エピソード2 再現屋、呪いの館の謎に挑む 【20】 最初の犠牲者 |
起きていた者は身体を強張らせ、うたた寝していた者はハッと頭を持ち上げた。オレと肩を並べていた志乃も寝ていたらしい。突然の音に、預けていたビデオカメラを「わわわ」と手の中でお手玉した。 「こら、壊すなよ」と奪い取る。 「今の音、どこから?」 いきなりだったのでよく分からない。でも室外なのは明らかだ。他の人と目線を交わすも、みんな同じ思いのようだ。 コンコンとノックがした。廊下側からで、入ってきたのは隆盛となまみさんだ。 ガツンッ。 再び音がした。廊下とは反対の壁側で、今度は高い音だ。 全員が雪崩を打って逃げ出した。 逃げたといっても、腰掛けていたソファの裏に回った程度だ。岡田たちは歩けないので、絨毯の上を両腕で逃げた。 すると、ソファの陰で震えていた飯山が立ち上がって壁を指さした。 「見ろ! 壁を突き破ろうとしてる。私を喰らうつもりなんだ!」 そう叫ぶと、他の人間を突き飛ばしながら、応接室を飛び出していった。 「待て、喜三郎!」 町長が呼んだが、足音はそのまま遠ざかっていく。まさか──。 オレは急いで追いかける。すると町議はエントランスのカギを勝手に開けて表に出ようとしていた。 「いま外に出ていったら危険ですよ」 「どうせここにいたって、あの怪物の餌食になるだけだ!」 ガラスドアの上のカギをはずし、続けて下のカギに手を付ける。本気らしい。 強引に彼の腕を取り、 「どうするつもりなんです?」 「決まってる。奴が建物に齧りついてるうちに、下の町まで逃げるんだ」 「こんな土砂降りだし、車だってハンドルを取られます。無理ですよ」 「じっとしてても助かりっこない。どいてくれ!」 力まかせに腕を振りほどくと、飯山町議は雨の中に身体を踊らせた。そのまままっしぐらに駐車場へと走っていく。玄関脇の外灯が彼の背中を照らしていある。 「飯山さん!」 オレの横を隆盛が駆け抜けていった。たちまち彼も濡れネズミになる。どちらも同じグリーンのTシャツなので、こうなると見分けがつかない。 飯山は車にたどり着くと、キーを開け、すぐに乗り込んだ。隆盛が追いついてドアを叩くが、車はすぐに発進した。 「あんた、なんで追いかけへんの?」背後から志乃。 「だ、だって、これが」と右手のビデオカメラを掲げる。 「アホッ」 グーのこぶしが飛んでくる。かろうじてかわす。そうそういつも殴られてたまるか。 オレはカメラを志乃に押しつけると、雨の中にジャンプした。 予想以上の衝撃が身体にのしかかってきた。これは雨というより、滝に打たれている気分だ。たちまちTシャツ、短パンからズック靴(これも借り物)までぐっしょりと濡れて重くなった。 飯山の車は隆盛を振り切り、車をぐるっとターンさせた。オレは先回りするべく出口に向かった。 しかし間一髪で間に合わず、車は駐車場ゲートをくぐり、表の道路へと出てしまった。 やっぱり無理か、と思って見ていると、車のライトが妙な具合に動いた。横に並んでいる光が縦に──。 「横転した!」 隆盛が叫んだ。なんと車はスリップしてひっくり返り、道路脇の自然の土塀に激突したのだ。 「飯山さん!」 オレたちは駆け出した。しかし次の瞬間、信じられないことが起こった。車の突っ込んだところから水の束が噴き出したのだ。 「しまった、貯水池の水が溢れたんだ!」 隆盛が悲鳴を上げた。たちまち水は土石流となって車を飲み込み、さらに輪をかけて大きな土砂崩れを誘発すると、アッという間に道路を塞いでしまった。 地面が動かなくなるまでには、三十分以上の時間を要した。 もはや、飯山の車は捜しようがなかった。 町長はスコップで掘り起こすんやと主張したが、大雨の中、二次災害の危険を考えると、全員で止めるしかなかった。 美術館内に戻る前、オレは隆盛とA館の横手に回った。音の正体を確かめたかったのだ。恐怖に膝が震えたが、壁際にも庭にもそれらしき異形の怪物はいなかった。ただ、応接室のちょうど外壁の辺りに、いくつかのへこみを発見しただけだった。 何かがいたのは、確かなようだ。 応接室に戻った我々は、押し黙ったままソファに身を預けるしかなかった。あくまでマイペースの加東と、部外者然とした阿佐ヶ谷は別だったが。加東は時たま鼻歌を漏らしては、これは失礼と詫びつつ自分の手帳に没頭している。阿佐ヶ谷は飄々とした顔で、記事を紙の上にまとめている。 あれっきり、壁の音はしない。怪物はオレたちを脅かすのに飽きたのだろうか。そうだったらいいのに。 なまみさんは、風邪をひくからと、バスタオルを配ってくれた。 町長は少ない髪から水滴をしたたらせながら、虚ろな目を呆然と宙に向けていた。オレは自然とビデオのスイッチを入れ、レンズを町長に向けた。興味本位では断じてない。ただ、ドキュメンタリーとして町長の今の姿を、涙を出し尽くした彼の姿を、本能的に記録にとどめたくなっただけだ。 町長がこちらを見た。すると問わず語りに話し始めた。 「あの子は──喜三郎は三人兄弟の末っ子で、小さい頃から近所でも無類の《怖がり》の根性ナシやった。でもそのぶん気持ちの優しい繊細な子やったんや。でも親としては将来が心配なんで、度胸が足らん分は頭脳で補えと、エエ大学に放り込んだった。そんで、ゆくゆくは町役場にでも就職できれば、くらいしか期待しとらんかった。でも長男次男が、東京で好きなことしたいと言うて出て行ってしまいよった。ワシの姿を見てて、政治の世界には絶対に行きとうないとヌカしおった。全部、末っ子の喜三郎に任せるからと、あの子に呪いをかけて、飛び出していきよったんや……。あの時に長男らを引き止められてたら、喜三郎がこんな目に遭うことはなかったのに……スマン!」 町長は嗚咽を漏らし、両手で顔を覆った。オレももらい泣きしながら、ビデオカメラを停止させた。 すると部屋の奥でずっと見ていた加東が、親指を立ててこう言った。 「グッジョブ」 空き缶があったら、投げつけてやるところだった。 気がつくと、志乃が町長の脇に座り、彼の手を握っていた。あ、志乃の目にも涙が。 頼む、いっしょに泣くな、泣き声を上げるな! 「の〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」 やっちまった。 午前零時が過ぎた。 応接室の明かりの下、なまみさん、隆盛、田辺町長、岡田、桐野、日村、加東、阿佐ヶ谷、志乃、そしてオレは、ただ座って時間の過ぎるのをじっと待っていた。 明日こそはここを出よう。オレは心の中で決意を固めた。 どんな手段を使ってでも。 しかし、どんな手段がある? この閉じた世界から抜け出すには。 ──そうか、これは一種の《密室》だ。 単に自然災害によって作られた《偶然の密室》か? はたまた、何者かの呪いによって外界から遮断された《作為の密室》か? 密室殺人事件……もしかすると、飯山に続く第二の殺人が? |