We're alive
No.5

ロンドン 1

 ヘンリー・マクファーソンはイギリスに生まれた。
 住んでいた家はロンドンの下町は裏通りに面した場所にあった。そこは、どんよりとした天気の多いロンドンでもとりわけじめじめした空気の澱む場所として悪名高く、近代化に乗り遅れた区画として市民の槍玉に挙げられるのが常だった。
 住んでいるのは低所得者層の人間ばかりで、中には流れ者の外国人や素性の知れない連中もいた。しかし定着するのはおおむね人の好い者が多く、それなりの住み心地の良さと賑やかさを呈していた。
 この街の一角に住むマクファーソン家もご多分に漏れず、暮らしは貧しく慎ましかった。労働者階級の父親は帰宅する前から床につくまで酒瓶を手放さない男で、始終陰気な声でぶつぶつ文句を言うのが癖だった。それでも低賃金の仕事を休まない真面目さだけは持ち合わせていた。
 母親は対照的に豪快な笑い声が自慢の恰幅のよい女だった。彼女はヘンリーが物心つく前から、狭い台所の隅に工場から安く払い下げられたミシンを置き、洋服などの仕立て直しで小銭を稼いできた。母親は物事に拘らない性格だったが、仕事は繊細と言っていいほどの丁寧さを誇り、優しい気遣いがそこに現れていた。いつしか母親の見事な仕事ぶりは人づてで広まり、街中で母親の手が触れない服を着る者など一人もいない、着ている服の縫い目を見れば、余所者か街の住民か判るとまで言われた。

 ヘンリーにはメアリーという姉がいた。彼女は母親譲りの器用な手先をしていたので、母親が疲れた時など交代してミシンを踏んだ。それ以外は家事全般が彼女の担当だった。なかでも食事には彼女の才能がいかんなく発揮され、特にスープの絶妙な味は隣近所からも分けてほしいと声がかかるほどだった。もちろんヘンリーのお気に入りメニューであったことは言うまでもない。
 メアリーは線の細い人だったが、幼い頃から近所でも評判の器量よしで利発な娘だった。家事に追われて学校に通うことが殆どなかったにも関わらず、いつしか読書家になっていた。もちろん本を買う余裕などなく、古本屋で擦り切れて破棄寸前という本を譲り受けてくるのだ。メアリーが好んで手に取るのは画集や美術評論に関するものだった。ヘンリーは眠りにつく前に姉から本の話を聞くのが楽しみのひとつだった。

 ヘンリーはそんな家族の中ですくすくと育った。家族の意向で、彼だけは学業を優先することを許された。その代わり下校後はフル回転で母や姉の手伝いをした。彼に割り当てられた仕事は、母親の仕立て直した服を配達したり、注文を受けたりというものだった。おかげで彼の頭の中には街の地図が正確に記録されていた。そして時間に余裕のある時など、わざと通ったことのない道に回ったりして、珍しい建物や風景を脳裏に刻み込んだ。
 ヘンリーの隠れた才能にいち早く気づいたのは姉だった。彼女はヘンリーが絵を描いているのを知っていた。質の悪い包装紙に描かれた街の風景画や緻密に描かれた地図、友達の肖像画を目にしたとき、その素晴らしい出来映えに驚嘆した。
「この子は美術学校に行かせるべきよ!」
 夕食の席で父母を前にして、姉はそう叫んだ。
 父親はいつものぶっきらぼうな物言いで酒量を減らすかと言っただけだし、母親は子供の将来のためならもっと稼がなきゃと双手を挙げて賛成した。

 そんな温かい後押しがあって、ヘンリーは小中学校を滞りなく卒業すると、美術学校の入学試験を優秀な成績でパスした。
 ヘンリーは心から家族に感謝した。これからは堂々と胸を張って好きな絵を描くことができるのだ。そう思うと、寄宿舎での慣れない生活も都会の喧噪も、すべてが創作への刺激に思えた。
 ヘンリーは毎日、ひたすら描いた。
 友人たちが都会の誘惑に負けて遊興に耽っている時でも、彼は寸暇を惜しんで描き、新しい技術をどんどん身につけていった。
 休日には市内の美術館や大英博物館などに足を運び、自分の感性を磨くことにも余念がなかった。卒業したら職業画家かイラストレータとして身を立てて、一日も早く家族の生計の一端を担おうという意気込みを胸に秘めて。
 しかし、そんなささやかな夢も、ある日突然打ち砕かれてしまった。

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