エピソード2
再現屋、呪いの館の謎に挑む

【14】 幽霊現る




「こんどこそ、逃がさねえ」
 桐野たちは一階のドアを開くと、躊躇なく降りしきる雨の中に飛び出していった。
 一歩遅れたオレは戸口で立ち止まり、暗闇に目を凝らす。
 踊るように駆けていく三人の姿がかろうじて見て取れた。彼らの照らす懐中電灯が、美術館の敷地と周囲の森を仕切るレンガ塀を上下になめる。
 幽霊は、そこにいた。
 三人の猛迫に逃げる様子もない。
「志乃、なまみさんを頼む」
 オレは言い、ビデオカメラを構え直した。
 液晶は真っ暗だ。急いで補正ボタンをいじる。それでも画面の中心には、ぼんやりとした光しか映らない。
 オレはすばやく上着を脱いでカメラをくるんだ。一張羅だがしょうがない。よしっと心でつぶやくと、闇の中に我が身を投げ出した。
 たちまち雨粒の弾丸が全身に襲いかかる。水に浸かった芝生が足をすくう。
 なんでここまでしなきゃならない!
 仕事だからか? (なまみさんに対する下心か?)
 違う、違う。
『そこに被写体があるからだ』(Byオレ)
 それも、微妙に違う。
「おわっ」
 危うく転けそうになって、かろうじて左手をつく。ピンチ回避。噴き出した汗が雨と混じる。
 強風にもてあそばれながらも、壁際へと急ぐ。
 三人はすでに幽霊のいる場所に到達していた。驚いたことに、幽霊の上に岡田が馬乗りになっている!
「さっきはよくも脅かしてくれたな」叫びながら一発二発と殴りつける。「ガラスの弁償はお前がしろよ」そんな問題か。
 だいいち、そんなことして、後で祟らないだろうか?
「オッサン」こちらを向く。誰がオッサンだ。「これから正体を暴くから、しっかり撮影してくれよ」
 言われなくても撮ってるわい。
 桐野の手が、布切れらしいものに触れる。果たして、その下の顔は???
「──誰だ? こいつ」
 降りしきる雨の中、誰もがそう思った。
 電灯の光に浮かび上がった顔は、人間そっくりだった。念のためと、岡田が頬をひっぱたく。「痛いっ」と反応があった。
「アンタ、幽霊か?」
「ざ……雑誌の記者だ」
「記者の幽霊──」
「私は、生きてる……でも今すぐ死にそうだ……」
 とにかく、こんな場所では真相の追求もできない。ひとまず建物に戻ろうと三人に同意させた時、男の横顔が一瞬光の中で白く浮かび上がった。
 ──浮かび上がる?
 空を見た。暗いムラ雲が光った。
「引き上げろっ、急げぇーーーっ!」
 ゴロゴロゴロ。

 調査隊七名はいったん調査を中止し、応接室に戻って来た。
 捕えられた男は幽霊ではなく、正真正銘の人間だった。隆盛が彼のことを覚えていた。
「幽霊騒ぎをどこかで耳にしたらしく、しつこく取材に来ましたからね」隆盛が苦い顔をした。
 芸能雑誌の記者だという阿佐ヶ谷勉は、幾度もやってきては門前払いを食っていた。
 綾澤なまみサイドとしては、幽霊ネタなど話題にされたくない。現在はまだY町内の噂の段階で止まっているが、雑誌などにあらぬことを書かれたら、ここはどうなるか。
『幽霊まで鑑賞できる美術館なんてスゴいじゃない。人気が出ますよー』
 阿佐ヶ谷はそう言って笑ったという。
「彼は、業界でも札付きの悪徳記者なんです。彼の記事のせいで、過去どれだけの芸能人がウツに陥り、人気が凋落し、引退に追い込まれたことか」
 そんな阿佐ヶ谷に一度目をつけられると、振り切るのは至難の業だとか。
「ここ数日、姿が見えないと思っていたら、まさか壁を乗り越えて侵入しようとしていたとは」
 ところがよじ登ったところでバランスを崩して落下し、足を挫いてしまった。その動きが桐野の鋭い目に捉えられたのだ。
 いま、当の阿佐ヶ谷はゲストルームの一室に寝かされている。自力では歩けないので、隆盛がしぶしぶ背負って連れて行った。
 彼としては、風雨の夜陰に乗じれば、まず発見されるまいと踏んだのだろうが、逆に悪天候が災いしてしまった。
 そして、不運な彼とは逆に、桐野ら追っかけ隊はなまみさんの敵をひっとらえたというので、いやが上にも意気が上がっている。
「イェーッ」「イェーッ」
 うるさいこと、この上ない。
 ただ、大事なことは──。
「阿佐ヶ谷じゃないんですよね、幽霊の正体は」
「そういうことになりますね」と隆盛はため息をつく。
「ほな、アレってホンマモンの幽霊やったとか」
「みんなで検証しましょう」
 オレは用意したコードで、ビデオカメラをテレビに接続した。
 再生ボタンを押す。頭出ししておいたので、映像は渡り廊下に入る直前からのスタートだ。
 ザザザとこすれるような音。全員が東側の窓に首を向ける。しばらくしてドンッと激しい音。そして幽霊出現。
 見ていない町長が、ビクッと身体を震わせた。
 映像は幽霊のクローズアップになる。白くて人の形をしている以外にはくわしいことは分からない。
 白い人型はすぐに消えた。現場では長く見ていた感じがしたが、実際に姿をさらしていたのは一秒程度だった。
 再生を繰り返す。
 ザザザッ。視線集中。ドンッ。うわわわ──。
 どう言えばいいんだろう。
 なんとなーく、どことなーく不自然な印象が……。
「なあ」隣りに座った志乃が膝を突っつく。「最初の音って、これから出ますよーっていう予告篇みたいな感じがせえへん?」
 予告?
「そうだね」と加東。「まるで我々の目を集めるために鳴らしたようにも聞こえるね」
 そうか。単純に考えれば、そうとも受け取れるか。
「『ラップ音』って、聞いたことはありませんか」と隆盛。
「たしか、心霊現象の一種で、誰もいない部屋から音がしたりするというアレですね。幽霊が現れる前兆ともいわれる──」加東がさりげなく知識を披瀝する。
「……ということは、どういうことでしょう?」なまみさんが訊く。
「ここに棲む幽霊さんは」と加東はクククと笑い、「よほど、自己顕示欲が強いのでしょうね」
 ゲッ。
 ひょっとするとオレたちは、とてつもなくタチの悪い悪霊を相手にしているんじゃないのか?