We're alive
No.11

ニューヨーク 1

 初めて踏んだ異境の地に対する感想は、良くも悪くもスケールの大きな国、スケールの大きな街だということだった。
 新しいものが生まれると人々はワッと集まるが、翌日にはまた別のものが注目を浴びる。浮ついているかと思えば、奥行きを感じさせる。
 懐の深い国。それが十八歳のヘンリーが抱いた、アメリカに対する偽らざるイメージだった。
 この年になるまで、ロンドンすら出たことのない彼にとって、渡米という行動は、月や火星に行くのと大差のないものだった。
 ところが、いざ到着してみると、まるで故郷に帰ってきたような錯覚を起こすほど、ヘンリーにはアメリカの水がとてもよく合った。ニューヨークという街は、双手をあげて彼を歓迎してくれたのだ。

 ヘンリーはハンス・マグワイアと名前を変え、積極的に街にとけ込んでいった。
 新天地で最初に選んだ仕事は、百貨店の事務員の下働きだった。それは“流通王”グリーンウッドへの復讐の伏線であり、敵を知るための第一歩だった。
 いざ仕事を始めると、まともな職についたことのないヘンリーに事務や経理の能力があることが明らかになった。彼はめきめきと頭角をあらわし、二年が過ぎる頃には全ての仕事を覚え込み、経理の達人として会社になくてはならない存在になっていた。
 だが彼はそんな立場に安住しなかった。勤める百貨店の将来性が小さいことを見てとると、有益な顧客情報を持って、より大きな会社に自らを売り込んだ。
 多少、後ろゆびを指されることはあったが、気にしなかった。敵は巨大なのだ。義理や人情がどうのと甘いことなど言ってはいられない。
 最終目標は“復讐”であり、出世などそこにたどり着くための一手段でしかない。そのためなら何だってやる。他人を蹴落とすことも厭わない。法に触れることだって場合によっては、やる。
 そう、彼はただグリーンウッド親子に痛手を負わせるだけでよしとしていない。グリーンウッド財閥自体の没落を狙っているのだ。肉親を奪われたことに匹敵する苦しみを奴らに与えなければ、復讐の意味はない。
 彼の信念は鉄のように強固だった。美術学校時代と同じように遊興にふける時間など一切持たず、暇さえあれば勉学にいそしんだ。この社会の成り立ちを知るために、そして有効な武器を身につけるために。

 渡米してから五年が過ぎる頃、ヘンリーはニューヨークで三本の指に入る大手百貨店の若き販売課長に抜擢されるまでになっていた。
 誰もが彼の出世の速さに驚いた。しかしもっとも驚いていたのはハンス、いやヘンリー自身だった。これほどの才能が自分にあろうとは想像もしなかった。その上、まだまだ余力があることも自覚していた。さらに腕に磨きをかけ、百二十パーセントの本領を発揮すれば、この何倍も上まで登り詰めることができる。そう確信することができた。

 ある日、職場の自室でニューヨークタイムズの朝刊に目を通していたヘンリーは、コーヒーの入ったマグカップを指から落としそうになった。衝撃的な見出しが大きな活字で並んでいたのだ。
“英国流通業界の貴公子、満を持して米国に殴り込む”。
 下には、一日とて忘れたことにないノーマン・グリーンウッドの顔写真が掲載されていた。
 彼の体はさまざまな想いで打ち震えた。
 いずれ財力をつけ、広い人脈を手に入れたら、こちらからイギリスに攻め込もうと考えていたのに、敵は自ら我が陣地に踏み込んできたのだ。なんという好都合。
 さらに彼を喜ばせることが記載されていた。ノーマンは米国進出の足がかりに、まずヘンリーの百貨店を吸収合併する計画をぶちあげていたのだ。
 どおりで今朝は早くから重役連の車が次々と駐車場に乗り付けてきたわけだ。
 ここ数年、マンハッタンに構える大型小売店はどこも不況のあおりを受けて青息吐息だった。ヘンリーの店も例外ではなく、常に身売りの話が後を絶たなかった。彼もいざというときに備えて業界の調査を怠っていなかったが、今回の事態はまさに青天の霹靂だった。
 いや天の配剤というべきか。
 ヘンリーは不適な笑いを頬に浮かべると、立ち上がって軽快なステップを踏んだ。

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