「……昼間にも話したように、私はエレノアを失って以来、生きる望みをなくした。すべてに興味を失い、魅力を感じなくなった。いっそ死んでしまえと何度思ったことか。でも死ねなかった。死ぬのは怖い。いや、死に伴う痛みや苦しみが怖いのだ。ただそれだけだよ。笑えるだろう? 怖いものなしだった私が。 でも君を前にしたとき、ああ君に撃たれるのもいいなと思ったのだ。君には私の思いの丈を聞いてもらえたし、これでもう思い残すことはないからね」 ヘンリーは──落胆した。 死ぬたがる相手を撃ったところで、敵討ちといえるだろうか? 自分が受けたのと同じ恐怖、同じ苦痛を与えた上で命を奪うのでなければ意味がない! もしヘンリーの撃った弾丸が、ノーマンの太股でなく、心臓を貫いていたら……。ノーマンは満足そうな笑いを浮かべながら死んでいったのか? ──そんなもの、何の意味もない! 少なくとも自分にとっては。 遠く離れた座礁船の舳先を、夕暮れの残光が朱に染めていた。ヘンリーはそれを眺めながら、先日新聞で読んだ、奇妙な犯罪者の話を思い出していた。 ──世の中がつまらない。死んでしまいたい。それなら誰かを道連れにしてやろう。そうすれば自分が世の中に対して抱いている気持ちが残せるだろう。彼は自分の考えに従い、官憲に逮捕されることを目的に大量殺人を起こす。被害者は犯人とは無関係の人々だった。犯人はこれで気が済んだとばかりに、ぐずぐずしないで早く自分を死刑にしろと、再三要求をつきつける。 ……そんな人間の命を奪ったところでどうなる? 犯人は最期まで反省の色を見せないまま、電気椅子の洗礼を受け、お望みどおりにあの世へと旅立った。 被害者の遺族は、癒されない悲しみとやり場のない怒りをかかえたまま、人生を歩んで行かねばならない。 満足げな顔をしてるのは、司法当局や官憲のお偉方だけ。 これじゃまるで犯人のやり得じゃないか! いや──。ヘンリーは広がりすぎた考えを元に戻そうと、左右のこめかみを両手で叩いた。 黒い皿の上に砂糖をばらまいたように、果てしなく拡がる夜空が、ジャングルの夜を今夜も美しく演出している。座礁船ですら月の光を受けて、まるで不時着した宇宙船のように見える。 「フランクはまだ生きているでしょうか?」 問うでもなく声に出すと、樹上のノーマンは、 「さあな。彼はティムの数倍頑丈だが、重傷で身動きもできないんじゃ、生きている見込みは薄いだろう」 わずかにため息が混じっていた。 「社長、フランクとティムは“組織”が派遣したんですよね?」 「そうだ」 「なのにどうして二人は“組織”を裏切った社長の逃亡に手を貸したのですか? いやそもそも“組織”とは何なのですか?」 「……当然の疑問だな。まあいまさら隠し立てする必要もあるまい。“組織”は、旧ナチの残党なんだよ。二人はナチ残党の末裔だ」 「ナチですって?」 ヘンリーの声は裏返ってしまった。二十世紀も終わりに近づいたという現代に、その名を耳にするとは予想だにしていなかった。 「そうだ。あのナチだ。説明するまでもあるまい。ドイツ敗戦後、彼らは戦犯として裁かれるのを恐れ、国外逃亡を画策した。多くは捕らえられたが一部は首尾よく落ち延びた。残党の多くはこの南米の地に足を踏み入れた。聞いたことはないかね?」 「“オデッサ”くらいなら耳にしたことが」 「そこまでポピュラーじゃない。彼らの存在はこれまで一度も表立って話題にされたことはなく、知る者はほとんどいないらしい。らしいというのは私にも判らないからだ。名称だって特になく、単なる“組織”としか呼ばれていない。ボスが誰なのかも知らないし、どれほどの規模を持っているのか皆目検討がつかない。ただ、ティムから聞いた話だが、本部はこのブラジル、それもアマゾンにあるらしい」 「何ですって? それじゃなぜ……」 「ことわざに言うじゃないか。灯台もと暗しってね」 |
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