑は地獄に喩えることすら出来ない惨劇の場と化した。

床についていた女性は美しいと評判だった皮膚を“陵辱”の鞭で根こそぎ引き裂かれた。厠に立った老人は用を足し腰紐を結びなおしたところで“暴虐”に縦に真っ二つにされ、先ほど出した自らの糞尿に塗れた。夜泣きしていた赤子は“怠惰”に鼻から脳を吸いだされ、豪勢な食事の夢に身を躍らせていた少年は“非道”によって裏返った赤子を臍に押し込まれ口から肺腑を吐き出した。三つ子の少女は裏庭の竹に揃って串刺しにされた。異変に気づき飛び起きた男は目の前で幼い息子と娘、愛する母親の首が“理不尽”のお手玉の道具にされているのに耐えられず飛び掛り、四つ目のお手玉となった。

半刻足らずで、邑人はことごとく殺された。邑人をあらかた殺し尽くすと、手持ち無沙汰になったのか、魔獣たちは邑そのものの破壊もしはじめた。

「あっはははははッ。これで後腐れはまったく なし Nothin' 。さァて、それじゃあ次の目標にいくとするかしらね」

いまだ続く破壊の音を尻目に、鳳は邑を後にする。

まるでこの世ならざる異界を覗くようなその目が、はるか虚空を睨んでいた。

そうして我は今、魔人の手の内にある。

何も出来ず。

今、こうして一人の少女の命を奪おうとしているのだ。

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