We're alive
No.30

アマゾン 8

 行き先も確認しないままに乗船したヘンリーは、すれ違った船員らしき男に質問してみたが、英語が理解できないらしく、さっぱり要領を得ない。
 船は観光船ではなく、もっぱら生活物資の輸送専門の船らしい。床には食料を詰めた段ボールや木箱が所狭しと置かれている。生鮮食料だけでなく缶詰類やペットボトルのドリンクも見える。その横には釣り竿や漁のための網などがまとめて置かれている。
 乗客の数も少なくない。女性や子供の姿もちらほら見かけたが、ほとんどは壮年以下の男性だ。荷物は彼らによって陸揚げされるのだろう。
 乗客は各自で張ったハンモックの上に寝転がっていた。寝転がるという表現が適切かどうかは判らないが、ハンモックを船内に張るというのはこのあたりの風物詩であるようだ。行き交う他の船にも鈴なりに張られた様子が見受けられた。あんなものに揺られては二重の船酔いに苦しむのではないかと思うのだが、見ている分には涼しげである。
 川の左右に広がる光景はいつしか、こんもりと茂る常緑樹、つまりジャングルに取って代わっていた。いよいよ本物のアマゾンに突入だ。
 乗客たちはそれぞれ思い思いのやり方で時間を過ごしていた。ハーモニカを吹く者。チェスに興じる者。船内には彼らの足下を流れる大河のようなゆったりとした空気が流れていた。
 逆にヘンリーは、これ以上はないというほど激しい動悸に胸が張り裂けそうだった。この先の、このジャングルのどこかにノーマンはいる。いるはずだ。
 ロンドンを後にし、ニューヨークに渡り、そしてこのアマゾンへ。
 まさかこんな場所に足を踏み入れることになろうとは想像もしていなかったが。
 ……どこだろうと構わない。地の果てだろうが、宇宙の果てだろうが、追いつめずにおくものか。自分には追う権利と義務があり、奴には追われる宿命があるのだ。

 輸送船は幾度か川沿いに設けられた桟橋に停まり、何人かの人間と荷物を下ろした。しかしその中にはフランクとティムの姿はなかった。
 船内をうろついて自分より先に二人に発見されては元も子もない。そう考えたヘンリーは、降りる客に的を絞り、乗降口が見える場所に陣取って、姿が目立たないよう荷物の隙間から監視を続けた。
 やがて、そう、マナウスの港を出航して三時間が経過した頃、船長が乗客らにワインを振るまい始めた。
 不覚にもうたた寝していたヘンリーは、船員の一人に声をかけられ、「うまいから飲め」と言わんばかりに、強引にワイングラスを手渡された。
 風通しの悪い場所にいたヘンリーにとって、冷えたワインは非常にありがたかった。
 伸び上がって周囲をうかがうと、先ほどよりも川幅が狭くなっていた。川沿いに建つロッジなども見えなくなり、川べりを埋め尽くす常緑樹の繁り具合も濃くなったいた。
 船内は乗船したときに比べるとずいぶん静かになっていた。子供たちの走り回る声も聞こえない。立ち上がって目をやると、ハンモックで気持ちよく昼寝中の乗客の姿はそこかしこにあったが、その数は出発時の半分ぐらいに減っていた。
 彼はべっとりと汗のついた服を乾かしたくて、船べりに進み出た。相変わらず強烈な日差しの下、吹いてくる風は温かい。冷たいアルコールが体に染みいったおかげで、全身の倦怠感が消えていく思いがした。
 その時──。
 背後からヘンリーの肩がポンと叩かれた。

 全身の血が一気に逆流した。
 見つかった!
 ヘンリーは両眼を閉じると、自分の間抜けさを呪った。
 油断していた。ここは“敵地”だったのだ。警戒しても、し過ぎることはないのに──。
 彼は、すぐ振り向いて自分の肩を叩いた者の正体を確かめることができなかった。船べりの手すりを握った手の中に、じんわりと脂汗が滲み出てくる。
 それでもようやくのことで、口の中にたまった唾を飲み込むと、上半身を開き、ゆっくりと振り返った。

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