夕陽を背に

執筆
任那伽耶
分類
,,

昼過ぎ。

意を決して、廊下の突き当たりにある扉をコンコン、とノックする。

すると静かに扉が開き、昨日と同じような無彩色の服を着た雫が無表情に出迎えた。

その姿に、私はまたドキリとする。

例えて言うなら、小説家が自分の作品のキャラクターと出くわしたようなもので、あまり心穏やかでいられるものではない。

とはいえ、いつまでもこうして部屋の入口に突っ立ったまま、雫の顔を見つめているわけにもいくまい。

「お、おはようございます――お嬢様」

私が出来る限り平静を装って丁寧に挨拶をすると、雫は少しだけ目を細めて、

「雫、でいいよ」

と言って長めのスカートを翻すようにきびすを返すと、スタスタ部屋に戻る。

いささか混乱していたとはいえ。

――さすがに〝お嬢様〟はないだろう。

などと思いながら私もその後に続いた。

部屋の中は予測していたのとは違い非常に簡素な印象を受けた。

私があてがわれている部屋は美千代の話によると屋敷の中でもかなり簡素な内装であるということだったが、その言葉が疑わしくなるほど、雫の部屋は殺風景だった。

確かに床に敷かれている真紅の絨毯こそ豪華なものだが、部屋を見回してみると、机とベッド、そしてタンスといった程度で他には家具らしいものも見当たらない。

絶対的に物の数が少ないのだ。

部屋には使う人の性格が現れるというが、ここまではっきりしているのも珍しい。

そんな 寂寥感 せきりょうかん 溢れる部屋の最奥で、すでに雫は席についていた。

やる気があるのか早く授業を終わらせたいのかは分からないが、何にせよ良いことだ――とりあえずはそう納得すると、私はその隣に据えられた椅子に座る。

「さて、では始めましょうか」

そういうと雫はコクリ、と小さく頷いた。

静江が言ったとおり、雫はどこか風変わりな少女だった。

反応がどこかズレているというのだろうか、少なくとも相当につかみどころのない性格をしているのだけは間違いがない。

どの程度の学力を持っているのかを確認するため、範囲を広めにとって簡単なテストをしてみると中学一年程度の知識で止まっていたので、はじめはペースを遅めにして授業を進めていたのだが――。

「――この大陸の情勢に対し朝廷は――」

私の話はしっかり聞いているらしく、一度教えたことはほぼ確実に覚えているし、飲み込みが早いのか、試しに少しひねった応用問題の類を出してみてもスラスラと解いてしまう。結果的にペースは予定より相当に上がり、内容のほうも密度が濃くなっていった。

そう、雫は賢かった。この調子だとあっという間に彼女が本来学校で習うはずであった内容などさっさと通り越し、しまいには私が教えることもなくなってしまうだろう。やる気の問題なのかとも思ったが、見る限り学習意欲は非常に旺盛なようである。

彼女のいったいどこが〝困った子〟なのだろうか――。

疑問を抱きながら、私は授業を進めた。

「さて、今日はここまでにしましょうか」

ちょうどキリの良いところまで来たので私はそう言った。

時々休憩をはさんでいたものの私の不慣れと動揺のせいでかなり授業は長時間におよんでしまった。現に窓から射し込む光はすでに紅く、雫の姿を真っ赤に染めている。

「少し終わるのが遅くなってしまいましたね。すみません」

私が謝ると雫は目を伏せて、

「――楽しかったから」

困ったように首を横に振った。

モノトーンの髪がサワサワ、と涼しげな音を立てて揺れる。

「明日も、よろしくおねがいします」

真っ赤な夕日を背に小さく微笑むと、雫はそう言って頭を下げた。

ささやかだが混ざり物のないその表情に、私は胸の奥が暖かくなるのを感じた。

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化石が見る夢

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