今回、宿泊したB&B (1998年10月)


B&Bの御主人は、どこかレックス・ハリスンに似た風貌で、パン屋さんのシェフ(経営者?)だった。週末は自宅で、それ以外は、朝6時半にバンを運転して、出勤されるのだった。有り難いことに、朝食には、色々おいしいパンがでた。帰国してから、家内が挑戦を試みているが、クランペットはなかなか同じように作るのが難しい。それまで見たことがない各種のセレアルがあるのに驚いたが、最近では、京都三条の明治屋で入手できるようになった。我が家の朝食メニューに取り入れている。
 さて、このB&Bの奥様は、ロンドンの中心部からかなり離れているのに、どうしてここを選んだのですかと訊ねられた。小生は、チャールズ・ディケンズが、このあたりをとてもきれいな処だと、小説などに紹介しているからですと、返事したのだった。奥様の話しには、私が知らないことが多く、ロンドンを知るのに大いに役立っている。例えば、Residents' Associationのパンフを見せて頂いて、その活動のことも伺った。以前、ブシィ公園(Bushy Park)内に家を4軒建てるという計画がわかったとき、その反対に行ったとのことだった。市民社会が、地域の環境を守っていることを実感した。気を付けてみると、インターネットでも、イギリス各地のResidents' Associationの活動も、だいだん見えるようになってきた。


 このB&Bの裏庭を、早朝、リスが横切って行く。左図は、庭の写真の一部を引き延ばしたものだが、リスが確認できるだろうか。
 ロンドンの中心部にあるホテルで、サービスがよくなかったと話す人がいた。本当なのかどうか私は知らない。もし、本当だとすれば、このような気持のよいB&Bに泊まったほうがよいのではなかろうか。多くのB&Bの情報を記した、かなりのページ数の本がロンドンの本屋で売られている。日本では、この種の本は書店で全く見ない。そのためであろうか。私が泊まったB&Bでは、日本人はまず利用していない。ロンドン紀行1で紹介したB&Bでは、我々が最初の日本人であった。今回のB&Bでは、一度だけ日本人の女性が、職探しに来て、宿泊したことがあるとのことだった。残念ながら、その人は、英語に難点があって、他者と話しをしないでも済むような職業でなくてはならなかった。そこで、職探しは成功しなかったそうである。随分大勢の日本人が、ロンドンに観光その他に訪れる。しかし、もっぱら団体行動をしていて、ロンドンの人々を知る機会もなく、帰国してしまう。もったいないことである。


 この地域は、品格のある住宅が立ち並び、セミ・デタッチドあるいは、デタッチドの造りが多い。また、かなり高額の税金を払っているとのことである。とある不動産屋の前に置いてあった色刷りのパンフでは、いいなあと思う一戸建ち住宅では、30万ポンドはしている。
 この地域は、1894年の地図[8]では、まだ開発が進んでいない。今回のB&Bの場所は、まだ空地に描かれている。
 玄関の鍵は、厳重で、二つあるいは、さらに内部から、もう一つかけることもある。昔は、鍵をかけなくともよかった時代があったという。ところが、留守中に、横手のドアを破って泥棒が入ったことがあるそうである。



 Twickenham Green公園の一角にある三叉路に、かつてのポンプが再建されている。このポンプの蛇口の上に付けられた銘板には、
 THIS PUMP
 WAS RESTORED BY PUBLIC SUBSCRIPTION
 TO COMMEMORATE THE
 SILVER JUBILEE OF H.M.QUEEN ELIZABETH II
 IN THE YEAR 1977
の文字が刻まれている。


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