船上の会話の続きが再開された。向こうは下半身を水に浸して樹に抱きついたまま、こちらは樹の股に座った格好という、ひどく奇妙な状況で。 「──私が物ごころついたころには、もう母親はこの世にいなかった。産後の肥立ちが悪く、私を産んですぐに他界したのだ。父イアンは男手ひとつで私を育て、幼少の頃より帝王学を徹底的にたたき込んだ。そして高校生になると、父の片腕として頼りにされるほどに成長していた」 ノーマンはいきなり身の上話を語り始めた。ヘンリーは真意を測りかねたが、無駄話をする相手ではないので、黙って耳を傾けていた。 「そんな私を周囲の人間は、血も涙もない冷血漢と罵った。簡単にいえば『あいつに人の気持ちが判るもんか』といった調子でね。 バカバカしい。人の気持ちを推し量れないで、どうして人を使いこなすことができるというのだ。そんなことを言うやつらは、現代の帝王学の何たるかを理解しとらん阿呆どもだ!」 ノーマンは吐き捨てるように言った。 「判るからこそ、敵の弱みにつけ込むことができるんじゃないか……」 最後の方はか細い声になった。ヘンリーは「それは違う」と言い返したかったが、すんでのところで思いとどまった。ひとまず最後まで聞こう。そう思って、無言で先を促した。 「君も知ってのとおり、父の創業したグリーンウッド社は私を迎えることで飛躍的な発展を遂げた。当時、景気の良くないイギリス経済の中で、私は数多くの人間に恩恵を与えた。おかげで“貴公子”と呼ばれ、マスコミの寵児に祭り上げられたりもした」 ──その陰で泣い者もいるんだぞ。 するとヘンリーの心の声が聞こえたのか、 「もちろん、勝利の陰には敗者がいる。だが仕方のないことだ。資本主義とはそういうものだからな」 ──まだ言うか。貴様のせいで……。 思わずポーチの拳銃に手を伸ばしかけた。その重みを確認すると、少しだけ冷静になることができた。 「……ハンス。じつはいま初めて告白するが、私の業績は、すべて私一人の力で達成したのではない」 「──どういうことですか?」 「私はある時、悪魔と契約を交わしたのだ」 「悪魔? ご冗談を」 「ハハハ、あながち冗談でもないぞ。話せば君も納得するだろう」 ノーマンは樹の幹に絡めている腕をゆるめると、疲れをほぐすようにブルブルと震わせた。さらに話を続ける。 「イギリスで我が社が流通業界で頭角を現した頃、父が二人の男を、私の元へ連れてきた。父は言った。 ──息子よ。耳寄りな話がある。ある“組織”から我が社を全面的に支援したいという申し出があってな。彼らは世界的な規模で裏社会に通じている。もし我々が世界進出を視野に入れているのであれば、全面的なバックアップを約束すると言うのだ。どうやら彼らはお前の才能を高く買っているようだ。見返りは決して安くはないが無理な相談ではない。どうするかはお前にまかせる。 世界に打って出るのは私以上に父の夢でもあった。いくら私に才能があったとしても、ロンドンからぽっと出の会社が、そうたやすく世界に通用するまでになれるとは思っていなかった。 私は“組織”の話に乗った。そして……父が連れてきた二人の男というのが“組織”の使者であり──」 「まさか……」 「そう、フランクとティムだった」 |
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