We're alive
No.6

ロンドン 2

「父さんと母さんが?」
 ヘンリーは自分の耳を疑った。実家の隣に住む顔なじみのおばさんが電話口で彼に伝えた事態を、すぐに受け入れることができなかった。
“父さん、母さんが瓦礫の下敷きになった”。
“生き埋めになったまま、まだ見つかっていない”。
 ……そんなバカな話があるもんか!
 ヘンリーは受話器を戻すのも忘れ、転がるように寄宿舎を飛び出した。まだ朝の八時過ぎ。ストリートは仕事先へ向かうサラリーマン達でいっぱいだった。ヘンリーは彼らの肩を突き飛ばすようにして駆け出した。最寄りの地下鉄の階段を下りると、切符を買うのももどかしく、やってきた電車に飛び乗った。
 ──いったい何があったんだ?
 ヘンリーはこの朝、学校には寄らずに、とある小さな美術館に直行する予定だった。
 美術学校に入学してもうすぐ一年が過ぎようとしている。先日彼は自信作をある展覧会に出品したが、何とそれが金賞に選ばれたと連絡があったのが三日前。今日は授賞式を行うというので出席することになっていた。
 ヘンリーは天にも昇らんばかりに喜んだ。きっと両親や姉も喜んでくれるに違いない。賞状と記念品をもらったらいきなり実家に現れて家族を驚かせてやろう。それが今自分にできるささやかな親孝行だ。
 正装に身を包みながら、そんなことを考えていたのに。

「なんてことだ……」
 無惨に崩れ落ちた我が家を前にして、ヘンリーは焦点の定まらない目をあちこちにさまよわせた。
 瓦礫の上ではヘルメットをかぶった作業員達が、注意深く歩きながら、両親の名前を呼んでいる。
 連絡をくれた隣家の夫人が、両手に顔をうずめながら語ったところによると、こうだ。
 市の再開発計画はとうとうこの辺りまで押し寄せ、住民は早期退去を迫られていた。この地区を鬼子扱いする風潮は以前からあったが、今回の計画は突然降って湧いたという。なにしろわずか一ヶ月で立ち退けというのである。当然住民側は拒絶し、反対運動を巻き起こした。運動の先頭に立ったのはなんとヘンリーの母親である。彼女は多数の住民を誘って、毎日、市庁舎へ陳情に出かけたという。そんな間も、父親と姉にはしっかり仕事をさせていたというから彼女らしい。
 悲劇は今朝、起こった。
 立ち退き期限までまだ一週間あるのに、大きな鉄球をぶら下げたクレーン車が街に乗り込んできたのである。
 春まだ遠い二月の早朝。どの家からも朝餉(あさげ)の煙が棚引いていた時間帯、クレーン車は迷うことなくマクファーソン家を目指して直進したという。
 所定の位置に着いたクレーン車から発せられた「今すぐ家から出るように」との呼びかけは、たった一度だけだった。母親は転がるように玄関から飛び出してきた。
 折悪しくこの日、父親は風邪気味で伏せっていたという。だから今すぐ家を出るのは無理だとクレーン車を操る責任者に訴えたが、責任者は聞く耳を持たず、鉄球の鎖を振り回し始めた。
 第一撃は狙いを過たずに正面の壁を突き崩した。母親は悲鳴を上げて、舞い上がる粉塵の中、家に飛び込んで行ったという。近隣の誰も止めることができなかった。もっとも体力に勝る母親を止められる者は、およそこの街にはいなかっただろう。
「……あっという間だったの。お母さんが駆け戻ったことに気づいた人も少なかったでしょう」
 夫人はそう言ったが、ヘンリーは信じなかった。市の連中は知っていて故意にやったんだ!
 そこまで考えてハッとした。
「姉さん、姉さんはどこですか?」

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