エピソード2
再現屋、呪いの館の謎に挑む

【26】 アイドルの本音




 間近で見るハリネズミの《針》は、両手の指で作る輪ほどの太さがあった。《針》は湾曲した屋根の上に数えきれないほど生えていて、どれも一様に黒く、しかも風に吹かれてか、ゆらゆらと生き物のように揺れている。
 数日前なら、奇妙な眺めに怖れをなしただろう。でも今のオレは幽霊騒動やらアレやコレやの連続で、感受性の一部が麻痺していた。何でも来いの気分になっていた。
 敷居をまたいで、屋根の上に第一歩を降ろした。
《針》と《針》の間に細い通路があった。この通路が水平に、時には短い階段となってカマボコ状の丸い屋根の上を走っている。志乃とオレはゆっくりと通路を進んでいった。
 試しに一本の《針》に触れてみた。弾力がある。少なくとも外側はゴム製だ。漆黒の《針》を上へたどると、尖端には四角く薄っぺらい板が取り付けられていた。
「太陽電池だ」
 見間違いようがなかった。板の上に並ぶ青いパネルの列は、明らかに太陽電池パネルだった。
「これ全部がそう?」
「だと思う」
 無数の《針》の先に取り付けられたパネル。それらがゆさゆさと蠢くさまは、巨大なウニに乗っかっているようで気持ちが悪い。
「そういや、太陽電池では、世界有数の生産量を誇るメーカーがこのN県にはあったよな」
「その通り」
 背後で声がした。
「また出た」志乃がうんざりした声を上げる。
「お嬢さん、このジャン=フランソワ・加東を幽霊みたいに言わないでほしいな」
 まったく、いつも突然現れる人だ。
「何か御用ですか?」
「いやね、私も君たち同様、お払い箱になったので、今日でこの美術館ともお別れだ。ひと渡り見学して回ろうと思ってね」
 今朝方、なまみさんをベッドに寝かしつけた隆盛から通告された。今日までの日当は払うが、オレたちの仕事は中止だと。
 加東は俳優気取りで、サッと手を広げると、
「二年前、綾澤なまみが館長に就任する際、地元S社とのタイアップで太陽電池システムが導入されたんだよ。彼女のエコアイドルというのにも引っ掛けてね。おかげでこの美術館の電気の四割は、これら太陽電池でまかなわれている」
「ずいぶん詳しいんですね」
「そりゃそうさ。仕事を受けた際、ひと通り調査したんだよ。プロなら当然だけどね」
 最後のひと言はグサッときた。携帯も持たず、インターネットとも無縁の生活。早く金欠生活から脱したい。
「お嬢さん」加東は志乃に顔を向け、「この風変わりな太陽電池パネルたちは、なぜこんなにフワフワと動いているのか分かりますか?」
「風が吹いてるからやろ」
「ノー、ノー、違うんですよ。パネルの向きをよく見てごらんなさい」
「……あー、みんなおんなじ方向を向いてる。それもお日様のほうや!」
 志乃は世紀の大発見ばりに手を叩いて飛び上がった。こんな場所ではしゃぐな。
「そうなんだよね。一見自由に動いているようで、じつは電気への変換効率が高くなるよう、パネルの向きを太陽に向けていたんだよ。ひまわりのようにね」
「スゴい、スゴい! 作った人、めっちゃ天才!」
 さすがにオレも感心した。そんな仕組みがあったとは。
「もっとも、まだまだコストがかかりすぎるし、メンテナンスも大変だ。ここに設置されたのは、あくまでデモの意味合いが大きい」
「ふーん」
 オレは志乃を置いて、通路を先に進んだ。そしてこの辺だと当たりをつけた場所に近づき、周囲をぐるっと見渡した。
「あった」
 それは屋根の一番端から伸びた一本の《針》。パネルの手前に縄が結わえ付けてあった。
 昨夜の怪物の正体はこれだ。《針》から吊るした土嚢が、応接室の外壁を叩いていたのだ。風雨にさらされて切れてしまうまでは。
 追いついてきた加東は「そんなことだろうと思った」とため息をついた。
「やったのはマネージャーさんですね」
「間違いないな」
「ロン毛の探偵さん」志乃がとっておきの笑顔を加東に向け、「もしかして、廊下を壊した怪物の正体も分かってるう?」
「当然。それじゃ現場に行ってみよう」
 オレたちはドアへと戻った。
 隆盛はまだほとんど何も説明してはいなかった。ただ、幽霊騒ぎはすべて二人が──正確には、なまみさんが指示し、隆盛が言われるままに動いて──やったことだった。
 あの後、企みが暴かれ、感情をあらわにして悔しがったなまみさんはそのまま昏倒した。ひどい熱だった。
 彼女をベッドに運んだ隆盛は、ぐったりとした顔つきで釈明した。
「なまみさんは長年、エコアイドルと呼ばれ続けて疲れていたんです。デビュー直後はそんな肩書きにも乗り気でしたが、だんだんと押し潰されそうになって……。だって、有名になって稼げば稼ぐほど、彼女の周囲に寄付を募る連中が集まってくるんです。中には胡散臭い団体もありましたが、拒否してもしきれません。下手に断ればある事ない事書かれますし……。しかも、エコアイドル綾澤なまみは自分のためにお金を使うことが許されないのです。考えてもみてください。どこの世界にお金が要らないなんて若者がいます? 彼女にだってほしいものはあります。買いたい洋服もあるし、旅行もしたいのです。それを全部我慢して今日まで来たのです。それもこれも、有名になって毎日テレビに出ていれば、いつか自分を捨てた両親が迎えに来てくれると信じているからです……。とはいえデビューして五年、無理がたたって彼女は緊張の糸の切れることが多くなりました。想像できないでしょうけど、彼女は元来感情の起伏の激しい性質でしてね。表に出さないよう、キレるのは私の前だけにさせていたんですが」
 館長辞任の件について問うと、
「Y町の人々から請われて、これも断れなかったんです。ところがこの美術館は予想以上の金食い虫だったんですね。このままではこれまで以上に倹約を要求される。限界でした。だから……だから、どんな手を使ってでも、彼女が館長を辞任する、美術館を手放す必要があったのです。……確かに、幽霊騒ぎは安直過ぎました。噂が広がって客足が遠のき、ここを手放さざるを得なくなれば、などと彼女が提案したものですから──」
 なまみさんの癇癪に付き合っているうちに、彼女を「様」付けで呼ぶようになり、もはや彼女に否やを言えなくなってしまっていた隆盛は、ただの操り人形に成り下がってましたと自虐的に笑った。
 聞けたのはそこまでだ。だからこうして志乃と探偵の真似事をしている。加東もいるが。
  B館の階段室を昇る。ドアを開けるとさっきより一段といい眺めが遠望できた。
「ほら、ここにいた」
「えっ、どこどこ」加東の指さす先を志乃が追う。
 オレもならって目を大きく見開いた。
 ──これか。
「これでっか」
 思いがけなく、背中越しに男の声がした。そしてシャッター音が続いて鳴った。