エピソード2
再現屋、呪いの館の謎に挑む

【13】 幽霊現る




 一同の受けた衝撃は大きかった。
 最初の展示ゾーンを一時間もかけて調査した後だったのだ。少しばかり気が弛んでいたのかもしれない。「どうせ何もいやしない」とタカをくくっていたのも否めない。
 だからいきなりドンと来て、全員が反応を示すまでに、わずかな間があった。
「……う……うわぁぁぁっっっっ」
 一番前にいた追っかけ隊が悲鳴を上げた。彼らは受けた衝撃のまま、後ろに転倒し、みんなをボーリングのピンのように押し倒した。
 オレは体勢を崩しつつ、ビデオカメラのレンズをしっかりと《幽霊》に向け続けていた。カメラを揺らさないよう、肘を床に着いて支えにする。
 液晶モニターには、闇を背景に白い物体が浮かび上がっていた。
 照明は廊下の上部に並ぶ蛍光灯だけだ。高解像度カメラとはいえ、どれだけ克明に映っているだろうか。
 ふっと、モニターから白い物体が消えた。頭を上げる。ガラスには何かが張りついていた痕が残っていた。しかし、すぐに雨に流されるだろう。レンズを向けたまま立ち上がり、ゆっくりと接近する。
 ガッ。
 突然、肩に硬い衝撃があり、オレはバランスを失った。必死でカメラをかばって背中を下にする。ドスンと肩甲骨を突き上げる衝撃。息ができない。
 視界の隅で、岡田が筒状のものをガラスに向かって投げつけていた。廊下の端っこに置いてあったスチール製の鉢植えだ。オレに当たったのはそれか。「くらえ、化け物」などと叫びながら、ゴッ、ゴッとガラスに叩きつけている。
 女性の悲鳴が耳をつんざく。なまみさんだ! しまった、彼女を守る役目を忘れていた!
 隆盛は同行していない。町長と怯える町議の相手をするために、下に残っていたのだ。くれぐれも彼女を頼みますと言われていたのに!
 オレはモニター画面をたたみながら、急いでなまみさんのそばに駆け寄った。
「大丈夫ですか?」
 すると、なまみさんは両腕を広げてオレに抱きついてきた。
 な──なんてことだ! いいのか、オレで?
「……て」
 オレの顔に彼女の髪がふわりとかぶさる。鼻腔をかすかなシャンプーのにおいがくすぐる。
 これほどの大接近。こ、こ、これは──映画のワンシーンだ! この世のものとは思えない快感が背筋を突き抜ける。
「……めて」
「え?」
 耳を寄せる。なまみさんの吐息がオレの頬にかかってくる!
「とめて」
 え? と……めて?
 彼女の指がオレの肩越しに後方を差す。目を向けると、岡田の行為がガラスにヒビを生じさせていた。
「分かった」
 彼女から離れ、岡田に近寄る。
 ところが、火の玉となって暴れる彼は手の付けようがなかった。変形した鉢植えを放り出すと、今度は、幽霊なんぞ怖くないぞと喚きながら、ガシガシと足でガラスを蹴り始めた。
「やめろ」
 とりあえず声をかけるが、聞こえていない。
「もういないぞーっ!」
 両手をメガホンにして力いっぱい叫んでみる。岡田はそれでやっと聞こえたらしく、上げた足を降ろし、丸くした目をゆっくりとこちらに向けた。
「……いない?」
「ああ、幽霊の奴は逃げた」
 強いて笑ってみせる。
 岡田は目を閉じると、膝に手をついて何度も息を吐いた。
 ガラスを見上げる。幽霊の痕跡は雨で跡形もなく消えていた。
「すごいモノを見たねー」
 どこにいたのか、悠然と加東が戻ってきた。
「正体が分かりますか?」
「まさか。超自然現象は専門外だよ」
 A館への通路口から、志乃が日村と桐野を連れて戻ってきた。
「隠れてたのか?」
 多少嫌みっぽく訊ねると、志乃は口を尖らせ、
「この人らがあわててA館に駆け込んでたらどうなったと思う?」
「どう……って」
「貴重な展示作品が危険でしょうが」
 なるほど。
「あ〜あ、こりゃヒドい」と加東。
「どうしました?」
「ほら、ガラスがこんなになってる。──キミ」と、息を整え中の岡田を見おろし、「弁償だな。ざっと百万はかかりそうだな」
 ひゃ、百万円?
「正当防衛だ」ぽつりとつぶやく岡田。
「過剰防衛だよ」バッサリ斬る加東。
 みんな落ち着きを取り戻してきた。それでも緊張が抜けきったわけじゃない。左右と上が闇に囲まれた通路には、衝撃の余韻がまだ漂っていた。
「ひとまず皆さん、下に戻りましょう」
 なまみさんが提案する。賛成だ。
 後ろで志乃が何かを拾い上げた。
「携帯が落ちてるで」
「す……すみません。私のです」
 なまみさんが手を出し、志乃がハイヨと渡す。
「みなさんも落とし物がないように」
 あくまでも館長として振る舞っているなまみさん。いじらしい。
「おい──あそこに何かいるぞ!」
 上ずった声を出したのは桐野だ。ガラスの外に目をやっている。
「幽霊の野郎、また来やがったか!」
 岡田が目を怒らせて逸る。
 皆が並んで目を凝らす。あまりの暗さに判然としないが、今度は地上だ。白っぽいものがふわふわと蠢いている。
 またもや人型だ。
「ここから直接降りるには?」
「あの……すぐそこに関係者用の階段があります」
 それはA館から渡り廊下に出る手前の、右側の壁にあった。なまみさんが持つカギで扉を開く。すると、桐野を先頭に三人組が、名誉挽回とばかりに、けたたましい足音を立てて階下に降りていった。