We're alive
No.18

ニューヨーク 8

 社長室を後にしたヘンリーは、エレベータには乗らず、階段を一段ずつ歩いて、屋上に上がった。
 エンパイア・ステートビルが見える。
 双子の貿易センタービルも朝日を浴びて光っている。
 ついにここまで来た。
 ロンドンの下町の、瓦礫の下から。
 ニューヨークの頂上に肉迫する場所にまで。
 あと三年のはずが、いきなりの今日。
 感慨もひとしおのはずだった。だが今の彼には喜びがまったく湧いてこない。
 年月があの日の悔しさを風化させたとでもいうのか。
 目を閉じて、風の音に耳を澄ました。
 瞼の裏に、下町の情景が浮かんできた。
 無愛想だが、温かいまなざしの父。
 面倒見がよく、常にいたわりを忘れない母。
 よく本を読んで聞かせてくれ、彼の才能を見抜いてくれた姉。
 本当ならば今頃は画家かイラストレータとして成功した自分は、ロンドンの郊外に居を構え、両親を引き取って住まわせ、土日には結婚した姉夫婦を呼んで庭でバーベキューパーティーを開いたりして、楽しく過ごしていたはずなのだ。そんな人生を送っていたはずなのだ。
 マクファーソン家から幸福を奪い、父母と姉を殺した人間、いやはっきり“殺人犯”と呼ぼう、それがにっくきノーマン・グリーンウッドなのだ。
 奴のやり方の冷酷ぶりは、このニューヨークでも遺憾なく発揮されている。
 吸収合併の際に断行された大型リストラでは多数の人間が涙を飲んだ。中には頸をくくった者もいるという。
 目標ノルマの達成、実力主義といえば聞こえはいいが、ノイローゼに陥り、辞めざるをえなかった人間も少なくない。
 ライバルに対しては、さらに苛烈を極める。
 大金をはたいて人材を引き抜く。なびかない人間に対しては、デマや中傷を故意に流して潰してしまう。中には失踪したまま行方知れずというケースもあるという。おそらくは父さん母さんのように消されたのだろう。
 ノーマンの歩いた跡には一本の草も残らない。まさに死屍累々である。なのにそれが表に出ることはない。マスコミ対策が万全なのである。
 ノーマンはイギリスの頃から、マスコミを重要視していた。プレスの使い方が実にうまいというべきか。悪い話が新聞紙面をにぎわすことは皆無だった。一度だけタブロイド誌に噂としてよからぬ事が書かれたが、翌日には書いた記者が解雇されたという。
 鉄壁のグリーンウッドUSA。今や一人勝ちの状況である。
 だが、こんなことが許されていいわけはない。
 他人の不幸の上に成り立つ繁栄なぞ、まやかしである。
 ヘンリーは目を開いた。
 彼の目には林立する高層ビル群がまるで墓石に見えた。
 グリーンウッド霊園。
 だがその一つは、アラン・ベネットの墓。
 ヘンリーは首を振った。殺したのは自分じゃない。乱暴な運転で夜の街を駆け抜けた若者たちである。
 だが自分もその片棒を担いだのではないのか?
 秘書の地位を得るために見殺しにしたのでは?
 違う、違う、違う!
 私は何もしていない。何のかかわりもない!
「うぉーーーっ」
 咆吼がビルに飲み込まれる。
 彼は姉の形見であるペンダントを力いっぱい握った。
 僕は飲まれないぞ。飲まれてたまるか。

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