エピソード2
再現屋、呪いの館の謎に挑む

【12】 調査開始




「なまみさん!」
 オレは立ち上がり、考えるより先に駆け寄っていた。
 国民的アイドルだVIPだといっても、しょせんはか弱い女の子。館長としての責任感から、どうにか解決の糸口を見つけようとがんばっていたはずだ。なのに、そんななまみさんをあざ笑うかのごとく、幽霊は彼女の前に現れたという。
 どんな恨みが彼女にあるというんだ!
 不幸な出自の彼女に、これ以上過酷な運命を強いるなど、悪魔の所業だ、魔王の企みだ!
「なまみさん!」
 もう一度呼んだ。
「は……はい……」
 え? あれ? 怖がってない?
 隣りの隆盛が、またもやオレを突き飛ばさんと迫ってくる。ちょい待ち、いま恐怖の悲鳴を上げたんじゃ──。
「アホんだら!」
 町長の怒号。振り返ったオレは我が目を疑った。
 キャーという悲鳴の主は、飯山町議だったのだ。彼はテーブルの下に潜り込み、両耳を手で塞いだ格好で、小さく縮こまっていた。
 飯山は子供のように泣いていた。泣きじゃくっていた。「勘弁して勘弁して」とうわごとのように繰り返している。
「子供の頃から、こうなんや」と町長。「怪談話が異常なほど苦手でな。一人でトイレに行けんと、ようおねしょしとったわ。今でこそおねしょはしよらんけど、怖がりは結局治らんかった」
 町長は、おそらく父親として深いため息をついた。
 まあオレも人のことは言えない。雷の怖いオレには。
 ふと気づくと、飯山のそばになまみさんが膝をついていた。
「どうぞ、お立ちください」
「……はあ」
「怖いものは怖いですよね。私も怖いんです」
 すると飯山は両目からポタポタと涙を落とした。なまみさんは彼の手を握ると、優しく背中をさすった。
 そんなことまでしなくてもーーー。

「ごちそうさま。いやぁ、美味しかった。なまみさんは料理の腕もすばらしい」
 と加東。大仰に両腕を広げて喋る癖が鼻につく。それとも単なるオレの偏見か?
「……すみません。ほとんどはマネージャー隆盛さんのお手製です。私よりずっとお上手なので」
 なんだ。
「なんだ」
 加東は興味をなくしたように、顔から笑みを消した。分かりやすい人だな。
 時計を見る。あと数分で九時。
 なまみさんが、ゲストルームの準備が整っていると告げた時、加東が想像もしていなかった提案を披露した。
「このまま休んでしまうのはもったいないと思いませんか? せっかくだから、館内を見回りましょうよ」天候も悪いし、心霊体験ツアーには絶好のシチュエーションじゃないかと言うのだ。「再現屋さんにとっても、幽霊に会えたら好都合じゃないの?」
 彼はそう言って瞬くうちに体験ツアーをまとめてしまった。そして、なまみさんをガイド役に決め──隆盛の「自分が」という声は完全に無視した──尻込みする追っかけ三人に対しては、「女神様が危ない場所に乗り込むのというのに、護衛の君たちは行かないつもりかい」と煽ってみせた。
「い、行くに決まってんだろ! なあ」
 岡田が仲間に同意を求めるが、虚勢にしか聞こえない。残りの二人がオウと震える声で答えると、加東はかすかにニヤリとした。どうやら面白がってるらしい。
 加東という男の一面が見えた気がする。
 きっと仕事でも、将棋の駒を動かす感覚で、周囲の人間を手玉に取ることを楽しんでいるに違いない。
 オレたちも駒の一つか。いずれにせよ、断る理由はないが。
 もっとも「この仕事、受けます」と、はっきり返答したわけじゃないんだがなあ。
 ま、ビデオカメラを持ってきておいて、良かったってとこか。

「押すなよ」
「押してないって。お前がノロいから、つっかえてんだ」
 広い通路なのに、つっかえるもないもんだ。
 一団は団子のようにかたまって、A館の中を進んでいく。
 へっぴり腰の若者三人組が先頭である。そのせいか、足取りは極めて遅い。すぐ後ろをオレ、志乃、なまみさんが続く、加東は最後尾を、鼻歌を歌いながらついてくる。
 なまみさんのガイドによると、この美術館は、Y町が輩出した著名なアーティストたちの作品によって占められている。A館には彫刻などの立体、B館には絵画、C館には陶芸作品とジャンル分けされており、急ぐ時は、建物の東側にあるエスカレーターで、次の建物に直行することも可能だ。
 ツアー一行は辺りに目を走らせ、異常がないかを確認しながら、静かに歩を進めていく。皆、デジタルカメラを片手に持ちながら。
「はーっ、なかなか立派な美術館やったんやねえ。設備も立派やし、維持費が高そう」
 志乃が思ったままを口にする。
「そうなんです。財政難は危機的状況で、いつまでも銀行やY町からの助成金ばかりに頼るわけにもいかず……。エスカレーターも来週には止めます」
 なまみさんがくたびれた顔で答える。オレは言わずにいられず、
「アイドルのあなたが、本業でもない美術館経営で苦労することはないんじゃないですか? もっと専門家にまかせれば」
「だから私の出番なのです」いきなり加東が入ってきた。「私はこれまで、いくつもの美術館や博物館の再生に成果を上げてきました。私の手にかかれば、ここもすぐ活気を取り戻しますよ」
「いえ……活気のあった時期は、過去に一度もないんですけど」
「まかせておいてください」またもや馴れ馴れしくなまみさんの肩に手を置く。「世界のカトーが幽霊を追い払ってあげますから」
 自信たっぷりである。まあ、なまみさんが役に立たない助っ人を呼んできたとは思えないし、お手並み拝見といくか。
 外は相変わらずの強風に豪雨。窓はないものの、壁を叩く音がかすかに伝わってくる。
 館内は明るい照明で満たされていた。作品たちは深海魚のように、深い沈黙の底に沈んでいる。
 夜の美術館は、気持ちの良いものではないと初めて知った。白い胸像の裏に何か隠れているんじゃないか、木製の犬や猫が魂を得て動き出すんじゃないか。そんな妄想が次々と浮かんでは、頭の隅にプランクトンの死骸のようにたまっていく。
 追っかけ隊は懐中電灯を用意していた。その光が展示物の影をやたらに揺らめかせ、かえって自分たちが「ひっ」だの「わっ」だのと騒いでいる。
「もうっ、貸しいな」
 日村から電灯を奪った志乃が先頭に立った。台座の裏に回ったり、壺の中まで覗き込んだりと、冷静に業務をこなしている感がある。集中しているようだ。ちょっと舞台女優の顔になっている。
 一階が終わると二階に上がり、同じように調べていく。
 B館への渡り廊下に到着した時には、すでに一時間が経過していた。
「先が長いな。C館の端に着く頃には日付が変わってるぞ」
「愚痴ってても始まらへんよ。次に行こ」
 聞いていたとおり、渡り廊下の左右と天井はガラス張りだのシースルーだ。庭の外灯が消えているせいで、外は真っ暗闇。しかも叩き付けるような雨。雷は……と耳を澄ましたが、幸い今は鳴りをひそめている。
「雨の多い地域とは知っていたが、これほど降るとはねえ」
 加東がのんびりとつぶやく。
「まだ二つあるんだ。急ごうぜ」
 岡田が促したその時。
 ザザッと物のこすれる音がした。
「なんだ?」
 全員足を止めて、音のしたほうに顔を向けた。東側のガラスの外。
 すべての視線が闇の向こうに集まった時。
 今度はドスンと鈍い音とともに、大きな物体がガラスにぶつかった。
 出たっ! 空飛ぶ幽霊だーっ!