We're alive
No.63

エピローグ 1

 翌日、天気は見違えるような快晴となった。
 上流に降り注いだ豪雨は、新たな濁流となって押し寄せ、アッという間に川はその様相を変えた。
 この年は特に降雨量が多かったため、人間に対する被害も大きかったのだが、なかでもアマゾナス号の転覆事故は最大の事件だった。乗り合わせた人間で生還したのは、たった一名。半数は行方不明で、残り半数の遺体は、下流で次々に発見された。
 ノーマン・グリーンウッド、そしてフランクとティムの遺体も三日後に発見された。ひどく傷ついていたが、唯一人の生還者ヘンリー・マクファーソンによって確認され、彼によって盛大な葬儀が営まれたのち、三人が五年間暮らしたアマゾンの川面に散骨された。
 船会社と遺族たちによって、マナウスの高台に合同慰霊碑が作られたが、そこにはノーマン・グリーンウッドの名前とともに、フランク、ティムの名前がはっきりと刻まれていた。

 事故のあと、ヘンリーは体調不良で入院を余儀なくされたが、絶対安静というほどでもなく、その間に押し寄せた数多くのマスコミの取材を受けた。
 彼は亡き船長の家族をおもんばかって、事故の原因について、振る舞い酒にはいっさい触れず、不運な座礁事故であると明言した。彼だけが助かったことについては、座礁船から流れてきた飲食物を口にしたおかげであると語った。なぜこの時期にアマゾンを訪れたのかという質問には、仕事上、新たな食材を求めてと適当に答え、かつての上司ノーマンが同乗していたことについては、偶然であると突っぱねた。正体不明の黒いヘリコプターが飛来したとの噂についてもきっぱり否定した。この点について、捜索隊もその通りであると答えたという。

 妻レニーの献身的な看護のかいあって、十日後にヘンリーは退院することができた。帰国する前に彼は慰霊碑を訪れ、しばし黙祷を捧げたと、地元の新聞が一面で報道した。

 報道陣による洗礼は、ニューヨークでも浴びることになった。密林で遭難し、唯一人の生き残りというニュースはここでもセンセーショナルに伝えられており、特に“巨大ワニとの格闘”については映画化の話も出ているとレポーターから聞かされ、ヘンリーはいささか驚いた。

 グランド・セントラル駅のホームに降り立ったとき、ヘンリーはさすがにホッとした。我が街に帰ってきたという印象が彼の緊張をようやく解いたのだ。しかしそれもコンコースに上がるまでだった。
 コンコースに出たヘンリーとレニーは、沸き返らんばかりの歓声に迎えられた。しかし今度はマスコミではなく、地元の一般人ばかりだった。
「おかえり、ヘンリー、また頼むぜ!」
「レニー、これからもよろしくな!」
 みんな二人のレストランの常連客だった。彼らは二人を囲んでねぎらいの言葉を口々に述べると、一団となってレストランへと、すなわち二人の家のある駅の裏通りへと練り歩いた。
 ヘンリーは心からありがたいと感じた。
 十八歳で渡米し、十一年間、生き馬の目を抜く流通業界の最先端で戦ってきた。その間、友人も恋人も作らず、ひたすら孤独に徹し、復讐の二文字だけを睨んで生きてきた。
 五年前、レニーと出逢い、それまでの身分を捨てた。
 収入は数十分の一に激減した。
 新しい仕事は、早朝から深更にまで及ぶハードワーク。
 それなのに、この充実感はどうだ。
 今や常連客も増え、店を広げる話も出ている。
 ……あの頃、自分を突き動かす原動力は、復讐しかなかった。だが今は違う。今は何かと問われれば“人”と答えるだろう。妻レニーであり、温かい常連客たちであり、そしてこの数年間にさまざまな局面で支えてくれた友人たち。
 自分に対する期待。自分を必要としてくれる気持ち。それを感じるとき、生きていることを実感する。
 父さんや母さん、姉さんも、今の自分を見たらきっとほめてくれるだろう。よくがんばったと。
「そら、我が家にご到着ぅー」
 常連客の一人が調子っぱずれな声をあげた。すると別の客が酒臭い息をヘンリーに吐きかけながら言った。
「明日からでいいから店を開けてくれるかい? オレァ、“メアリーのシチュー”がないと、さみしくて酒ばっかり呑んじまうんだ。頼むぜ、大将!」
 ヘンリーはOKとばかり、ウインクして見せた。
“メアリーのシチュー”はヘンリー発案によるメニューだ。姉のメアリーがよく作ってくれた味を、ヘンリーは研究を重ねて、ようやく味と食感を再現することができたのだ。“メアリーのシチュー”はすぐに人気メニューになった。鉄道をいくつも乗り継いで食べに来てくれるお客までいる。だからレストランの周辺には、いつもシチューのにおいが漂っている。それはヘンリーに生まれ育った街を思い出させた。ロンドン、イーストエンド。そして今や第二の故郷になったこの街、ニューヨーク、ミッドタウン・イースト。

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