奥田木白

陶工(1800〜1871)。法隆寺で生まれる。幼名は亀松。通称佐兵衛、のちに武兵衛と改めた。堺町で荒物屋を営んだが家業を廃して陶工となった。
以後「柏屋」の「柏」を二分して「木白」と称した。木々斉、五行庵などの別号がある。
清水の陶器を模している内、独得の味を出して評判となった。得意としたのは「仁清写し」「里恭写し」などで、また「奈良絵風」のものや、一刀彫の味を陶器に写すことに努めた。書き留めたものに『口伝控帳』『浮世のゆめ』などがある。天保11年(1840)の秋から五条山中の窯(なかのかま)へ本焼を依頼している。それまでは楽焼きのみを自宅で焼いていたようである。明治4年2月没。円融寺に葬られる。

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