エピソード2
再現屋、呪いの館の謎に挑む

【24】 布切れ




 ここは進行役に徹しよう。
「志乃、そのTシャツはどうやって手に入れた?」
「ゆうべ、怪我した岡田クンらを運んだりして、汗まみれ泥まみれになったから、なまみさんに着替えのTシャツをちょうだいて頼んだ時、脱いだのは洗濯室のカゴに入れといてって言われてん。で、さりげなくチェックしたら、その時のなまみさんが着てたTシャツは破れてなかった。ハハン、着替えたなと思て、洗濯機を開けたら、そこに入ってたんよ」
「チョロまかしたのか」
「証拠を押収したんやん。人聞き悪いなあ」
 オレの茶々に志乃は口を尖らせた。
 なまみさんは険しい表情でアゴを上げると、
「そんなの意味ないわ。別の用事をしている時に破れたのよ、きっと」
「隠してもムダやって──トシ、ビデオを巻き戻して」
 オレに昨夜の追跡シーンを再生しろと指示する。ひとまず録音を中止し、《綿ボコリ》が壁に見え隠れする場面をサーチした。
 思い出した。あの時、足音らしきものを耳にしたんだっけな。
 映像は《綿ボコリ》がC館へと向かう階段を移動する場面に差しかかった。
「ほら、ここ」
 志乃はオレの手からカメラを取り上げると、なまみさんに捧げるように突きつけた。
 何が映ってるというんだ。あわててなまみさんの横に回る。隆盛もおれにならって床から立ち上がった。
《綿ボコリ》は北向きの階段を昇りきると、勢い余って正面の壁にぶつかった。階段はそこの踊り場から左右に枝分かれしている。《綿ボコリ》は壁をこすりながら右へと駆け上がっていく。
 志乃の指がポーズボタンを押した。
「あっ」
 思わず声が漏れた。
 壁に小さな布切れが見える。色はグリーン。直前にはなかったのに!
 どうしてこれが映っていると志乃は知っていたんだ? 問いかけようとして思い出した。ついさっき、応接室でオレがうたた寝していた時、こいつはなぜかビデオカメラを手の中に持っていた。なるほど、あの時にチェックしていたのか。
 それはともかく。
 布切れは確認できたものの、走りながら撮ったせいで映像は明瞭さに欠けた。
「見た目はただの壁なのに、どこに引っ掛けたというんだ……」
 つぶやいていると、オーイと呼ぶ声がした。
 いつの間にやら、加東はB館へと向かう階段にいた。おいでおいでをしている。どうやら現場に行って話をしようということらしい。
 有能キュレーターの強引さに引きずられ、四人はそれぞれの思いを抱いたまま彼に続いた。
 B館の北、問題の階段の手前まで来ると、加東はにやにや笑いながら、踊り場で腰に手を当て、仁王立ちしてオレたちを待っていた。そして全員が到着するや、踊り場の端へとゆっくり移動した。
 そこには大きな額縁が掛かっていた。ガラスの中に油彩画が見える。絵画については全くの素人だが、どうやら抽象画の部類に入る作品らしい。中央に人物らしきものが描かれてる。よく見ると人物の身体は灰色のふわふわした綿に包まれていた。
 加東は額縁に向き直った。そして両腕を開いて額縁をつかむと、気合いと共に持ち上げた。
 額縁はかなりの重量があると思われた。加東はそれを脇に立て掛けると、ふーっと息を吐いた。
 額縁の取り払われた壁には、スチール製のフックが打ち込まれていた。
 あわててビデオの映像を見直す。
 フックと布切れは、同じ位置にあった。
「タカモリさん、額縁をはずしたんは、あんたやね?」
 隆盛は崩れ落ちるように、床に座り込んだ。
「前もって予行演習でもしたんと違う? それでなまみさんが必死で逃げてきたら、額縁にぶつかってガラスで怪我するかもと感じた。だからどっかに片付けた」
 なまみさんたちは答えない。
 志乃は短パンのポケットをまさぐった。取り出したのは、問題のTシャツの切れ端だった。イニシャルN・AのTシャツの破れた部分にあてがうと、パズルのようにピッタリとはまった。
「一人でこっそり戻って探してん。そしたらこの踊り場の隅に落ちてたわ。タカモリさんも気ぃつかへんかったんやね」
「そうか!」
 オレもあることに気がついた。
 階段を駆け上がる。《綿ボコリ》を追跡したように、右側の階段だ。上がりきって渡り廊下のほうを見る。風雨の侵入を防ぐために、今は重い防火扉が通せんぼしている。オレは記憶を頼りに扉のそばまで行ってみた。
 それは、そこにあった。
「やっぱりだ。ここでオレは不審な音を聞いた。カチッという金属音だった」
 防火扉のすぐ手前、右側の壁。そこにあったのは『関係者以外立入禁止』と書かれたドアだった。同じものがA館にもあった。最初に館内を見学した際、なまみさんはA館のこの扉を、自らカギで開けてみせた。
 そうだ。《綿ボコリ》の着ぐるみを脱ぎ捨てたなまみさんは、あらかじめ開けてあったこの扉の中に飛び込んだのだ。そしてオレたちが追いついてきた時、静かにカギをロックした。オレが聞いたのはその音だったんだ。
 あの時、冷静になって考えていれば、関係者しか入れない場所に逃げ込んだことに気づいたかもしれない。そうすれば犯人に結びつく材料が手に入ったかもしれない。
 犯人──。
 振り返ると、なまみさんは目を閉じて、静かに立ち尽くしていた。まるでコンサートで全曲歌いきった後のように。
 本当なのか?
 本当にこの一連の事件、騒動の首謀者は、国民的アイドル・綾澤なまみなのか?
 分からないことだらけだ。たとえば、渡り廊下を破壊した怪物の正体。
 でも一番分からないのは動機だ。
 美術館の館長を辞めるため、と隆盛は言った。おかしい。館長就任はなまみさんの意思だったはずだ。
 彼女に質さねばならない。そこにどんな恐ろしい事情が隠されていたとしても。