ギギギギギ。 高くきしむ音が耳朶(じだ)を打った。 川の流れとは全く異質の、聞く者に不快感を感じさせずにはいない音。 振り向いてみるまでもなく、正体はすぐに判った。 船だ。 荒ぶる濁流の流れに耐えきれなくなったのだろう、船体は傾きをさらに増し、船腹にパックリと裂け目が口を拡げた。 「ハンス、気をつけろ、流れてくるぞ!」 ノーマンが言ったとおり、押し広げられた裂け目から、さまざまな物がどっと流れ出てきた。それらは川の流れに従って、こちらにぐんぐん押し寄せてくる。 それは樽だったり木箱だったりと、重量のあるものばかりだった。船の重し代わりに使われていたのかも知れない。 ヘンリーはなすすべもなく呆然と眺めていたが、樽のひとつが、しがみついている樹の幹に激突した。 樹は大きく揺れた。ヘンリーは振り落とされないよう、さらに力を込めて幹にしがみついた。続いて二つ目の樽が、さっきよりも大きな衝撃でぶつかった。ヘンリーはただ幹や枝が揺れるにまかせるしかなかった。 ドスン、ギリギリギリ、ズズズ。 次々に漂流物が押し寄せる。それを薄目で見つめていたヘンリーは「あっ」と叫んだ。 人だ。人が流れてくる。 服装と体格から、若い船員であることが判った。首と右足があり得ない方向にねじ曲がっている。ヘンリーは目を強く閉じながら顔を背けた。 さいわい、恐れていた衝撃は訪れず、船員は流れ去って行った。ヘンリーが心の中でホッとため息をついていると、 「オイ!」 鋭い声が空気を震わせた。おもむろに目を開けると、ノーマンが激しく腕を振っている。 「ハンス、見ろ!」 ノーマンの周囲にも細々としたゴミ屑や木材の切れ端などが引っかかっていたが、そんなことにお構いなく、水面を指さしている。 二人の間、五メートルほどの開きのある“海峡”を何やらキラキラ光りながら流れていくものがある。それはペットボトルだった。ペットボトルが太陽の光を反射しているのだ。 中身はミネラル・ウォーター。ヘンリーはこの時に及んで、ようやく喉の渇きを、加えて空腹を感じた。無理もない。昨日は昼食もとらず、午後にノーマンのワインを飲んで以来、何も口にしていなかったのだ。 「あ、あ、あ」 無意識に右腕が伸びたが、高い梢の上からでは届くはずもない。ヘンリーは歯ぎしりした。 「ハンス、樹を降りろ!」 ノーマンが叫ぶ。ヘンリーはその顔を訝しげに見た。降りていってどうしようというんだ。腕を伸ばしてもそう簡単につかみ取りできるもんじゃない。それよりも体を濁流に流される心配が先に立つ。 ノーマンは苛立たしげに言い募る。 「その網だよ。足許を見ろ!」 そうだった! この樹が水を切っているあたりに、船から流出した網が引っかかったままなのだ。 水面まで一メートル。ヘンリーはするりと幹を伝い降りると下半身を水中に入れた。白っぽい色をした網はかなり大きなもので軽くはなかったが、躊躇することなく肩に担ぎ上げると、再び樹の上に昇った。ノーマンがさらに言葉を浴びせてくる。 「端っこをこちらに寄越すんだ。両方から網を張れば! 判るか?」 「なるほど、ハンモック作戦ですね!」 互いの樹の間に網を張って、漂流物を捕獲しようというのだ。ヘンリーは樹の股を自分の股ではさむ格好になって、肩の網を降ろした。急がねばと逸る心を抑え、網の端を見つけると、右手につかんで、 「投げますよ!」 とノーマンに向かって声をかけた。心なしか声がガラガラになっている。 |
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