5月連休も終わりに近い5月5日(日)。今日こそは1日中自転車に乗るぞと家族に宣言してはみたもの、朝起きてみると、天気予報は「晴れ」の予報だったのに、なんだか雨が降りそうな気配。「これでは自転車に乗れないのでは」と出かけるのを躊躇していました。しかし、改めて電話で天気予報を聞くと、昼前から晴れるとのこと。それならと出かけることにしました。しかし、出発の時間がすっかり遅れてしまいました。
今日のツーリングは、三重県上野市の上野公園から信楽を経て甲賀の里へ、そこから上野公園に戻ってくるという周回コースです。「伊賀」、「甲賀」といえば、そう「忍者」です。今回は、まだ行ったことのない「紫香楽宮跡」と「甲賀忍者屋敷」を訪れることが目的でした。 なお、今回のコースは「西日本サイクリングGUIDE」(山と渓谷社刊)の「伊賀・甲賀の里」コース紹介を参考にさせていただきました。
コースは次のとおりです。走行距離は84.2km。途中忍者屋敷を見たり忍術村に入ったりしたため、合計約8時間半かかりました。
三重県・上野市の上野公園駐車場 〜 諏訪 〜 桜峠 〜 信楽 〜 紫香楽宮跡 〜 甲南(忍術屋敷) 〜 甲賀(甲賀の里忍術村) 〜 柘植 〜 上野公園駐車場
自宅から上野市までは国道163号線を通って車で自転車を運びました。以前にも書きましたが、国道163号線は自転車が走れる道路ではありません。道幅が狭いうえに側道はほとんどなく、交通量が非常に多くて、大型のダンプカーがたくさん走っています。ここを自転車で走るのはまさに自殺行為です。今日も10名くらいのサイクリストを見かけました。事故にあわないようにするために、国道163号線を自転車で走るのは止めましょう。
駐車場入り口の看板を見ると、「午後5時に門を閉めます」と書いてあったので、慌てて係りの人に聞きましたところ、忍者姿の係りの人は「明日の朝まで大丈夫です。ここの入り口は開いています。」とのこと。安心して止めることにしました。駐車料金は一日止めて500円でした。
9時50分 上野公園駐車場を出発愛車MuddyFoxを車から出して準備をし、いざ出発。空はいつのまにか晴れています。駐車場の出入り口で、忍者姿の係りの人が「いってらしゃい!」と声をかけてくれました。ほかにも4人ほどのMTBに乗った若者グループもこの駐車場から出発していました。案外ここは上野周辺のサイクリングの基地的存在なのかもしれません。
私は上野公園は3〜4回入っているので、今回はパスして、直接国道422号線に向かいました。国道422号線には伊賀上野駅の北側から入ります。非常にわかりやすいです。道幅は1.5から2車線幅で、ところどころ狭くなっているものの、交通量も少なく、自転車にとって走りやすい道でした。
諏訪までの山道について、ガイドブックでは「諏訪までの上りは道も狭く、高低差も200mほどあるのでかなりつらい」とありましたが、私の感覚では「つらい」というほどの登り坂ではありませんでした。峠をひとつ越えて道を下ると、ほどなく諏訪に到着。
諏訪の集落を過ぎ、阿山町の丸柱交差点を左に曲がって登り坂を上がりきると、そこが「桜峠」でした。桜峠には広い駐車場があります。それにしても、あたりは桜の木があるようには見えません。どうして桜峠というのでしょう。
ここから下り坂を快適に進むと、信楽町に入ります。
ここで国道307号線につながっています。この交差点を右に曲がってしばらく進むと、信楽町の中心部にやってきます。信楽は、もちろん信楽焼きで有名ですが、いたるところに信楽焼きの店が建ち並んでいます。信楽焼きといえば「狸」。どこへ行っても、大小さまざまな狸の置物が置いてありました。
信楽の町からちょっと離れたところにある喫茶店で昼食を取りました。30分ほどの休憩です。町を経由するサイクリングは、おなかがすいたときに便利ですね。どこでも食べることができます。
なお、ここから甲南の町までは、山の中の道を走りますので、食堂などはありません。
前から訪れてみたかった「紫香楽宮跡」にやっと到着です。
紫香楽宮跡は、予想に反して緑の木々に覆われ、中に小さな社(やしろ)が建っていました。
立て札の説明によると、天平14年(742年)に、恭仁の宮(京都府相楽郡加茂町)を造営中であった聖武天皇は、恭仁より東北の道を開き、信楽に離宮の造営をはじめられたそうです。ところが、何度かの行幸の後、745年の正月にはここを新京として百官朝賀の新年儀式をとり行いました。加茂町の住人としては残念なことですが、恭仁より信楽の方が良かったのですね。実際に紫香楽宮跡を見てみると、恭仁より広々として、大きな建物がいくつでも建設できそうでした。
しかし、朱雀門や大安殿・朝堂などが建ち、役所も大部分がこの地に移ってきたものの、同年4月ごろから周辺の山々に大火災があい次ぎ、また地震などの災害も起こって人心の不安がつのったために、同年5月には、都を奈良の平城宮に戻されたとのこと。
興味深いのは、聖武天皇は743年にこの地で大仏を造ることを始められたのですが、遷都によりかなわず、後に東大寺の大仏殿として完成したのだそうです。
しばらく紫香楽宮の雰囲気に浸ったあと、甲賀を目指して国道307号線を更に東へ進みました。しかし、307号線は意外にも交通量が多く、しかも道路に50cm以上の幅の側道が設けられている場所は少なく、車が通るたびに神経を使いました。この日はおまけに風がきつく、強風が吹くたびに自転車がゆれ、車と接触するのではないかと少々心配でした。道自体は緩やかなアップダウンが繰り返す感じで、快調にペダルをこぐことができます。やがて、緑豊かな甲南の町が見えてきました。
道を下りきると、次のような田園風景が待っていてくれました。落ち着いていてのどかな感じです。
貴生川駅の手前で、鉄道をいったんくぐり、大きな較差点を右に曲がって再び鉄道をくぐり抜けて県道4号線を南下します。ここからは田園風景の中、杣(そま)川に沿って自転車を進めます。すると右手に「甲賀流忍術屋敷」の看板が見えてきました。今回のサイクリングの2番目の目的です。上野市の公園の中にある伊賀流忍者屋敷は3度ほど入ったことがあるものの、甲賀流の方はまだだったので、楽しみにしていました。
甲賀流忍術屋敷は、道路から少し入ったところの民家の建ち並ぶ中にあります。建物はなんと300年前に建てられたものとか。現存しているものでは一番古いようです。外見は完全に昔の一般的な農家ですが、中に入るといろいろ仕掛けがあります。さすがに「本物」と思わされました。忍者が使う道具なども豊富に展示してあります。忍術屋敷のおじさんがいろいろ説明をしてくれました。このおじさんの説明が面白い。忍者の意外な(実は真実の)側面を窺い知ることができました。
なお、おじさんの説明によると、上野公園の忍者屋敷は甲賀の地にあったものを、上野公園に移設したのだそうです。それから、江戸城の「半蔵門」は甲賀流忍者・服部半蔵に由来し、「青山」の地名はその昔、三重県の青山町に住む人々が江戸に移り住んで、付けられた地名だそうです。そのほかにも、甲賀や伊賀地方にある地名が、東京にはいろいろ見つけられるのだとのこと。面白いですね。
15時35分 甲賀の里忍術村 (54.8km)次に目指したのは、「甲賀の里忍術村」。ここまで来たのだからと、自分の歳は忘れて、ついでに訪れることにしました。県道4号線からは約2キロほど東に行ったところにあります。途中、杣(そま)川の東側の町中を走ってみました。昔ながらの古い家並みも見られました。右の写真の中央に写っている石柱には、「伊賀街道」の文字が刻まれています。
甲賀の里忍術村には、忍術博物館や忍者屋敷などの建物があり、また子供たちが遊べる「手裏剣道場」などがあります。なぜかバーベキューを楽しめるコーナーもあり、多くの家族やグループが野外での昼食を楽しんでいました。入場料が大人1000円というのはちょっと高いかなと思いますが、男の子のいる家族にとっては面白いかもしれません。今日は子供の日とあって、大勢の家族が訪れていました。忍者はまだまだ忘れられてはいないようです。
忍術村を後にした私は、もとの県道4号線に戻り、ガイドブックの地図のとおりに国道25号線を目指したのですが、4号線をさらに南下している途中で4号線から外れてしまい、道に迷ってしまいました。このあたりはいろいろ新しい広い道路が縦横無尽に通っていて、しかも標識が十分でなく、どこをどう走って良いのやら見当がつきません。
でも、少ない道路標識を頼りになんとかもとの4号線に戻り、国道25号線にたどり着くことができました(17時23分 70.6km)。夕暮れが迫ってきています。ここからは、上野城を目指して、懸命にペダルをこぐだけです。
25号線は交通量が多いのですが、柘植から上野に向かう途中までは、ちゃんとした側道が設けられており、自転車は安全快適に走れます。ところが、上野に近づくにつれ、側道が狭まり、部分的にはほとんど側道が付いていない箇所もかなりありました。交通量が多いだけに、自転車で走るのはかなり気を使いました。(くるまを運転している人も気になったでしょうけど)。
18時18分 上野公園駐車場着 (84.2km)やっと出発点に無事戻ってきました。出発してから8時間半ほど経っており、本日の走行距離は84.2kmでした。でも、今回のコースは激しいアップダウンがなかったせいか、体はまだまだ走れる感じでした。それにしても、やはり私は「野山を走る派」でいたいです。町中の車道を車を気にしながら長い距離走るのはどうしても慣れません。次回のツーリングは、野山の道にしようと思いました。