──しまった。寝過ごした。 ヘンリーはあわてて体を起こした。 「どうして起こしてくれなかったんですか?」 ヘンリーが非難すると、 「寝不足でジャングルを踏破しようなんて、アマゾンをなめるんじゃない。それより空を見てみろ」 ヘンリーは言い返す言葉もないまま、空に目をやった。 「……雲だ」 昨日は真っ青だった空に、どす黒い雲がいくつも浮かんでいる。青空はもうほとんど残っていない。 「空気が湿ってきた。ヤバい、またひと雨、来そうだ」 ノーマンは空に唾を吐くようにそう言った。ヘンリーも頷くと顔をしかめた。 今度また嵐に見舞われたら──。 川は再び増水し、濁流は上流の座礁船を動かすかもしれない。そうなれば下流にいる我々の命は風前の灯火だ。 「悠長なことはしておれん。ハンス、あれを見ろ」 ノーマンは北の対岸の上空を指さした。 「煙が見えるか?」 「煙ですって?」 ヘンリーは体をひねると、垂れ下がる枝葉の隙間から、ジャングルと空の境界線をなぞるように目を走らせた。 「ああっ」 灰色をした雲状のものが密林の間から立ちのぼっている。煙というよりは狼煙(のろし)のような頼りないものだが、明らかに人間がいる証(あかし)だ。 「捜索隊でしょうか?」 期待を込めて訊ねると、 「そう願いたいものだ。とにかく君が向かうべき方角は決まった」 そう言うと、ノーマンはライフル銃の点検を始めた。 ヘンリーは自分が泳ぎ渡る役目を受け入れた。これ以上議論している余裕はない。天候はますます悪くなりつつある。急ぎ川を横切り、あの煙の下までたどりつかねばならないのだ。無事にジャングルを抜けることができるだろうか。いや、この川を渡ることだって命がけなのだ。 「すぐ出発してくれ。ワニどもは今、反対側の岸辺に集まっている。おあつらえ向きだ」 ノーマンがせき立てる。 「判りました。私が帰ってくるまで、無事でいてくださいよ」 「頼むぞ、こんなところで見捨てないでくれ。この足では泳ぐわけにもいかんしな」 ヘンリーはノーマンの言葉に不安の色を読みとった。ワニの動静をうかがう目もどこかそわそわとしている。強気の彼にしてみれば、らしくないふるまいだが、これまで片時も離れないボディガードがいて、遭難後も私が付いていた。その彼が初めて一人っきりになるのだ。 ヘンリーだって無事に捜索隊と合流できる保証はない。二人のどちらが安全ともいえないのだが、待つ身のつらさというのもある……。 ヘンリーは思わず苦笑した。仇に同情するなんて、ほとほと自分は甘い男だと。彼は頸に巻いている銀のペンダントをはずすと、ノーマンに差し出した。 「これを」 「……何の真似だね。大切なものじゃないのか?」 「姉の形見です。私の命です。これを預かっていてください。私は捜索隊を連れて、きっと戻ってきますから」 「──判った」 ノーマンは受け取ったペンダントを自分の頸にかけた。 |
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