エピソード2
再現屋、呪いの館の謎に挑む

【16】 追跡




 ヒビの入ったガラスを横目に廊下を渡る。あらためて観察すると、天井はわずかな角度で屋根の形をしていた。
 昨夜を思い出しながら、みんな黙然と渡っていく。
 流れ落ちる雨水を透かせば、そこに墨絵のようなモノトーンの景色が広がっていた。雨量も風力も昨日ほどじゃないが、傘なんか簡単に吹き飛ばされるだろう。
 B館の入口に立つ。追っかけ三人は互いに目配せすると、油断のない様子で一歩足を踏み入れた。その後をオレと志乃が続き、今日は隆盛、そして加東が続く。
 B館の展示物は絵画だ。
 壁面に並んだ額縁が我々を迎え入れた。
 幽霊が日中、しかも午前中から出てくるのか? さっき、なまみさんに問うたところ、二度ばかりあったのだという。幽霊の世界も、今や二十四時間営業なのか。
 さらに先へと進んだ。
 後ろで加東が鼻歌を歌っている。歩く速さを落とすと、彼は手帳を広げ、展示物の種類や配置、照明などを事細かに書き込んでいた。本来の自分自身の仕事をしているのだろう。オレは訊ねずにはいられなかった。
「加東さんは幽霊が気にならないんですか?」
「なるよ」
 明快な回答だ。明快過ぎて言葉に詰まる。
「えっと……それで、どう思ってるんですか?」
「ん」手帳から顔を上げるが、視線は壁の絵に注がれている。「幽霊かい? そうだな、消えてもらわないと困るな。私の仕事が終わらない」
「もしかして、秘策でもあるんですか?」
「ヒサクーっ?」
 加東は眼鏡の奥の目を大きく見開いたが、すぐにニヤリと笑って、長い髪をかきあげると、
「まあ、ないこともない。でも秘密だ」
とささやいた。
「ど、どうして?」
「だって、私が動いたら金がかかるよ。ハハハ」
「そんな、冗談を」
「冗談じゃないよ。まあ、学生クンたちが退治してくれたらタダで済むんだから、期待してあげようよ」
 そしてまた手帳に目を落とす。どうにも苦手な人だ。

 一同は二階に上がった。階段は下のフロアをぐるっと回ったところにあった。上のフロアも下と同じく、パーティションで数カ所を区切った空間に作品群が整然と掲げられている。
 ビデオカメラはずっとポーズ状態だ。延々と録画するより、このほうが良いと考えたからだ。その代わり、ポーズボタンにはずっと指を乗せている。妖怪でも怨霊でもいつでも来い、である。
 空調の音以外しないフロア。
 ゆっくりと移動していく男たち。
 暑くはないのに、緊張感でじわりと汗が落ちる。
 ふと、先頭の桐野の足が止まった。
「音がする」
 すわ、若者たちは臨戦態勢に入った。
 全身を耳にする。
 ──ズズ。ズズズズズ。
 聞こえる。衣擦れのような音が!
「この奥だ!」
 桐野が矢のように駆け出した。一同も後を追う。オレはすかさずカメラを録画モードにした。
「待て、止まれ、オレたちの足音で聞こえない!」
 岡田が両手で制止した。みんなあわてて立ち止まった。
 ──ズズズズ。
 音は消えずにいた。パーティションのずっと先だ。我々は足音を殺して、滑るように移動する。
「いたっ」
 三つ目のパーティションの陰に、綿ボコリにも見える、灰色のかたまりがあった。それがズルズルと動いたかと思うと、すぐに視界から消えた。
「追え!」
 号令をかけたのは、なんと加東だ。見れば喜々とした表情で目を輝かせている。なぜにそんなにうれしそう?
 とにかく走る、走る。映像が激しくブレるがしかたがない。
 一同はアッという間に、B館の北端に近づいた。そこには左右に別れて昇るスロープがある。その先は、C館に至る東西二本の渡り廊下へとつながっているのだ。
 綿ボコリは右のスロープへと曲がった。ホコリがドレススカートのようにふわりと広がる。距離を詰めているのに、綿ボコリの正体が掴めない。
 それでも耳は、ズズズの他に、タッタッタッという足音らしきものを聴き取った。
 幽霊に足があるのか?
 あってもいいが、映像にはそれらしきものは映っていない。急いでズームアップし、階段下から上へとなめる。幽霊はまさに今、渡り廊下に吸い込まれるところだった。
 俊足の岡田と桐野がスロープにたどり着いた。しかし曲がりきれず、絡まるようにして壁に激突した。チクショーと一声怒鳴り、野獣と化した彼らは、先を争いながら駆け上っていく。
 そこまで必死になる彼らの動機は?
 功名心か、はたまた、なまみさんへの純粋な愛か?
 こんな時に何を考えている! バカな想念を払いのけながら、オレも遅れてスロープに到着した。映像は隆盛と志乃の後ろ姿を捉えていた。
 ようやく渡り廊下が見えた。
 ところがオレはそこでつんのめりそうになった。なぜなら、志乃も隆盛も立ち止まっていたし、先に行ったはずの岡田と桐野が、渡り廊下の中央で立ち往生していたからだ。
 文字どおり、立ち往生だった。彼らの足許には、あの綿ボコリが落ちていた。正確には潰れてぺしゃんこになった状態だったが。
 どういうことだ?
「なんだよ、これ」
 岡田が綿ボコリに手を伸ばしてしゃがもうとした時だった。
 カチャリ。
 金属音か? どこから?
 辺りを見回そうとした、その時──。
 激しくガラスの割れる音が廊下に響いた。
「危ない!」