ヘンリーはもたれていた枝に顔を押しつけた。 あまりに凄惨な話の連続に気分はますます悪化した。 「ふ、今までで一番驚いたようだね。……秘書としてのアランの頭は固く、古すぎた。それでも一応は推薦した父への義理があったから使っていたのだが、アランにとって最大の不幸は、君という男の出現だった」 「私ですか?」 「そうだよ。君という若い感性を持った逸材が目の前に現れたんだ。だからアランをお払い箱にしたんだよ」 「なにも殺さなくても……」 「ああだこうだと理由をつけて、秘書の座にすがりつこうとしたからね。思い切って始末した」 ──どおりで犯人が検挙されなかったわけだ。警察に逮捕されて実情をしゃべられては元も子もない。アランを撥ねた車に乗っていた若者たちも、闇から闇に葬られたのだろう。 「アランの葬式の時の、私の沈痛な面持ちはどうだったかな? 本当に悲しんでいるように見えたかい?」 「ひどい! ひどすぎる!」 ついにヘンリーは感情を爆発させた。するとノーマンもますます大きな声になって、 「そうだよ、私はひどい男だ。なにしろ悪魔と契約書を交わしたのだからね。ハッハッハッハッハ」 まさに悪魔的な笑いだった。ヘンリーは思わず耳をふさいだ。これ以上は聞くに堪えない。 こんな男はこの世に生かしておいてはいけない。天罰が下されなければならない。天がやらないのなら代わって自分が──。 ソロソロとポーチの拳銃に手を伸ばしかけたとき、ノーマンの様子がおかしいことに気づいた。 相変わらず、濁流の中で樹の幹にしがみついている姿勢は同じだが、幹に顔を埋めたまま泣いているようにも見える。まさか「泣く」などという行為が、ノーマンの辞書にあるわけが……。 「ハンス」 ふいに呼ばれて、ヘンリーはびくりとした。ノーマンは顔を上げないまま言葉を続けた。その口調は先ほどまでとはまるで違っていた。 「ここまで話した内容に嘘偽りは一切ない。それはこれから語ることについても同じだ」 「は──」 「あの日、私の中にある何かが砕けてしまったんだ」 「あの日とは?」 「……エレノアが……撃たれた日だ」 エレノアの命日。結婚式の日。 エレノア・クイン。ノーマンの婚約者にして有力銀行の頭取の娘。そして社交界の華と呼ばれた美しき女性。 「あの日、私の一部が……どこか重要な部分が壊れてしまったような気がするんだ……。 あの時。 エレノアが撃たれ、花のように宙を舞い、床の上に倒れ込んだ時。私は生まれて初めてと言っていい、言葉にならないものが体の中に充満した。彼女に駆け寄り、事切れていることを知った瞬間の、あのとてもいやな感覚。一体全体あれは何だったのか。ハンス、何だと思う? 判るなら教えてくれ。 ──それが私にまとわりついて離れてくれない。 病院に担ぎ込まれてからも、その感覚が薄らぐどころか、まるで澱のように体の中に溜まっていく。 その頃からだ。私はどこかに変調をきたした。会社も仕事も何もかもが私の中で……そう、隅に追いやられてしまったのだ。なおかつ──面倒くさい、わずらわしいという気持ちが生まれた。それは否定できない。 この五年間というもの、あの時のままなのだ。自分が理解できないままなのだ。なぜこうなったのか」 |
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