それを見て取ると、ヘンリーは樹の股から降りた。 「水しぶきを上げるな。ピラニアが寄ってくる危険がある。平泳ぎで行け」 ノーマンは真剣な口調でアドバイスした。 「了解」 応えると、ヘンリーは静かに水の中へ体を沈めた。 周囲は依然、シーンと静まりかえっている。ヘンリーはその静けさがやけに気になった。首を巡らせると対岸では十頭ほどのワニがじっとしている。ライフル銃の威力が身にしみたのだろうか。 ヘンリーはゆっくりと両腕を前に伸ばすと、泳ぎ始めた。水を撥ねないよう十分に注意して。 川の流れは緩くなったとはいえ、まだまだ油断できない。うっかりすると腕をとられて仰向けになりそうだ。 彼は一応、流れを考慮して、上流を斜めに突っ切る方向に進み始めた。だが川の力は予想外に大きかった。流されまいと焦ってリキむと、手が水しぶきを上げてしまう。 あわてるな。自分に強く言い聞かせた。 水に入ってしまうと距離感が判らなくなった。対岸が近づいているのかどうか判然としない。ノーマンのおかげで睡眠はとれたものの、極限までの空腹感は、なかなかヘンリーに力を与えてくれなかった。 それでも彼は必死で手足を動かし続ける。 ポツリ。目の中に水滴が飛び込んできた。あたりの水面もポツリポツリと音を立て始めた。とうとう降り出した。急がなければ……。 その時──。 ダーンという銃声音が川面に轟いた。 ヘンリーの体に緊張感が走った。やはりワニどもが追いかけてきたのか。彼は恐怖に顔を痙攣させて、背後を見た。 ノーマンが樹上でライフルを構えているのが目に入った。意外なほどその姿は近くにあった。 ライフル銃が再び火を噴いた。銃口はワニのひしめく方角ではなく、ヘンリーの行く手に向けられていた。 「ハンス、戻ってこい!」 ノーマンが大声で呼んでいる。さらに三発、四発と銃弾が発射される。 いったい何だ? 何が現れた? ヘンリーは恐怖に体をすくませながらも、確かめずにはいられず、立ち泳ぎで前方の水面に目を凝らした。 水没しきれないまま、流れに揺れている樹木。 崩れた土地の名残をとどめる岩石。 あちこちに引っかかっている船の破片。 ──と、岩か何かだろうと思っていたものが、ふいに動き出した。ワニだ! うかつだった。四、五匹はいる。隠れていたのだ。奴らはこちらが動き出すのを、じっと待っていたのだ。 それにしてもおかしい。まるで軍隊のような統制のとれた動きはいったいどういうわけだ。 「……!」 ヘンリーはようやく思い至った。と同時に、生き肝を抜かれたように体から力の抜けていくのを感じた。 水面に浮上したワニたち、いや正確に言えばそのワニは、たった一匹だった。一匹なのに体長は普通の二倍はある! 普通の奴が巡洋艦なら、こいつは大型戦艦だ! こんな奴がいたなんて……。 巨大ワニはじょじょに距離を詰めてきた。その偉容は見るものを圧倒せずにはいない。他のワニどもはこいつを恐れて遠巻きにしていたのか! グアッ。巨大ワニはまるで吠えるような声をあげると、その顎を開いて、並んだ歯を自慢げに披露した。 ──こいつに喰われる、この歯に引き裂かれて。 |
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