赤膚焼歴史年表
紀元前 水仁天皇により野見宿禰が出雲国の土師部(はじべ)をよびよせ、埴輪造りを菅原の地でつかさどる。
845年 菅原道真公が菅原是善公の三男として、この地で誕生する。
1585年 豊臣秀長郡山城主となり、大和大納言と称される。
大和大納言秀長の命により五条山に独自の登り窯を築く。
小堀遠州・姫路より郡山城に移る。
1588年 小堀遠州は秀長訪問の利休の茶湯に給仕し、赤膚焼を自分好みの窯に指導する。
1724年 柳沢吉里甲府より郡山城に入る。赤膚焼を御用窯とする。
柳沢里恭・赤膚焼に絵付けをする。
1773年 柳沢保光のちに尭三公三代城主となる。
1789年 柳沢家の保護のもと、五条山に窯が築かれる。
1835年 奥田木白(柏屋武兵衛1870没)、楽焼をはじめる。
1883年 初代昭山(駒吉)都跡村五条にて父甚蔵の三男として誕生。【1941年没】
1915年 二代昭山(重松)父駒吉の長男として生まれる。【1973年没】
1921年 駒吉・赤膚で修行の後、楽焼窯を築き独立。
1935年 赤膚の地で最初に登り窯を築き初代昭山として本格的に活動を始める。
三代昭山(末博)父駒吉の四男として生まれる。【1994年没】
1941年 重松・二代昭山を襲名。
1960年 四代昭山(栄作)父末博の長男として生まれる。
1974年 末博・三代昭山を襲名。
1995年 栄作・四代昭山を襲名。