錨はヘリの前部窓に、ものの見事に突っ込み、ぐしゃりと潰れたヘリは、錨と船をつなぐ鎖の重みに引きずられるように、川の上へと墜落した。 あまりの光景に、ヘンリーもノーマンもただただ息を飲むばかりだった。 勢いをつけて急降下してきたヘリを、錨は空中で係留し、叩き落としたのだ。乗っていた狙撃手たちは生きてはいまい。 二人は座礁船の上のフランクを見た。彼の眼にヘンリーやノーマンが映っているのだろうか。フランクは右手を大きく回したかと思うと、そのままデッキの上に倒れた。 「バカな。なんて無茶なことを」 ノーマンが涙まじりの声で叫んだ。ヘンリーも震える拳を握りしめ、フランクのために祈った。彼にも黒ヘリが“組織”の手のものだと気づいたのだろう。どこか舷側の窓からノーマンらの危難を知り、重傷の体をおして、あんな無謀な手段に出たのだ。座礁船の影に消えたフランク──その幻影に、二人は悄然と頭を下げずにはいられなかった。 ティム同様、フランクもボディガードとしての任務を最後まで全うしたのだ。 回転翼の音がした。捜索隊のヘリが戻ってきたのだ。 「社長、さあ参りましょう」 「ああ……。だがその前に言っておこう。私はもう“社長”ではない。守ってくれる者をなくした一人の男だ」 落ちたヘリを見つめたまま、ノーマンは言った。 「判りました。それでは、ノーマン。行きますよ」 頭上に静止したヘリは、再びスルスルと梯子を伸ばしてきた。今度はヘンリーもうまくつかまえることができた。 「さあノーマン、昇って」 言い切らないうちに、ヘンリーの背中がドンと押され、ヘンリーは梯子の最下段につかまったまま、空中に放り出された。 「な、なにするんです!」 「早く逃げろ!」 ノーマンの鬼気迫る声が背後から浴びせかけられた。 ヘンリーは聞いた。極めて重いものが断末魔のような音をたてるのを。 そして見た。くさびのように川の真ん中に打ち込まれていた座礁船が、見る見る動き出したのだ。 錨に落とされた黒ヘリが、かろうじて止まっていた船を引きずったのか。もちろん今朝からの川の増水とも無縁ではないだろう。 座礁船は自分の重みに耐えきれず、脇腹の裂け目を押し広げながら、なおも前進するのをやめようとしない。 「レニー、もっと下げてくれ!」 強さを増した風雨がヘリのコントロールを奪い、梯子が激しく左右に揺れる。 そうしているうちにも、船は墜落した黒ヘリを飲み込み、さらに激しく水を蹴散らしながら迫ってくる。 ヘンリーはつかまっている梯子を腕の力だけで昇り、ようやく足を掛かると、 「ノーマン、早くつかまって!」 いつの間にかヘンリーは泣いていた。泣きながらも、あらん限りの声で呼びかけていた。 「──さらばだ」 ヘンリーの耳を聾(ろう)していたあらゆる騒音が消えた。 世界には彼とノーマンしかいなかった。 「ノーマン!」 雨水と涙でぐしょぐしょになった眼に映ったノーマンは、この上もなく豊かな表情で微笑んでいた。 独裁的な経営者でもなく、残忍冷血な理想主義者でもない。およそ平凡な四十男がそこにいた。 「──どこかでまた逢おう!」 次の瞬間、ノーマンの姿はかき消すように見えなくなった。 ヘンリーの真下を、もはや残骸と化した船が、何もかも浚(さら)っていった。 聴力の戻ったヘンリーは、何度もノーマンの名を呼んだが、勢いを増す風雨の前には、小鳥の囁きに等しかった。 |
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