終生飼育

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私が初めて犬を飼ったのは、小学校6年生の時だった。
「一戸建てに引っ越ししたら犬を飼いたい」という私たち姉妹の念願は引っ越しと同時に膨れ上がり日々こんな犬/あんな犬等と言いながら過ごしていた。
ある日、叔父から「今から子犬を連れて行くから」という電話をもらった時には私たちの喜びは沸騰点にあり叔父の車を今か今かとそわそわしながら待っていた。
車から降りてくるのと同時に叔父は笑いながら
「ちょうどええやろ、これくらいのが」とクリーム色の犬を私に渡した。「へっ?」
ふわふわとした綿毛のような白い毛に真っ黒な黒曜石の瞳と思っていたのだが「あれ?違う。」そうなのだ。
まさに違ったのだ。およそ子犬とは言いがたい大きさの犬。
ぷんぷん匂いもする が、やたら機嫌良く尻尾を振って愛想を振りまいている。
私たちは思っていた犬とはかなり違った犬を意外とあっさり受け入れたのである。(おそらく希望はともかく犬ならなんでも良かったのだ。幸か不幸かその頃の私たちには選択肢という素晴らしい裏技は存在しなかったのである)予定通りカピと名付けられたその犬は思いの外暴れん坊であった。
当時外洋を回っていた父は年に数回しか帰宅する事はなかったのでその度に玄関で足をがぶりと噛まれ、その度に烈火の如く怒り、ろくにしつけをしない私たちを叱った。
そのせいか父がカピを連れて散歩に行くとカピは途中で父の目を盗んで逃亡し私たちは翌日から泣きながらカピを探しまわらなければならなかったのだ。主人が散歩に連れて行ってその隙を見て逃げ出すなんて一体どういった性格なのだろうと考える事もしなかった。
まさに飼い犬にあるまじき行動の多かったカピだが今から思えば、父の言う通りしっかりしつけをしなかった私たちが悪かったと思う。その暴れん坊のカピが、ある日血尿をした。学校から帰ると母が
「カピ、元気がなくて血尿してんよ」
と心配げに言った。
「保健体育の先生が言うとったけど、人間も疲れたら血尿するらしいで。カピも疲れとん違う?」
と能天気に話す私を姉と母は、あきらめたように目を交わし「バカ」と声を出さずに口を動かした。
そして翌日獣医の所へ行こうと話し合って決めていた。
獣医の診断の結果は、末期のフィラリア症であった。手術をしても殆ど絶望的だと宣告された。
しかし私たちは苦しんでいるカピが少しでも楽になるのではないかと思い手術をしてもらうことにした。
無事に手術が終わり帰ってきたカピは胴体に包帯を巻いていた。
それでも私たちは無事に生還したカピを褒めたたえ喜んだ。
ひょっとしたら長生きできるのではないかと期待を持っていた。
末期のフィラリア症の犬が延命できるはずもなく遂に別れの日がやってきた。
カピは私たち家族をじっとみつめていた。
そしてひとりずつに挨拶をはじめた。尻尾を振り顔をしっかり手にこすりつけて大好きな「ナデナデ」を要求していた。「カピ、カピ、ありがとうな」
私たちは涙で言葉がなかなか言えなかった。
初めて体験する愛犬の死を前にどうしたらいいかわからず戸惑っていた。
カピは尻尾を振っていた。出会った頃のように。
そして一番面倒を見ていた姉の腕の中で旅立った。


翌日カピのいなくなった庭は、ガランとしていて犬小屋は泣いているように見えたけれど確かにカピがそこに存在したのだと言う証拠に思えた。

大人になって思うのだが、子供の頃に動物を飼育する事で自然と責任を学ぶ事になりその動物を中心に喜びがあったり悲しみがあったり感動があったりするのではないか。
これこそが人と動物との共生の基本ではないか。
初めて自分の手のひらで感じる命の重さは、愛する事や相手を思いやる事、悲しむ事を教えてくれるのである。対象となる動物は金魚であったり、昆虫であったり、ひよこであったりと様々だがそれらの小さな命達は必ず将来、愛情豊かな人間形成に役立つものを与えてくれていると信じている。



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