We're alive
No.56

アマゾン 34

 ──しまった。寝過ごした。
 ヘンリーはあわてて体を起こした。
「どうして起こしてくれなかったんですか?」
 ヘンリーが非難すると、
「寝不足でジャングルを踏破しようなんて、アマゾンをなめるんじゃない。それより空を見てみろ」
 ヘンリーは言い返す言葉もないまま、空に目をやった。
「……雲だ」
 昨日は真っ青だった空に、どす黒い雲がいくつも浮かんでいる。青空はもうほとんど残っていない。
「空気が湿ってきた。ヤバい、またひと雨、来そうだ」
 ノーマンは空に唾を吐くようにそう言った。ヘンリーも頷くと顔をしかめた。
 今度また嵐に見舞われたら──。
 川は再び増水し、濁流は上流の座礁船を動かすかもしれない。そうなれば下流にいる我々の命は風前の灯火だ。
「悠長なことはしておれん。ハンス、あれを見ろ」
 ノーマンは北の対岸の上空を指さした。
「煙が見えるか?」
「煙ですって?」
 ヘンリーは体をひねると、垂れ下がる枝葉の隙間から、ジャングルと空の境界線をなぞるように目を走らせた。
「ああっ」
 灰色をした雲状のものが密林の間から立ちのぼっている。煙というよりは狼煙(のろし)のような頼りないものだが、明らかに人間がいる証(あかし)だ。
「捜索隊でしょうか?」
 期待を込めて訊ねると、
「そう願いたいものだ。とにかく君が向かうべき方角は決まった」
 そう言うと、ノーマンはライフル銃の点検を始めた。
 ヘンリーは自分が泳ぎ渡る役目を受け入れた。これ以上議論している余裕はない。天候はますます悪くなりつつある。急ぎ川を横切り、あの煙の下までたどりつかねばならないのだ。無事にジャングルを抜けることができるだろうか。いや、この川を渡ることだって命がけなのだ。
「すぐ出発してくれ。ワニどもは今、反対側の岸辺に集まっている。おあつらえ向きだ」
 ノーマンがせき立てる。
「判りました。私が帰ってくるまで、無事でいてくださいよ」
「頼むぞ、こんなところで見捨てないでくれ。この足では泳ぐわけにもいかんしな」
 ヘンリーはノーマンの言葉に不安の色を読みとった。ワニの動静をうかがう目もどこかそわそわとしている。強気の彼にしてみれば、らしくないふるまいだが、これまで片時も離れないボディガードがいて、遭難後も私が付いていた。その彼が初めて一人っきりになるのだ。
 ヘンリーだって無事に捜索隊と合流できる保証はない。二人のどちらが安全ともいえないのだが、待つ身のつらさというのもある……。
 ヘンリーは思わず苦笑した。仇に同情するなんて、ほとほと自分は甘い男だと。彼は頸に巻いている銀のペンダントをはずすと、ノーマンに差し出した。
「これを」
「……何の真似だね。大切なものじゃないのか?」
「姉の形見です。私の命です。これを預かっていてください。私は捜索隊を連れて、きっと戻ってきますから」
「──判った」
 ノーマンは受け取ったペンダントを自分の頸にかけた。

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