「──!」 かすかに人の声が聞こえた。ヘンリーは耳を塞いだまま薄目を開くと、自分に向かって叫んでいるノーマンの顔が近くに見えた。 「──だ」 「何ですって?」 「あれは猿だ。猛獣でも何でもない!」 猿──ただの猿? すぐには信じられなかった。しかし勇気を奮い起こすと密林の木々の間に視線を泳がせた。 鋭い鳴き声とともに揺れる森。ヘンリーはそこに、いくつものうごめく動物の姿を認めた。 「猿……」 「そうだ。赤いハゲ面をしてるだろう。ウアカリだ」 「ウアカリ……」 まだ動揺の静まらないヘンリーは鸚鵡(おうむ)返しに答えるばかりだった。 「あれはシロウアカリって奴だ。ご覧の通りの真っ赤な顔で禿頭、目の上の瘤、そして体を覆う白い毛。遠目には小さな老人って風貌だな。あんまり人目につかない連中で、学者先生には非常に興味深い種類らしい」 ウアカリたちは、川の両側で叫び合っている。まるで大声で話し合っているように。 「嵐でこのあたりが水の下に沈んだとき、おおかた家族が生き別れにでもなったんだろう。天気が回復したんで戻ってきたという感じかな」 ヘンリーはただ呆けたように聞いていた。正体が猿と知っても、まだ体の震えが止まらない。 「川の流れもずいぶんゆるやかになってきた。動物たちもそれぞれ自分のなわばりに戻ってくるだろう。そうなるとちょっとヤバいな……。さて、ヘンリー」 呼ばれて体がビクッと反応した。 「どうした。撃たないのか?」 「な、ナニ?」 ヘンリーは銃を構えなおしたが、どうにも腕に力が入らない。 「早くしないと、また逃げちまうぞ」 そうはさせない! ここで仕留められなかったら大きな後悔をするだろう。 もう自分は躊躇しないことに決めたんだ。人を撃った経験などないが、頭の中では何度もシミュレーションしたんだ。大丈夫。自分にはできる! しかしそれでも心のどこか奥底で、しきりに自分に向かって叫んでいる声があった。違う、何かが違うぞ、と。 何なんだ? ああ、猿どもの鳴き声がうるさくて考えられない。 「撃たないなら、こちらから行くぞ」 ノーマンは素早い動きで背筋を伸ばすと、ズボンのポケットに片手を入れた。 ──ま、まさか、彼も武器を持っていたのか? 「うわああああああ」 パンッ。 銃声が轟いた。 ヘンリーの銃がついに火を噴いたのだ。 ウアカリたちの声がやんだ。と、これまでよりさらに激しい鳴き声が川面を響き渡り、やがて少しずつ遠ざかっていった。銃声に驚き、逃げ出したのだろう。 一、二分もするとまた川の音しか聞こえなくなった。 ヘンリーはようやく幹にくっつけていた顔をはがした。 |
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