We're alive
No.34

アマゾン 12

 気がつくと、いつしか雨は小降りになっていた。
 ずいぶんと長く降っていたように感じたが、実際は十分にも満たない時間だったろう。
 ここまでの道のりを回想している間も、ヘンリーの両眼は、じっと川面の向こう、仇敵のいる方向を睨んだまま動かなかった。
 濁流にも倒れずに残った木々が黒く薄ぼんやりと見える。彼はまばたきすら自分に許さなかった。そして視点を固定したまま、右手に持ったままの拳銃を短パンのポケットに仕舞った。撃つ前に確かめることがまだある。
 雨足は急速に弱まった。
 やがて晴れ間が広がりだした。
 ──いた!
 ヘンリーがよじ登っている樹よりは遙かに細い。ノーマンはそれでも必死にかじり付いていた。ぐっしょりと濡れた白髪は頭にへばりつき、両手と両足を樹の幹に巻き付けたまま、目を閉じている。
「社長!」
 ヘンリーの大声に、ノーマンはうっすらと目を開け、弱々しく手を振ってみせた。
 無事な様子にヘンリーは安堵の吐息を漏らした。周囲には、先ほどまであった死体は見あたらない。みんな流れてしまったらしい。そうと知って重ねてホッとした。

 雨がやんだ。
 川はさらに水量を増していた。ゴウンゴウンと音を立てながらうねる濁流はすさまじく、オリンピックの水泳選手でも、泳ぎ渡ろうなどとは考えないだろう。
 周囲の様相に変化があった。降り出す前の倍以上もの物体が、川面に揺れる木々に引っかかって、水のうねりに翻弄されていた。
 ヘンリーの樹の水際あたりにも、見覚えのある網やハンモックの切れ端が巻き付いていた。
「この川は──」ノーマンが叫ぶように話しかけてきた。「おとついまではなかったはずだ」
「なかった? 昨日できたとでも言うんですか?」
「そうだ。つかまってる樹の幹を観察してみろ。まだ水に浸かってからそう長くない。二日前までここには普通の密林があった。こんなふうに水没する現象は珍しくない。一般に“浸水林”と呼ばれている」
 そんなことが起こりうるのか? ヘンリーには信じがたい話だった。
「これがアマゾンだ。都会の常識は通用しないぞ。しかも今年の雨量は異常だ。川の形は日々変化するし、昨日あった地面が消えて川になってるなんて日常茶飯事だ。おそらく我々の船は、船員の知らない浅瀬か倒れた樹にでも乗り上げたんだろう。しょうがない」
 しょうがないで片付けられる話じゃない。現に死人まで出ているのだ。
「この分じゃ、フランクもティムも……」
 さすがのノーマンも二人の生死が気になるのか、しばらく周囲を見回していたが、突然おおっと大声を張り上げてヘンリーを驚かせた。
「どうしました?」
「アレに気づいていたか?」
 ノーマンが指さしたのは、川の上流、ヘンリーの背中側である。何事かと目をやったヘンリーはその光景に息を飲んだ。
 ──アマゾンの怪物!
 人跡未踏のアマゾンの奥に、誰にも知られることなく棲息している異形の生物。それがいま人間どもに襲いかかってきた──。
「うわわっ」
 ヘンリーは危うく枝から落ちそうになったが、すんでのところで持ち直した。
「ひどくやられたな」
 ノーマンの冷静な声に、怖々ながらあらためて目をやると、その正体は怪物などではなく、自分たちが乗ってきた船だった。

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