たどりついた一部屋きりの我が家には姉の姿はなく、走り書きのメモが一枚、テーブルに乗せられていた。 “母さんが見つかったと連絡があったので、刑事さんについていきます”。 ヘンリーは、あっと声を上げた。 そのときノックもなく玄関のドアが開き、向かいのマダムが涙をためた目でヘンリーに怒鳴った。 「どこに行ってたのよ! あんたの姉さんが──」 警察は、姉の死を自殺と断定した。 タワーブリッジの遊歩道から、手すりを乗り越えて、身を投げたのだと。残された車椅子の上には「疲れました。さようなら」と書いた紙切れが置かれていたのだと。 バカなバカなバカな! 気丈な姉が自殺などするわけがない。 ヘンリーには直感するまでもなく判っていた。奴らのしわざだ。両親の死の真相を暴こうとする自分たちの存在が邪魔だったのだ。 今回も数人の目撃者が証言したという。でっちあげである。周到な連中のすることだ。ヘンリーがいくら反論したところで警察は聞く耳など持たないだろう。 霊安所で対面した姉の顔はまるで眠っているようにきれいだった。ヘンリーは冷たい姉の手を握りながら涙を流した。 「姉さんはよく、この世に神様なんぞいないと言ってたね。ぼくにもようやく飲み込めたよ。確かにこの世に神様なぞいやしない。姉さんは身をもって証明してくれた。今日からぼくは鬼になるよ。復讐の鬼に。ぼくは父さん母さん、そして姉さんの仇を討つことに生涯を懸ける。グリーンウッドに目に物を見せてやるからね!」 姉の頸に光る銀のペンダントを、こみあげてくる怒りと悲しみに震える手で取り外した。それは崩れた実家の跡から見つけた母の遺品でもあった。 「奴らはぼくが生きていることを知れば、また襲ってくるだろう。ぼくはこれからすぐ身を隠さなくちゃならない。……さようなら姉さん。空の上からぼくを見ていてくれ」 ヘンリーは裏口から病院を抜け出すと、どこへともなく姿を消した。 半年後、岸壁から離れつつある大型貨物船の荷物の陰にヘンリーの姿があった。 これ以上、国内にとどまることは危険と判断した彼は、密航という行動に出た。行き先はニューヨーク。 この六ヶ月の間、彼は下町時代のわずかなツテを頼って逃げ続けた。行く先々に追っ手の影が出没し、ヘンリーは生きた心地がしなかった。それでも彼は必死で逃げた。時には浮浪者に身をやつし、時には下水道の奥底で一週間も息をひそめたり。 そうするうち、必然的に裏社会に精通することになり、グリーンウッドに関する生臭い話をいくつも耳にすることができた。それによれば奴らの荒業はヘンリーの街に始まったことではないらしい。特にノーマンが経営に参画するようになってからはヤリ口がエスカレートし、犯罪まがいどころか犯罪さえも厭わないという。ノーマンによって消された人間は十人や二十人ではないらしい。 さらにヘンリーは驚くべき噂を耳にした。 奴らがそれだけの荒業をやってのけることができるのは、背後に巨大な組織があるからだという。そしてそれは従来のテロ組織やマフィアのたぐいとはまったく別次元の組織というから、ヘンリーには想像もつかなかった。 よく考えれば、警察をあれほど簡単に翻弄できるだけのニセ証人を瞬時に用意できる連中だ。チンケな悪党連中にできることではない。一体全体どのような組織なのだろう? 半年間の逃避行の末、これ以上国内にとどまるのは危険であると察した彼は、海外への逃亡を決断した。 ──反撃する力をつけたら、いつか必ず戻ってくる。 ──その時はグリーンウッド親子の頭上に、正義の鉄槌を振り下ろしてやる。 薄暗い船倉の中、彼は頸にかけたペンダントを握ると、静かにそうつぶやいていた。 |