We're alive
No.12

ニューヨーク 2

 グリーンウッドのアメリカ上陸は後に、六、七十年代のベトナム戦争や公民権運動以来の超弩級台風の襲来と称された。
 当初は、イギリスの一介の商売人がいかほどのものかという風潮もあったが、グリーンウッドのやり方はアメリカ人以上に自由かつ進取の気風にあふれていた。強引と言っていいほどの流通機構の見直しは、老舗の他店に恐怖を与え、消費者には圧倒的な拍手と賞賛の声で迎えられた。
 吸収されたヘンリーの会社では、彼の所属する部門の半数の人間がリストラの対象となり、姿を消した。
 ヘンリー自身は販売部長へと昇進した。彼の年齢では驚くべきことだったが、周囲の人間は納得した。グリーンウッドはグループの隅々にまで目を光らせており、ヘンリーの異例の昇進は、ノーマンが謳う人材有効利用の証左でもあった。
 ヘンリーは今やグリーンウッドの懐に飛び込んだ形になった。自分の働きがノーマンの私腹を肥やす手助けをしていると思うと、内心忸怩たるものがないではない。しかし墜落する高さが高ければ高いほど破壊の衝撃は増すものだ。これもグリーンウッドを墜落させる一歩であると自分自身を納得させた。

 ある日、グリーンウッドUSAの全社員を集めての社長挨拶が行われた。
 ひさびさに対面するノーマン・グリーンウッドだった。
 ロンドンの一別以来である。
 ヘンリーは二十五歳になっていた。
 ノーマンは三十二歳。イギリスは父親にまかせ、アメリカを一手に引き受けた彼は見違えるほどの威厳と貫禄を身につけていた。
「この国はいまも世界のフロンティアである。諸君もひとりひとりが最先端にいるという気概を持ってほしい。我が社は無能な人間を必要としない。才能があれば、十歳の少年でも私の右腕に取り立てよう。私の目はどこにでもある。そのつもりで励んでほしい」
 ノーマンの表情は“勝ち組”の持つ輝きに彩られていた。上り調子の人間に特有の高揚感、陶酔感、そして至福の表情といったものをうかがうことができた。
 見ているがいい。
 いずれその顔を恐怖と悔恨に歪ませてやろう。
 這いつくばって許しを乞わせてやろう。
 その日までせいぜい我が世の春を謳歌しているがいい。
 ふとノーマンの眼がヘンリーの顔を捉えた。ヘンリーはギクリとした。アメリカに渡ってからの年月は彼の顔付きを少年から大人に変えた。グリーンウッドに移ってからは意識的に髭を伸ばしている。まさか気づかれはしまい。だが注意するに越したことはない。
 ヘンリーは視線をそらすことなく、ノーマンの顔を見返した。

 仕事の虫であるヘンリーは男振りもよく、言い寄ってくる女性は後を絶たなかった。しかし一度として相手にすることはなかった。いずれグリーンウッドに反旗を翻し、ノーマンの息を止めようという身である。女性の相手などしているわけにはいかない。それ以上に、ピリピリと神経を張りつめている彼の相手がつとまる女性など、どこにもいない。
 そうは思っても、ときに孤独感に襲われることがあった。そんなときは画学生時代を思い出し、ひとりでメトロポリタン美術館や近代美術館(MoMA(モマ))などを観て歩いたりした。
 ある日、MoMAで『片腕を上げて立つ裸の男』なる絵を漫然と眺めていた彼の後ろから声が掛かった。
「エゴン・シーレは好きかね?」
 振り向かなくても声の主が誰なのか判った。

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