エピソード2 再現屋、呪いの館の謎に挑む 【17】 傷だらけの帰還 |
それは誰もが仰天する光景だった。 右のガラスに黒い影が差した瞬間、大音声とともにガラスが割れて飛び散った。 粉々になった破片が空中に舞う。頭をかばおうと腕を上げた時、手と手の隙間から見えたのは、黒い影がさらに天井部分を割り、さらに左のガラスに襲いかかる光景だった。 黒い影は、さっきの幽霊か? 綿ボコリを脱ぎ落とし、本来持っていた野生が目覚めたのか? そんな想念がよぎったのも一瞬。 破片が雨に混じって、頭上から降り注いだ。 悲鳴が上がる。女性の声だ。志乃! しかし怖くて目が開けられない。 すると、今度は思わぬ圧力を身体に受け、両足が床から浮いた。 足許から廊下が消えた! 恐怖が倍加する。 じたばたと手足をもがく。右手はビデオカメラでふさがっていた。しまった、明日は首から紐で垂らそう。 そんなこと、のんきに言ってる場合か! 左手が硬い物を掴んだ。放すまいと肘を乗せて必死に食らいつく。 目を開いた。 「うはーーーっ」 なんてこった。絶叫するしかない状況にオレはいた。 ガラスの吹き飛んだ廊下の端っこに、オレは片手でぶら下がっていたのだ。 「助けてくれーっ」 こんなところで、アクション映画でしか聞くことのできないセリフを吐く羽目になるとは! 指がつりそうだ。ビデオカメラを放すか? そんなもったいない──って、たわけ! 命とどっちが大事なんだ! その時、たわけ者に神が救いの手を差し伸べてくれた。 「トシ」 志乃だった。オレの手を掴み、顔を覗かせている。 「うおっ、命の恩人だ。引っ張り上げてくれ!」 必死の形相で乞い願う。 ところが志乃は軽く首をひねると、 「飛び降りたほうが、楽やと思うで」 ナニッ? 首をねじって下を見る。 地面はすぐそこにあった。 芝生の上から、あらためて渡り廊下を見上げた。 建物と建物の間をつなぐ渡り廊下は、地面に対して二階の高さでしかない。説明を受けたのに、すっかり忘れていた。よほどへまな降りかたをしない限り、怪我するような高さじゃない。 ところが、へまな降りかたをした者がいた。 ガラスが割れた時、廊下の真ん中にいた岡田と桐野が外に投げ出されたのだ。芝生とはいえ落ちかたが悪かったらしく、二人はそれぞれ右脚と肩を押さえてうずくまっていた。 「ご無事ですかー?」 迂回して別階段を降りてきたのだろう、隆盛と志乃、日村がB館の向こう側から駆けてきた。 岡田と桐野は歩けないという。隆盛と協力して、ひとまず雨のかからない廊下の下まで引きずり込んだ。 「加東さんは?」 「そういえば……」 すると、廊下の上からオーイと声がした。彼も無事らしい。 「事務所に担架がありますので、取ってきます」 と、隆盛が日村を連れて、B館に戻った。 ビデオカメラを専用バッグに仕舞い込み、両手で拭って雨水を髪からふるい落とす。 大変な事態になってしまった。単なる幽霊の調査が、怪我人を出す事態に発展するとは。 志乃は廊下を仰ぎ見ながら、 「これって、さっきの灰色綿菓子のしわざやろ? ムチャクチャするわ」 「あれはもう幽霊でも妖怪でもない。怪獣だよ。科学特捜隊でも呼んで来ないと」 周囲をうかがう。もう一度襲ってきたら隠れようがない。 志乃がオレの手を握り、肩を寄せてきた。震えている。雨に濡れた寒さのせいじゃないだろう。 オレも握り返した。 雨と風の中、長いこと、そうしていたような気がする。 やっと隆盛らが戻ってきた。足に痛みを訴える岡田を担架に乗せ、オレと日村で担ぎ上げる。桐野は隆盛が背負った。 加東さーんと頭上に呼びかける。しかし返事がない。 「どこに行った?」 加東は一人で先に戻っていた。どこまでも自己中心的な男だ。 岡田の足は折れているかもしれないと、隆盛は添え木をあてて応急処置を施した。非常事態にもテキパキと冷静に対処する。ここにいる中で頼れるのは隆盛だけかもしれない。 「お仲間が増えた。うれしいね、ひひひ」 ソファに寝転んでいた阿佐ヶ谷が、場違いな笑い声をあげた。応接室には居残っていた町長もいて、何があったか説明しろと眉を吊り上げる。 「真っ黒な化け物に襲われたやと? このY町には熊なんかおらんぞ」 その通りですと飯山が相づちを打つ。熊には見えなかったと言うと、じゃあ何だと問われ、言葉に窮する。 「ビデオを見てください。そうすれば正体が分かるかも」 背中をにらまれながらカメラを取り出して、接続作業に取りかかる。 「トシ、待って。全員が揃ってからにしよ」 志乃は制止すると、他の人を呼んでくるからと部屋を出ていった。 残されたのは、腕を組んでむっつりと天井を睨む田辺町長。怖い映像など見たくもないと背中を向ける飯山町議。仲間の二人が傷つけられて憤懣やるかたない日村。肩をさすっている桐野。捻挫した足の包帯を巻き直している阿佐ヶ谷。そして、手帳を広げながら一人うなずいている加東。 誰もしゃべらない。鉛のように重たい空気が部屋に充満する。もう二十四時間、閉じ込められているのだ。オレだっていい加減、窒息しそうだ。 岡田が隆盛に連れられてきた。ますます男性濃度が上昇する。 すると続いて、 「おまたせしました。みなさんくつろいでくださいね」 その声は涼風となって、男たちの耳たぶをくすぐったはずだ。 なまみさんが志乃を伴って入ってきた。ふたりとも盆を捧げていて、人数分のカップとビスケットが載せられている。 「コーヒーでも紅茶でも、お好きなほうをどうぞ」 さすがだ、部屋の空気が一瞬で変わった。二人の女性がテーブルの間をまわっていく。 オレの肩からも力が抜けていく。気合いを入れ直して接続したコードを見ると、映像と音声が逆になっているのを発見した。 「さて、再現屋さん、とっととロードショーと行こうじゃないか」 加東が上映開始の合図のように、手帳をぱたんと閉じた。 |