警察は大いにあわてふためいた。すぐに病院を含む区画に非常線が張られたが、ノーマンの姿を見つけるどころか、痕跡さえ発見することができなかった。 当初警察は誘拐の線で捜査を開始した。しかし病室には争った形跡もなく、ボディガードの二人の姿も同時に見えなくなったことから、自らの意志で病院を抜け出したのではないかという見方もなされた。 ヘンリーが社長消失の報に触れたのは、会議室で数人の部下と今後の方針を打ち合わせている最中だった。 「しまった!」 思わず口をついて出た言葉に、周囲の部下たちは一様に首を傾げた。 転がるように駆けつけた病室には、めぼしいものは何も残っていなかった。ひょっとして自分への指示書などが……。一縷の望みを抱いて、枕元に積まれた新聞や週刊誌などを開いてみたが、そんなものは影も形もなかった。ただ昨日食い入るように見つめていた雑誌だけが見当たらなかった。 何ごとにも計算ずくで行動するノーマンのこと。いずれ秘書の自分には連絡をしてくるはず。そうでなければならない。でなければ会社は立ちいかない。 ノーマンが病院を抜け出す手はずを整えたのは、おそらくイギリス時代から影となって彼を支えていた“組織”なのだろう。あれだけ水際だった手並みは他の誰にもできるものではない。 ベッドから動けないノーマンに危うさを感じ、“組織”は一時的に彼を安全な場所に移した──。そう考えるのがもっとも妥当ではないか。ただ会社を放り出していった点だけが腑に落ちないが……。 もやもやとした気持ちのまま、ヘンリーはノーマンからの連絡を待った。しかし一週間が過ぎ、二週間が過ぎても何の音沙汰もない。イギリスにいるノーマンの父親イアンに電話でただしてみたところ、彼も息子の消失に関しては、ひたすら困惑していることだけが、ひしひしと伝わってきた。 「君、マグワイア君といったな……。ノーマンには幼少の頃より帝王学を徹底的に叩き込んできた。流通業界の王となるべく育ててきたつもりだ。アイツも三十六歳。考えもなく行動するような若造ではない。ましてやこれから世界に打って出ようとしていた矢先……」 ヘンリーは気になっていた疑問を父親にぶつけた。 「フィアンセをあのような形で亡くされたことが影響しているのでは?」 すると弱々しかったイアンの口調が激しさを含み、 「バカなことを言うな! 花嫁の代わりなどいくらでもいるではないか。エレノアには気の毒だったが、凶弾に倒れるような運の弱い女に用はない」 怒鳴りつけられたヘンリーは思わず受話器から耳を離した。しかしイアンの言い分はもっともだ。いやもちろん常軌を逸した考え方だが、あのノーンマンならばイアンと同じように考え、処理することだろう。 まさにこの父親にしてあの子供あり。彼らは昔も今も全く変わらない。 ヘンリーが受話器を持ったまま返答に窮していると、納得したと思ったのだろう、イアンの声は再び気弱な色を帯び、 「知ってのことだろうが、私はすっかり足腰が弱り、一線から退いた。私が残したグリーンウッド帝国の版図をノーマンがどこまで拡げてくれるか、それだけが老後の唯一の楽しみなのだよ。なのに……。 アイツからの連絡がないのは、きっと悪意ある連中に拉致されたとみて良かろう。私も独自のルートで探しているが、未だに行方がしれない。犯行声明も身代金の要求もない。私には理解不能な事態だ……」 独自のルート──。まさしく“組織”のことだ。するとノーマンの失踪に“組織”はタッチしていないのか?別の何者かに連れ去られたというのか? イアンは再び語りかけてきた。 「マグワイア君。君のことは以前からノーマンに聞いておる。ひどく優秀なイギリス青年だとな。どうかよろしく頼む。ノーマンを助けてやってくれ」 最後は涙声になっていた。ヘンリーは複雑な思いを抱いたまま受話器を置いた。あのイアン・グリーンウッドが、泣いて彼に「頼む」と言ったのである。 もし彼が「ノーマンは死んだよ」と告げたら、イアンは嘆き悲しむだろう。へたをすれば命取りになるかもしれない。ヘンリーの父母と姉の直接の仇はノーマンだが、育てたイアンにも責任の一端はある。苦しみの先の死こそ、イアンのような男の最期にふさわしい。でなければ、この世は闇だ。 二週間後、ヘンリーの望み通り、イアンは苦悶のうちに死んだ。その二日前、イギリスの新聞に『ノーマン死亡が濃厚』と報じられたことが遠因のようだ。もっともこの記事は根も葉もない噂に過ぎなかったのだが、イアンを昏倒させるには十分だった。彼は倒れた後、一度も意識が戻ることなく、この世を去ったという。 噂の源はヘンリーではない。訃報に触れたとき、なるほどそういう手もあったなと思ったほどである。ひょっとすると、ヘンリーと同程度の悪意の持ち主なんて、ざらにいるのかもしれない。 |
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