以前にも増して、ヘンリーは仕事に打ち込んだ。業績を上げれば上げるほど、ノーマンに近づくことができる。そう考えれば日曜出勤もサービス残業も進んでやった。 ライバル店を調査しては、出し抜く方策を考え、ときには相手の弱みを握って脅すようなこともやった。 そんなときは良心の痛みを感じずにはいられなかったが、決して相手を追いつめないよう、細心の注意を払うことを怠らなかった。 ──僕はノーマンとは違う。でないと復讐の連鎖を生むことになる……。 どんなに固い信念があろうと、日々の暮らしの中で常に一定のテンションを保つのは難しい。自分が励めば励むほどノーマンを利するばかりではないか、いつになったら本懐を遂げることができるのか、と、そんな自問がたびたび彼を苦しめた。 美術館はそんな悩みを独り告白する場所になった。そこにはヘンリーの芸術的才能を発見してくれた姉がいるような気がしたのだ。 絵を前にしてソファに腰掛け、姉の形見であるペンダントを握っていると不思議に心が落ち着いた。父のだみ声が聞こえ、母の笑い声がこだまし、姉の作るスープの匂いがしてくるような気がした。 戦いはこれからが正念場だ。 彼は立ち上がると大きく深呼吸した。そして出口へと向かった。再び戦いの場に身を投じるために。 さらに四年が過ぎ、ヘンリーは二十九歳になった。業績はさらに積み重ねられ、グリーンウッドUSAの若手の中で最大の注目株と自他共に認める存在へと、彼はのしあがっていた。 しかしヘンリーは不満を募らせていた。一向にノーマンに近づくことができないでいる自分に。 相変わらず、美術館では二ヶ月に一度は遭遇した。 親しげに声をかけるのは決まってノーマンだった。 同じイギリス出ということもあったのだろうが、ノーマンの口調はいつも親しげだった。それだけにヘンリーは苦痛に苛(さいな)まれた。仇と仲良く並んで絵画鑑賞をしている姿を姉が見たらいったい何と言うだろう? ヘンリーは真剣にノーマン殺害計画を考えようとしたこともあった。もちろん場所は美術館だ。だがもし失敗したら……。ナイフや拳銃を使っても、最初の一撃でしくじれば奴のボディガードに彼の身柄は拘束されるだろう。そうなれば復讐の機会を永遠に失ってしまう。だめだ、できない。やはり当初からの狙いどおり、社会的な抹殺計画を遂行するのみだ。決して気弱になったからそう思うんじゃない。決して──。 美術館での決行は断念した。それでも美術館巡りをやめるつもりはなかった。いつかチャンスが訪れる可能性を信じて。コンマ一パーセントの可能性を信じて。 それはある冬の日のことだった。 抽象的なオブジェを前に、ノーマンはヘンリーの業績をほめ、気安くジョークを投げかけてきた。ヘンリーは言葉少なに応じていた。 「私の秘書は芸術を理解せんので困る。スコットランド訛りにも閉口するしな。親父の推薦なので無下にもできん。飛び抜けて頭脳明晰ではあるのだが……」 ノーマンはそう言うと、いたずらっぽい顔をヘンリーに近づけ、 「じつはな、次期の秘書はぜび君にやってもらいたいと思っている。これはジョークじゃないぞ。本心だ。ただそれにはあと三年待ってくれたまえ。三年後にはグリーンウッドグループをさらにアメリカ大陸以外にも拡張するつもりなのだ。全社を挙げて体制の見直しを行う。 どうだ。イングランド人コンビで世界を征服してやろうじゃないか!」 ヘンリーは眩暈のする思いがした。あと三年我慢すれば、彼は文字通りノーマンの片腕になることができるのだ。そうなればいつでも彼の寝首を掻くことができる。これまでの忍耐が実を結ぶのだ。 ノーマンは呆然としているヘンリーを、秘書という高い地位を得られる喜びのあまり我を忘れているのだと誤解し、彼の肩をポンと叩くと、美術館をあとにした。 |