ノーマンは、パンナムとクライスラーの間に張った網の高さを上げさせた。どうするのかと見ていると、張り具合を調整して本当にハンモックにしてしまい、ノーマンは網の上に笑いながら横になった。状況が状況だけに、ヘンリーはノーマンの脳天気さに言葉もなかった。 「さて、話の続きを聞かせてもらおうか」 太陽が真上に差し掛かった頃、ノーマンがまるで世間話でもするような口調で話しかけてきた。だがヘンリーには判っていた。ノーマンは続きが聞きたくて、先ほどからウズウズしていたことを。 「社長はご自分の意志でニューヨークの病院から失踪しました。ところがなぜそうしたのか、根本的な理由がご自分にも判らない。そうでしたね」 「ああ」 「確認させてください。社長はそれまで築き上げてきた業績が、突然自分の中で何の価値も感じなくなった。あれほど世界の頂点を目指して奮闘努力してきたというのに、それがわずらわしくなった」 「……そういうことだな」 ヘンリーはパンナムの股の上で居住まいを正した。 「社長、あなたは気づいておられるのでしょう?」 「気づくって、何を?」 「最愛のエレノアを亡くしたことが、あなたの精神に立ち直りがたい打撃を与えたことを」 「打撃? もちろん大打撃だった。財界との強力なコネを無くしたのだからね」 「いい加減になさい!」ヘンリーは言葉を荒げた。「あなたはエレノアと出会うことで、生まれて初めて女性を愛することを知ったのです。社長に判る言葉で表現すれば、エレノアはあなたにとって、かけがえのない存在となったのです」 「………」 「かけがえのない存在は、金銭に換算することができません。比べるものがないのですから。だからあなたは彼女を失ったからといって、次の女性を探すことなどできなかった」 「………」 「人を愛するとはそういうことなのです。いつしかエレノアはあなたの中で唯一無二の“宝石”になっていたのですよ」 「宝石か」 「そう。それまで価値観の上位に君臨していた、お金、名誉、野望といったものを、彼女の存在はいとも簡単に凌駕したのです」 「………」 ノーマンは白髪を右手でかき上げると、深く頷いた。 「あなたはかけがえのない存在を、凶弾によって失った。あなたは最も大切な宝石を失った。おそらくはこれまでの人生で手に入らなかったもののないあなたにとって初めての、そして究極の喪失感を味わったはずです。だからなのですよ、あなたが彼女の存在よりも遙かに見劣りのする会社やお金といったものに興味をなくしたのは」 最後の方は吐き捨てるような口調になっていた。こんなことをわざわざ説明しないと判らないのか、この男は──。 「しかも犯人がエレノアとあなたを狙撃した原因は、あなた自身にあった」 「私に?」 「そうでしょう。フライパンしか持ったことのない食堂の親父フレッド・モースが、不慣れな拳銃の筒先をあなた方に向けたのは、あなたが彼の土地を奪わんがために、彼の家族を……壊したからなのですよ」 ヘンリーは一瞬こみ上げてくるものを感じて、言葉を詰まらせた。しかし自らを叱咤した。ここで止めてはならない。最後まで言ってしまうのだ。 ノーマンは眼を閉じたまま、じっと耳を傾けている。 「もちろんフレッドの凶行は許されるものではありません。しかしながら彼に引き金を引かせる原因を作ったのは、ノーマン・グリーンウッド、あなたなのですよ!」 ふいに正気に戻ったように、ノーマンは両目を開くと、ヘンリーを仰ぎ見た。 |
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