エピソード2
再現屋、呪いの館の謎に挑む

【25】 夜明け




「くそったれーーーっ」
 突如、女声の金切り声が耳の奥にキーンと突き刺さった。オレは顔をしかめ、
「志乃、もういい、やめろよ」
と注意すると、
「わたしやないで」
 冷静な声が即答した。
「え? じゃ──」
 誰だとその場を見渡しても、女性は他に一人しかいない。
 叫んだのは、なまみさんだった。彼女は床に膝をついて、こぶしを床に激しく打ちつけていた。
「くそ、くそっ、もうちょいやったのに、もうちょいでうまくいったのに!」
 ガツン、ガツンと何度も。
 関西弁だ。な、なにゆえ?
「綾澤町って、このY町のお隣やて知らんかった?」
 がーん。そうだったのか。──いや、そうじゃなくて、
「『なんでオレの考えてることが分かった』かって訊きたいんやろ。トシって、見た目とおんなじくらい単純やからなあ」
「そうじゃない!」
 なまみさんのこぶしに血がにじんだ。彼女は手を止め、しばらく広げた指を眺めていたが、よろよろと立ち上がり、隆盛のそばへとにじり寄った。
 泡を食って逃げようとしたのは隆盛だ。しかしなまみさんは隆盛のベルトをつかむと、その巨体を背後からブルンブルンと振り回した。うわーと叫んだ隆盛はなまみさんの手を離れ、壁に頭から激突した。
 なまみさんの影が床の上に伸びている。息を荒げ、肩を上下させるその姿はまるで、まるで……とにかく、アイドルなんかじゃない。
「お前がペラペラしゃべったせいでな、ぜーんぶ台無しになってもうたやないか、この役立たず! ──もうおしまいや。これまで築いてきた何もかも」
 なまみさんはとてつもない剣幕でまくしたてると、エネルギーが切れたように、がっくりと肩を落とした。
 もしかして──。
「これが、なまみさんの、地?」
「そういうことやね」志乃がつぶやいた。
「知ってたのか? 知ってたからキレた真似をしてみせたんだな」
「知るワケないやん」
 しれっとしたものだ。
「じゃ、どうして」
「もー、うるさいなあ」志乃は興味をなくしたように、持っていた布切れをポイッと捨てると、「タカモリさん、あたしと話してる途中で、だんだん態度が変わってったやん。なんちゅーか、シモベみたいに」
「ああ、わがままなお姫様に対する弱気な家臣って感じがした」
「その雰囲気に合わせただけ。自然にああなったんよ」
 志乃なりの役者の勘ってヤツか。
 相手の俳優の呼吸に合わせて、自分の演技を敷衍させた結果、ひとりでに「キレた綾澤なまみ」が生まれた。ところが長年連れ添ったマネージャーの隆盛は、それをホンモノのなまみさんと信じて疑わなかった。
 奇跡だ。
 オレは驚嘆の眼差しで志乃を見た。志乃は大きな欠伸をすると、つむじの辺りを無造作にバリバリと掻いた。

 夜が明けた。
 目を覚ました田辺町長には、なまみさんの姿が見えないのを風邪で寝込んでいると説明した。
 連絡があり、土砂崩れの撤去作業が早朝から再開され、早ければ正午には開通する見込みだという。
 応接室の面々に伝えると、一同の顔に安堵の色が広がった。
 若者三人組はなまみさんの部屋に見舞いに行かせろと訴えたが、「ファンに疲れた顔を見せとうないんやて」と志乃が説明すると不承不承納得した。
 町長は無惨なほど憔悴していた。最も大きな打撃を被ったのが彼だなのだから、それも当然だろう。大丈夫かと気遣う志乃にもわずかにうなずいただけだった。
「外の空気を吸いにいこう」
 志乃を誘って、オレはエントランスを解錠した。
 さわやかな涼風がオレたちを出迎えた。
 昨日まで空を覆い尽くしていた雲は隅に押しやられ、今は眩しい陽光が木々の間から差し込んでいた。
 反対に、美しく掃き清められていた前庭は、吹き飛ばされた土砂や散乱する木の葉で見る影もなかった。
 美術館を振り仰いだ。
 思いがけず三日間を過ごした宿は、クジラのようなその巨体を丘陵の上に静かに横たえていた。ここにはもう二度と来たくないもんだ。
「屋根の上でヘンなのが動いてるね」志乃が言った。
「ああ、ハリネズミの針みたいだなと、オレも到着した日に思ったよ」
 ふと、建物の西側、向かって左側の壁際にこれもまた変な物が落ちているのに気づいた。砂利を踏みしだきながら近寄ると、それは土嚢らしかった。なぜこんなものが置いてあるんだろう。しかも一つきり。
「太い縄が結んである」
「てるてる坊主みたいに、どこかに吊るしてあったのかな」
 吊るすという自分の言葉につられ、オレは上を見た。すると屋根の端から縄の切れ端が覗いているのが目に入った。
 待てよ、ここはみんなが寝泊まりした応接室のちょうど外側だ。
「行くぞ、志乃!」
 エントランスに駆け戻ったオレたちは、そのまま階段を二階へと進み、入場ゲートをくぐって、A館北端にある関係者用ドアを開いた。カギは隆盛から預かっていた。彼は今、床に伏すなまみさんのそばに付き添っている。
 ドアの向こうの狭い階段ルームは、下へ向かうのと逆に、上へも伸びていた。オレたちは上に向かった。
 ぐるっと一周回ったところで階段は新たなドアの前に突き当たった。カギを開けてノブを手前に引く。
 当然ながら、そこには屋根があった。しかしオレは踏み出しかけた足を止めた。